新渡戸夫人のメアリーさんが、日本で動物愛護運動をおこなったことは、
伝記『新渡戸稲造ものがたり』でも紹介しました。
以下、同書からの引用ーーーーーー
p.147
日本人道会(Japan Humane Society)動物愛護運動
1915(大正4)年、日本で動物愛護運動の先駆けとなった日本人同会が
生まれました。稲造とメアリーは発起人になり、小日向の自宅で
会合を開きました。動物を深く愛した昭憲皇太后のお名前で、
当時の皇后陛下から活動資金が下賜されました。
活動メンバーは、アメリカのバーネット大佐夫人やメアリーなど
日本に住む外国人が中心で、欧米式の動物愛護精神を日本に広める
という大きな役割がありました。(中略)
当時の日本には、動物を生きものとして扱うという考え方が
まだ広くゆきわたっていなかったからです。
「動物愛は、人類愛の延長である。・・・・・」
と稲造は書いています。
p.148 注
日本人道会(大正五年十一月〜大正六年十月)の幹事
名誉会長 鍋島直人
名誉副会長 後藤新平
理事長 新渡戸萬里子(新渡戸夫人)
専務理事 廣井辰太郎
理事 田島道治
理事 前田多門
理事 鶴見祐輔 ほか
ーーーーー以上、引用終わり
一方、鈴木大拙夫人のビアトリス(Beatrice Lane Suzuki)も
動物の保護活動に精力を注いでいたことがわかっています。
ビアトリス夫人は、北鎌倉の円覚寺正伝庵に、犬猫のための保護施設を
設けていたこと、鎌倉には、新渡戸夫妻も別荘を構えていたことから、
この二人のアメリカ人女性に接点はなかったのでしょうか。
この疑問の答えを探して、数年前に東慶寺で井上住職様(故人)に
相談したことがありました。
井上住職様は、ビアトリス夫人と動物の世話にあたっていた
「関口この」さんという方のご関係者にも照会してくださいましたが、
残念ながら、詳細についてはわかりませんでした。
このたび、松ヶ岡文庫年報の最新刊で、
「鈴木ビアトリスと動物たち 〜松ヶ岡文庫所蔵資料に見る〜」
(日沖直子)が掲載されました。
その論文の中で、次のように書かれています。
↓
円覚寺の敷地内に場所を借り、バーネット夫人や日本人道会の
援助を受けて、捨てられた犬や猫を保護する「バーネット記念動物保護
慈悲園」(Barnett Mercy Animal Shelter、以下慈悲園)が開設されたのである。
(中略)
一般に、日本の動物愛護運動の黎明期においては、日本人男性主導の
動物愛護会と、外国人女性主導の日本人道会の2つの流れがあったことが
先行研究によって指摘されている。前者のメンバーには、牧師出身の
リーダー、広井辰太郎とともに、ユニテリアンや仏教改革派の論者が
多く含まれていた。後者は、形の上では鍋島侯爵などを会長に据えつつ、
実際にはバーネット夫人や新渡戸夫人などアメリカ人女性が中心となって
活動したグループであり、キリスト教的背景を伴っていた。
(ビアトリスは、日本人同会に援助を受けながらも、両者にとらわれない
自由な活動を展開、関口このと二人三脚で実務をこなし、慈善家として
知られていた九条男爵夫人武子や国際的人道家のアルベルト・シュバイツアー
の行き方を鑑み、やがて仏教的な自然観と生物観を模索)
(慈悲園は、特定の団体に属さない独立した施設であり、それゆえ
資金面での問題が深刻であったようだ)
以上、引用、抜粋ーーーー
慈悲園を支援した寄付者リストには、新渡戸夫人の名前もあるようで、
この両夫人の接点、そして、日本における動物愛護にかける共通の
思いがあったことが伺えます。
鈴木大拙や新渡戸稲造を含んだ個人的な関わりがあったかどうかは
わかりませんが、これまで気になっていたことが少し判明しました。
また、当時の国内外の動物愛護運動のこともわかりました。
鈴木大拙は、動物愛護がビアトリスの業績の重要な一部分を占めていたと
考えていたようです。『青蓮仏教小観』の「はしがきと思ひ出」ほか