鳴門市 賀川豊彦記念館を訪問
鳴門市に滞在中のこの日、この地で育った賀川豊彦の記念館を
初めて訪問しました。
神戸で生まれた賀川は、幼くして両親と離れ、父の故郷である徳島で
4歳から16歳まで過ごしました。
同館の一階展示室は、大変充実しており、賀川豊彦の生い立ち、
賀川夫妻の功績をじっくり学ぶことができました。
賀川は、その生涯で多くの社会活動をおこないました。
その一つが、協同組合運動。日本初の医療利用組合の病院を
新渡戸博士と協力して設立しています。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』p.194~
東京医療生協中野総合病院(いまの新渡戸記念中野総合病院)です。
ウェブサイトは、こちら。
鳴門市賀川豊彦記念館の展示より |
また、これまであまり知られていない「国際友和会」についての解説も。
鳴門市賀川豊彦記念館の展示より |
展示解説によりますと、賀川豊彦の自伝的小説『死線を越えて』は、
当時、三部作合計で400万部を超えるベストセラーになり、
いまの価値にして10億円とも言われる印税収入も、
社会運動に当てられたそうです。
三部作:
『死線を越えて』上巻 改造社(1920)
「死線を越えて」中巻 『太陽を射るもの』 改造社(1921)
「死線を越えて」下巻『壁の声きく時』改造社(1924)
並んで世界の三大偉人と呼ばれ、その活動はいまもさまざまな組織で
引き継がれています。
突然の訪問にも関わらず、お話をお聞かせくださいました副理事長の
武知忠義様に御礼を申し上げます。
賀川豊彦 1888年〜1960年
「友愛・互助・平和のために生涯を捧げ、
ノーベル平和賞候補に4度、
ノーベル文学賞候補に2度ノミネートされた偉人」
(同館 パンフレットより)
鳴門市賀川豊彦記念館のウェブサイトは、こちら。