2015年3月14日(土)国立台湾博物館(台北)
台北の国立台湾博物館(National Taiwan Museum)を訪問しました。
この博物館は、1905年、「児玉総督 後藤民政長官 記念博物館」として建設されました。
新渡戸稲造博士が、児玉源太郎総督と後藤新平民政長官の依頼で
台湾の糖業発展に尽くしたのが、1901年〜1903年ごろですので、
ちょうど同時代です。
現在の建物は、1915年の建造で、台湾国内で最も歴史ある建物の一つです。
完成当時の建物の写真は、こちら。
正面玄関を入ると、大きなエントランスロビーがあり、天井には、
美しいステンドグラスが見えます。
児玉家と後藤家の家紋をデザインしたステンドグラスとのことでした。
このエントランスロビーの両側には、かつて、児玉総督と後藤民政長官の像が
それぞれ設置されていたそうです。
現在は、代わりに大壺が飾られています。
日本の統治時代が終わると、この二人の像は、ここから撤去されました。
長い年月を経て、現在、同館の三階に再び展示されています。
通常は非公開の銅像を特別に見学させていただきました。
向かって左に児玉総督、右に後藤民政長官の像 |
児玉源太郎の像 |
後藤新平の像 |
制作は、彫刻家の新海竹太郎(1868年〜1927年)。
忠実に表現された作品で、後藤新平伯のトレードマーク「鼻眼鏡」の跡も
確認できます。
1900年1月、アメリカで『武士道』を出版したばかりの新渡戸博士は、
児玉総督と後藤新平民政長官の熱心な依頼を受け、
1901年、両氏の下で働き、台湾の農業発展に尽くす決意をし、
後藤新平と運命的な出会いをします。新渡戸博士、39歳。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.114〜p.124
第八章 台湾の砂糖産業と植民地政策)
初めて海外勤務を経験し、児玉総督や後藤民政長官から多くを学び、
自分の専門とする農学の分野で大きな実績を残したことは、
まだ若かった新渡戸博士にとって、大きなステップになったと思われます。
同郷の後藤新平伯とは、このあと、生涯を通じて、師弟、または、
兄弟のような親しい関係が続き、後藤伯の外遊にも同行します。
そして、数年後、後藤伯とパリを訪れていた時に、国際連盟の事務次長の
就任が決まるのです。
この台湾時代が大きな転機になったといえるのではないでしょうか。
同館の初代館長、川上 瀧彌(かわかみ たきや 1971年〜1915年)も
札幌農学校の出身で、北海道のマリモ研究で知られる植物学者。
開館に向けて奔走し、開館の翌日に若くして病死しています。
同館の一階には、台湾の少数民族についての興味深い展示もあります。