2015年1月6日(火曜日)
少し荒れ気味のお天気の中、太田愛人様と池袋でお目にかかりました。
太田様は、「愛の家」の理事長でいらっしゃいます。
社会福祉法人「愛の家」(東京都豊島区)は、池袋から西武池袋線ですぐの
東長崎駅近くにて、「母子生活支援施設愛の家ファミリーホーム」、
「愛の家保育園」を運営しています。
「愛の家」は、1923(大正12)年の関東大震災の後、
三人の女性有志によって、始まりました。その一人が、
新渡戸稲造博士の養女、新渡戸コトさんです(加藤武子様のお母様)。
太田様ご所蔵の資料によりますと、
財政的な援助については、新渡戸稲造博士のご縁を通じて、
渋沢栄一氏のご尽力によるものが大きかったようです。
そのほか、財閥の各団体や皇室からの下賜金など、
多くの方々の善意により、現在まで実に90年以上も運営を継続しています。
以下、『続々 社会事業に生きた女性たち』(太田氏所蔵)から引用
〈 たとえば、宮内省からの御下賜金は、(昭和)12年から19年まで
続いたが、それは、宮内省に新渡戸稲造の知人(書生の兄)がいて、
その人のはからいであったというように(太田愛人談)、
秀れた人脈に囲まれていたからであったろう。
それでもお金の苦労は絶えなかった。
「ただ、ただ、お金をいただきに歩いたものです」と、現理事長
新渡戸コトは、現寮長に語っている。「渋沢さんのところへは、
よく行きました」とも。そこには、万感の想いが込められている。〉
同書 p.45〜46より
資料によると、新渡戸コトさんは、「愛の家」創始後まもなくご病気に
なり、その後、国際連盟(スイス・ジュネーブ)事務次長に在任中の
新渡戸博士と共にジュネーブに暮らし、一時「愛の家」を離れましたが、
帰国後、理事や理事長を歴任。「愛の家 五十年史」(1973年)の冒頭には、
理事長として序文が掲載されています。
なお、「愛の家」発起人の三人は、
煙山八重、塚原ハマ、新渡戸コト(新渡戸稲造の養女/新渡戸稲造の姉の孫)、
さらに、顧問の一人、羽仁もと子(自由学園創始者、煙山八重の師)は、
盛岡ゆかりの女性たちでした。
参考資料(すべて太田愛人様所蔵):
「愛の家 五十年史」
『天に宝を積んだ人びと 明治キリスト者の気骨』太田愛人/著
(キリスト新聞社 2005年)
『続々 社会事業に生きた女性たちーーーその生涯としごと』
五味百合子/編著 (ドメス出版 1985年)
そのほか、「愛の家保育園」案内書など
当日、久しぶりにお会いした太田様は、午前中、「愛の家」の
大切な行事に理事長としてご出席。面接などもされた後、
三時間もの間、たくさんのお話をお聞かせくださいました。
「田園生活」を大切にされている太田様のお元気ぶりには、
いつも驚かされます。
ご多用の中、本当にありがとうございました。