台湾のお米は、大変おいしいのですが、
そのお米「蓬萊米(ほうらいまい)」について、
台湾大学の農業試験場内にある「磯 永吉(いそ えいきち) 小屋」
で紹介されています。
それまでの在来米を改良し、日本人の好みに合った「蓬萊米」
の栽培を可能にしたのが、磯 永吉博士(1886年〜1972年)と、
末永 仁(すえなが めぐむ)博士(1885年〜1939年)です。
二期作が可能な台湾で、良質なお米が取れるようになり、
内地(日本の本土)向けの生産が増えて、台湾の経済発展に
つながりました。
磯博士は、北海道帝国大学(旧札幌農学校、現在の北海道大学)の
農学博士。新渡戸稲造博士の後輩にあたります。
「磯 永吉 小屋」には、蓬萊米の父、磯 永吉博士と
蓬萊米の母、末永 仁博士の銅像とともに、
当時の実験器具や資料などが展示され、二人の功績が顕彰されています。
このお二人の胸像を制作されたのは、許文龍氏です。
収集した写真を元に、自ら粘土で制作し、鋳型を起こして、
銅像に仕上げたそうです。
その思いについて、許文龍氏は、次のように述べています。
(館内の展示資料より)
〈 磯 永吉、末永 仁、両人の胸像を造るに想うこと
台湾における稲作の発展において、磯永吉博士は「蓬萊米の父」、
末永仁農事試験場長は「蓬萊米の母」と尊敬をもってこう呼ばれています。
昔、まだ貧しい時代には食卓で蓬萊米を口にすることは本当に贅沢なこと
でした。私たちは、今の幸せの根源を忘れず、お米を口にするたびに
その恩徳に感謝すべきではないでしょうか。
以前、私はシンガポールに住んでいたことがありますが、
シンガポールでは、その土地に功績を残した英国人を讃え、
その名を通りの名前として残し、あるいは、銅像を建てて
後世にその功績を伝えています。インドにおいてでさえも
英国人の銅像をきちんと残しています。私は、その土地に功績のあった
人々に対し、国籍を問わず敬意をもってその功績を讃え、記念すべきだと
思っています。(以下、略) 許文龍 2012.4.19 〉
許文龍氏は、日本の統治時代の台南に生まれ、日本の教育を受けて
育ちました。
許氏は、常に公平な視点で日本の統治について評価されています。
また、台湾を代表する実業家であり、病院や博物館を設立するなど
積極的に社会貢献をおこなっていらっしゃいます。
許文龍氏訪問についての記事は、こちらへ。
台湾ビールにも、蓬萊米が原料として使われています。
すっきりおいしい台湾ビール |
1928(昭和3)年、日本の第七番目の帝国大学として、設立されました。
現在の大阪大学や名古屋大学よりも前のことです。
1945年、日本の敗戦により、日本の統治時代が終わると、
中華民国政府によって、国立台湾大学となり、現在にいたっています。