・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2015/01/16

「愛の家」(東京都豊島区)

2015年1月6日(火曜日)
少し荒れ気味のお天気の中、太田愛人様と池袋でお目にかかりました。
太田様は、「愛の家」の理事長でいらっしゃいます。

社会福祉法人「愛の家」(東京都豊島区)は、池袋から西武池袋線ですぐの
東長崎駅近くにて、「母子生活支援施設愛の家ファミリーホーム」、
「愛の家保育園」を運営しています。

「愛の家」は、1923(大正12)年の関東大震災の後、
三人の女性有志によって、始まりました。その一人が、
新渡戸稲造博士の養女、新渡戸コトさんです(加藤武子様のお母様)。

太田様ご所蔵の資料によりますと、
財政的な援助については、新渡戸稲造博士のご縁を通じて、
渋沢栄一氏のご尽力によるものが大きかったようです。
そのほか、財閥の各団体や皇室からの下賜金など、
多くの方々の善意により、現在まで実に90年以上も運営を継続しています。

以下、『続々 社会事業に生きた女性たち』(太田氏所蔵)から引用

〈 たとえば、宮内省からの御下賜金は、(昭和)12年から19年まで
 続いたが、それは、宮内省に新渡戸稲造の知人(書生の兄)がいて、
 その人のはからいであったというように(太田愛人談)、
 秀れた人脈に囲まれていたからであったろう。
 それでもお金の苦労は絶えなかった。
 「ただ、ただ、お金をいただきに歩いたものです」と、現理事長
 新渡戸コトは、現寮長に語っている。「渋沢さんのところへは、
 よく行きました」とも。そこには、万感の想いが込められている。〉

同書 p.45〜46より

資料によると、新渡戸コトさんは、「愛の家」創始後まもなくご病気に
なり、その後、国際連盟(スイス・ジュネーブ)事務次長に在任中の
新渡戸博士と共にジュネーブに暮らし、一時「愛の家」を離れましたが、
帰国後、理事や理事長を歴任。「愛の家 五十年史」(1973年)の冒頭には、
理事長として序文が掲載されています。

なお、「愛の家」発起人の三人は、
煙山八重、塚原ハマ、新渡戸コト(新渡戸稲造の養女/新渡戸稲造の姉の孫)、
さらに、顧問の一人、羽仁もと子(自由学園創始者、煙山八重の師)は、
盛岡ゆかりの女性たちでした。

参考資料(すべて太田愛人様所蔵):
「愛の家 五十年史」
『天に宝を積んだ人びと 明治キリスト者の気骨』太田愛人/著
(キリスト新聞社 2005年)
『続々 社会事業に生きた女性たちーーーその生涯としごと』
五味百合子/編著 (ドメス出版 1985年)
そのほか、「愛の家保育園」案内書など

当日、久しぶりにお会いした太田様は、午前中、「愛の家」の
大切な行事に理事長としてご出席。面接などもされた後、
三時間もの間、たくさんのお話をお聞かせくださいました。
「田園生活」を大切にされている太田様のお元気ぶりには、
いつも驚かされます。

ご多用の中、本当にありがとうございました。