3月8日(日)に羽田空港から台北(松山空港)に飛行機で移動し、
新幹線で嘉義(かぎ)、映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」の
舞台となった地、にやってきました。
そして、3月10日(火)、さらに南下して台南の奇美博物館に車で
向かいました。高速道路が台南に近づくと、右手に大きな建物が
見えてきました。「CHIMEI」と大きく表示されています。
許文龍氏が起業された奇美実業です。
しばらくすると、広大な敷地の中に欧米風の大きな建物、
今年一月に開館した奇美博物館が見えてきました。
やっと駐車場に到着しましたが、建物ははるか向こう。
博物館前は、まるでタージマハール(インド)の前庭のようです。
奇美博物館の正面。博物館の建物がはるか向こうに見える |
誘導に従って、さらにぐるっと敷地の外をまわり、
やっと建物の側に車を横付けすることができました。
顧問、副館長、元館長の皆様が外までお出迎えくださり、
ホッとしました。
とにかく大きな博物館で、とても私設の博物館とは思えないほどの
充実したコレクションに圧倒されました。
一時間ほど館内をご案内いただき、その後、
許文龍氏とお会いすることができました。
許文龍氏は、1928(昭和3)年のお生まれ。
日本の統治時代、台南で生まれ育ちました。
1959(昭和34)年、奇美実業を創業、世界有数の化学工業グループに
発展させました。ユニークな経営手法でも知られています。
そして、ご自身のお言葉によれば、創業以来「50年」もの時をかけて、
実現したのが、この博物館の創設です。
大志を抱き、そしてついに実現させたのです。
館内で一時間ほど、許氏とお話させていただき、大変光栄でした。
許氏からは、「なぜ新渡戸稲造の伝記を書いたのですか」などの
質問を受けました。
そして、部屋に飾られている「旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)」
(平成二十五年)、「拓殖大学名誉博士号」(平成二十七年)、
ご自身の作品(絵など)、写真を拝見しました。
許文龍氏は、日本の統治時代に台湾の発展に尽くした日本人たちの
功績に光をあてる活動もされています。
新渡戸稲造博士たちの胸像を、ご自身で制作、またはご発注され、
各地に寄贈していらっしゃいます。
許文龍氏からいただいた本『日本人、台湾を拓く。』(まどか出版)には、
これらの胸像について、書かれていらっしゃいます。
その後、ミュージアムレストランで昼食をいただき、
名残惜しい中、次の目的地、八田記念公園に向かいました。
このような素晴らしい機会を本当にありがとうございました。
許文龍氏、奇美実業と奇美博物館のご関係者のみなさまに心より御礼を申し上げます。
奇美博物館(Chimei Museum)のホームページ(英語)は、
こちらへ。