2014年1月24日(金)16:30〜18:00
第83回アジアセミナー
後藤新平と台湾 近代日本への「遺産」を考える
春山 明哲 氏 (早稲田大学台湾研究所 客員上級研究員)
早稲田大学にて
日比谷図書館の森田様より、ご案内いただきました講演会に出席しました。
1 後藤新平の生涯と事蹟
2 後藤の「台湾経験」
3 台湾旧慣調査と岡松参太郎
4 新渡戸稲造、矢内原忠雄と植民地政策学
5 帝都復興とはなにか 都市計画と自治の精神
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
2014/01/25
2014/01/17
明治の和魂洋才
2014年1月5日(日)〜3月16日(日)
近代日本を支えた江戸・明治の教養 第2部
和魂洋才
明治時代の日本人が希求した、新しい日本のための書物
日比谷図書文化館 特別研究室
展示関連講座
「内田嘉吉文庫に学ぶ 明治の和魂洋才」
2014年1月16日(木)19:00〜21:00
日比谷図書文化館地下1階 日比谷コンベンションホール
「和魂」とはなにか。
これには、さまざまな解釈があるようだ。
新渡戸稲造博士は、『武士道』という著作によって、その説明を試みたといえると思う。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』では、「和魂洋才」について、次のように
記しています。
〈 日本の文化や伝統をよく知り、しかもそれを英語で世界に発信することができた
稲造、内村(鑑三)、岡倉(天心)は、並外れた国際人、英語の達人として
取り上げられることがよくあります。
この三人には、興味深い共通点があります。歳がほとんど同じで、『論語』を
教材にした江戸時代の教育を受け、十歳にある前に明治維新を経験し、
新しい西洋の学問を外国人教師から直接教わったということです。つまり、
伝統的な日本文化と価値観の中で育ち、その上に近代的な西洋の学問を英語で
学んだ、まるで「接ぎ木」のような人間形成が、彼らを真の国際人に育てたのです。
まさに「和魂洋才」です。現在ではもはやありえない、この時代だけの独特な
ものでした。激動の時代に、それを支えたのが、彼らの高い志と強い使命感
だったのです。〉
『新渡戸稲造ものがたり』第七章 世界的な名著『武士道』 p.112〜113
〈 和魂洋才=日本古来の精神を大切にしながら、西洋の技術を取り入れて
発展すること 〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.112下段の注より
江戸時代末期、幕末から明治維新への大きな変革とその後の発展を振り返る時、
活躍した多くの人材が、どういう環境で育ち、教育を受けたのか、
家庭での教育、藩制、国学、陽明学、論語、儒教、神道、徂徠学・・・、
大変興味深く、学ぶべきことが多いと感じています。
内田嘉吉と新渡戸稲造については、こちら。
内田嘉吉文庫については、こちら。
近代日本を支えた江戸・明治の教養 第2部
和魂洋才
明治時代の日本人が希求した、新しい日本のための書物
日比谷図書文化館 特別研究室
展示関連講座
「内田嘉吉文庫に学ぶ 明治の和魂洋才」
2014年1月16日(木)19:00〜21:00
日比谷図書文化館地下1階 日比谷コンベンションホール
「和魂」とはなにか。
これには、さまざまな解釈があるようだ。
新渡戸稲造博士は、『武士道』という著作によって、その説明を試みたといえると思う。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』では、「和魂洋才」について、次のように
記しています。
〈 日本の文化や伝統をよく知り、しかもそれを英語で世界に発信することができた
稲造、内村(鑑三)、岡倉(天心)は、並外れた国際人、英語の達人として
取り上げられることがよくあります。
この三人には、興味深い共通点があります。歳がほとんど同じで、『論語』を
教材にした江戸時代の教育を受け、十歳にある前に明治維新を経験し、
新しい西洋の学問を外国人教師から直接教わったということです。つまり、
伝統的な日本文化と価値観の中で育ち、その上に近代的な西洋の学問を英語で
学んだ、まるで「接ぎ木」のような人間形成が、彼らを真の国際人に育てたのです。
まさに「和魂洋才」です。現在ではもはやありえない、この時代だけの独特な
ものでした。激動の時代に、それを支えたのが、彼らの高い志と強い使命感
だったのです。〉
『新渡戸稲造ものがたり』第七章 世界的な名著『武士道』 p.112〜113
〈 和魂洋才=日本古来の精神を大切にしながら、西洋の技術を取り入れて
発展すること 〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.112下段の注より
江戸時代末期、幕末から明治維新への大きな変革とその後の発展を振り返る時、
活躍した多くの人材が、どういう環境で育ち、教育を受けたのか、
家庭での教育、藩制、国学、陽明学、論語、儒教、神道、徂徠学・・・、
大変興味深く、学ぶべきことが多いと感じています。
内田嘉吉と新渡戸稲造については、こちら。
内田嘉吉文庫については、こちら。
2014/01/16
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器
2014年1月11日(土)〜3月23日(日)
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器 伝統から現代まで、400年の歴史
パナソニック汐留ミュージアム
主催 パナソニック汐留ミュージアム/朝日新聞社
協力 南部鉄器協同組合/企画協力 アートプラニングレイ/後援 港区教育委員会
新渡戸博士の関連で、何度か岩手に行く機会に恵まれ、
地域の伝統工芸にも興味をもち、
汐留でおこなわれている「南部鉄器」の展覧会に行きました。
◆展示説明より抜粋
「南部鉄器の背景としての盛岡のあゆみ」
1817年、南部藩は盛岡藩に改称
1830年以降は、天保の飢饉が引き金となり一揆が多発し、藩政は弱体化した。
幕末に奥羽越列藩同盟に参加し倒幕派と戦ったことから、
明治政府では当初盛岡藩出身者の活動の場は限定されたが、
やがて、内閣総理大臣の原敬、教育者の新渡戸稲造など逸材があらわれ、
日本の近代化に貢献した。
◆第一部 南部鉄器の歴史 伝承される美
江戸時代から現代までの精密な鉄瓶などが展示されています。
例:
6 日新堂南部形鉄瓶 六代小泉仁左衛門 仁栄 1864年 盛岡市先人記念館蔵
(「日新堂」は、幕末、盛岡藩最初の洋学校、1862年)
15 第一回国勢調査記念品鉄瓶 作者不詳 1920年 岩手県立博物館蔵
(1921年、第一回の国勢調査実施)
20 亀甲形鉄瓶 小泉仁左衛門 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(1934年、仙台の国立工芸指導所に勤めていたブルーノ・タウトが
小泉工房を訪れて絶賛した鉄瓶と同様のもの。タウトの日記に記している)
23 編笠形鉄瓶 金澤専治 鶴齋 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(リエージュの万博で金賞受賞した作者による鉄瓶)
◆第二部 南部鉄器の模索・挑戦といま
◆第三部 南部鉄器による空間演出
(以上、展覧会解説より抜粋)
現在では、フランスのティーサロンで、南部鉄器のカラフルなティーポットが
使われるなど、400年の歴史をもつ南部鉄器の真価が見直されているようです。
パナソニック汐留ミュージアムのサイトは、こちら。
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器 伝統から現代まで、400年の歴史
パナソニック汐留ミュージアム
主催 パナソニック汐留ミュージアム/朝日新聞社
協力 南部鉄器協同組合/企画協力 アートプラニングレイ/後援 港区教育委員会
新渡戸博士の関連で、何度か岩手に行く機会に恵まれ、
地域の伝統工芸にも興味をもち、
汐留でおこなわれている「南部鉄器」の展覧会に行きました。
◆展示説明より抜粋
「南部鉄器の背景としての盛岡のあゆみ」
1817年、南部藩は盛岡藩に改称
1830年以降は、天保の飢饉が引き金となり一揆が多発し、藩政は弱体化した。
幕末に奥羽越列藩同盟に参加し倒幕派と戦ったことから、
明治政府では当初盛岡藩出身者の活動の場は限定されたが、
やがて、内閣総理大臣の原敬、教育者の新渡戸稲造など逸材があらわれ、
日本の近代化に貢献した。
◆第一部 南部鉄器の歴史 伝承される美
江戸時代から現代までの精密な鉄瓶などが展示されています。
例:
6 日新堂南部形鉄瓶 六代小泉仁左衛門 仁栄 1864年 盛岡市先人記念館蔵
(「日新堂」は、幕末、盛岡藩最初の洋学校、1862年)
15 第一回国勢調査記念品鉄瓶 作者不詳 1920年 岩手県立博物館蔵
(1921年、第一回の国勢調査実施)
20 亀甲形鉄瓶 小泉仁左衛門 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(1934年、仙台の国立工芸指導所に勤めていたブルーノ・タウトが
小泉工房を訪れて絶賛した鉄瓶と同様のもの。タウトの日記に記している)
23 編笠形鉄瓶 金澤専治 鶴齋 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(リエージュの万博で金賞受賞した作者による鉄瓶)
◆第二部 南部鉄器の模索・挑戦といま
◆第三部 南部鉄器による空間演出
(以上、展覧会解説より抜粋)
現在では、フランスのティーサロンで、南部鉄器のカラフルなティーポットが
使われるなど、400年の歴史をもつ南部鉄器の真価が見直されているようです。
パナソニック汐留ミュージアムのサイトは、こちら。
2014/01/14
「アジア太平洋共同体の可能性」入江昭先生のご講演
2013年度 国際交流基金賞を受賞されました、
入江昭先生(ハーバード大学名誉教授)の記念講演会が、
2013年10月28日、国際文化会館(東京・六本木)で開催され、
聴講させていただきました。
演題「アジア太平洋共同体の可能性」
このたび、NHKラジオ第2で、その講演が公開されました。
(再放送は、2014年1月18日午前6時〜)
講演の中で、入江先生は、「国家中心ではなく、人と人とのつながりを
重視すること」の重要さを強調されていました。
また、「国家単位の歴史ではみえないものがある」として、近年、
新しい歴史の見方があること、また、ご自身も『新世界史』(全6巻)の
刊行に関わっていらっしゃることも明らかにされました。
入江先生は、戦前にも、欧米中心ではない対話関係の構築が、アジア太平洋地域で
開戦直前までおこなわれていたことにも触れました。
これは、新渡戸稲造博士が日本代表を務めていた、太平洋問題調査会の活動を
指しています。
「徹底的にハイブリッド化(雑種化)することはいことだと思う」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
(ハイブリッド=hybrid、元々の意味は、2つ以上の異質のものが組み合わさって
一つを成すこと)
つまり、雑種文化としてみると、アジア太平洋地域は進んでいて、いち早く、
めぐりあいによって雑種化し、知的なつながりがありました。
「歴史の事実は一つ」なのだから、たとえば、中国と日本が同じ教科書を
使うことで、一般の人たちが、歴史を共有するという機運が高まれば、と
結んでいらっしゃいました。
入江先生の受賞および記念講演会については、こちら(国際交流基金のサイト)。
入江昭先生について、ご著書『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書 2005年)から
ご紹介します。
ーーーーーーーーーーーー
入江昭先生は、1934年、東京の護国寺近くでお生まれになり、10歳で終戦。
成蹊高校をご卒業後、グルー基金によって、
アメリカの私立大学の名門ハヴァフォード大学に留学されました。
優秀な成績でご卒業、ハーヴァード大学の大学院に奨学生として入学。
以後、歴史学者としての道を歩みます。
1960年、前田光子様とご結婚。
(お父様は、新渡戸博士の教え子 前田多門氏のご長男、前田陽一氏。
祖父 前田多門、父 前田陽一、叔母 神谷美恵子、各氏については、こちら。)
入江先生は、その後、シカゴ大学(約20年間)などで教鞭をとられました。
ご専門は、米国外交史、国際外交史。
ーーーーーーーーーーーーー
この本には、歴史学者としての国際的なご経験やお考えが書かれており、
大変勉強になりました。
ちなみに、新渡戸稲造博士の養子の孝夫氏も同大学に留学しています。
ハヴァフォード大学については、こちら。(2013年夏に訪問)
夫人の入江光子様は、永井荷風の作品を英訳されています。
入江様ご夫妻とご親交のある高木規矩郎氏が、今回の受賞についてなど、
ご自身のブログに書いていらっしゃいます。
(高木様と私は、鎌倉ペンクラブでご一緒させていただいています)
ブログ「鎌倉の世界登録遺産を考える」の「入江昭先生のこと」は、こちら。
入江昭先生(ハーバード大学名誉教授)の記念講演会が、
2013年10月28日、国際文化会館(東京・六本木)で開催され、
聴講させていただきました。
演題「アジア太平洋共同体の可能性」
このたび、NHKラジオ第2で、その講演が公開されました。
(再放送は、2014年1月18日午前6時〜)
講演の中で、入江先生は、「国家中心ではなく、人と人とのつながりを
重視すること」の重要さを強調されていました。
また、「国家単位の歴史ではみえないものがある」として、近年、
新しい歴史の見方があること、また、ご自身も『新世界史』(全6巻)の
刊行に関わっていらっしゃることも明らかにされました。
入江先生は、戦前にも、欧米中心ではない対話関係の構築が、アジア太平洋地域で
開戦直前までおこなわれていたことにも触れました。
これは、新渡戸稲造博士が日本代表を務めていた、太平洋問題調査会の活動を
指しています。
「徹底的にハイブリッド化(雑種化)することはいことだと思う」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
(ハイブリッド=hybrid、元々の意味は、2つ以上の異質のものが組み合わさって
一つを成すこと)
つまり、雑種文化としてみると、アジア太平洋地域は進んでいて、いち早く、
めぐりあいによって雑種化し、知的なつながりがありました。
「歴史の事実は一つ」なのだから、たとえば、中国と日本が同じ教科書を
使うことで、一般の人たちが、歴史を共有するという機運が高まれば、と
結んでいらっしゃいました。
入江先生の受賞および記念講演会については、こちら(国際交流基金のサイト)。
入江昭先生について、ご著書『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書 2005年)から
ご紹介します。
ーーーーーーーーーーーー
入江昭先生は、1934年、東京の護国寺近くでお生まれになり、10歳で終戦。
成蹊高校をご卒業後、グルー基金によって、
アメリカの私立大学の名門ハヴァフォード大学に留学されました。
優秀な成績でご卒業、ハーヴァード大学の大学院に奨学生として入学。
以後、歴史学者としての道を歩みます。
1960年、前田光子様とご結婚。
(お父様は、新渡戸博士の教え子 前田多門氏のご長男、前田陽一氏。
祖父 前田多門、父 前田陽一、叔母 神谷美恵子、各氏については、こちら。)
入江先生は、その後、シカゴ大学(約20年間)などで教鞭をとられました。
ご専門は、米国外交史、国際外交史。
ーーーーーーーーーーーーー
この本には、歴史学者としての国際的なご経験やお考えが書かれており、
大変勉強になりました。
ちなみに、新渡戸稲造博士の養子の孝夫氏も同大学に留学しています。
ハヴァフォード大学については、こちら。(2013年夏に訪問)
夫人の入江光子様は、永井荷風の作品を英訳されています。
入江様ご夫妻とご親交のある高木規矩郎氏が、今回の受賞についてなど、
ご自身のブログに書いていらっしゃいます。
(高木様と私は、鎌倉ペンクラブでご一緒させていただいています)
ブログ「鎌倉の世界登録遺産を考える」の「入江昭先生のこと」は、こちら。
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