・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
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2022/06/10

フィンランドのオーランド諸島 自治100周年

 2022年6月9日

今日発信されましたフィンランド大使館からのニュースです。

本日自治100周年を迎えているオーランドはかつて、
フィンランドとスウェーデン間の帰属問題に揺れていました。
国際連盟事務次官だった新渡戸稲造を中心に、オーランドのフィンランド帰属を認め、
条件として自治権の確約を求めた「新渡戸裁定」で知られています。

オーランドの帰属問題解決に関する動画(英語)

A digital exhibition on the Åland Islands Solution, produced by Researcher Pertti Hakala and Dr Kennet Gustavsson is available from here. 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

新渡戸博士は、発足したばかりの国際連盟の事務次官に選出され、世界で初めての

国際機関の代表メンバーの一人として活躍されました。


2021/06/28

軽井沢の新渡戸別荘跡地

 2021年6月25日(土曜日)

軽井沢の旧軽井沢近く、新渡戸通り沿いにある新渡戸別荘跡地。

長年、空き地になっていましたが、近年、トラスコ中山株式会社様の保養地に

なったと聞いていましたので、行ってみました。


新渡戸通りから新しくできた建物を見ると、そこには、新渡戸博士の記念碑が

設置されています。






軽井沢らしい趣のある界隈で、苔むした低い石垣、通り沿いの木々はそのまま。




10年前の様子は、こちら

2021/03/16

新渡戸稲造を後藤新平に引き合わせた人物

 2021年3月16日

新渡戸稲造博士は、アメリカで『武士道』を出版した翌年、

後藤新平伯の熱心な説得を受けて、台湾に赴任しました。

1901(明治34)年、後藤新平が台湾総督府の民政長官だった時のことです。

共に岩手出身の二人ですが、それまで面識はなかったようです。

(その後、後藤、新渡戸の二人は親しくなります)

今回、本多静六博士の自伝を読んでいて、本多がドイツ留学時代から

後藤新平を知っていて交流があったこと、そして、新渡戸もまた、

本多の友人であったことがわかりました。さらに、その自伝には

次のように書かれています。

「後藤は、台湾の民政長官となるや、私に顧問として台湾へ出掛け、

いろいろ行政を手伝ってくれぬかと持ち込んで来た。

当時、私は多少の金もでき、仕事も忙しく、また学者としてそうした方面に

手をのばすのもいたずらに妬みの敵を多くするばかり、いわゆる明哲保身の術

ではないと考えたので、友人の新渡戸稲造、河合鈰太郎(かわいしたろう)

両君を推薦して、自分は両君にできない公園計画だけを引き受けることにした」

『本多静六自伝 体験八十五年』本多静六 実業之日本社 2016年 P.216


新渡戸は、台湾総督府の糖務局長として台湾の砂糖産業の発展を担い、

本多は、台湾の北投や亀山一帯の温泉、台北や台南などの公園を設計、

河合は、阿里山鉄道の建設に尽力、「阿里山開発の父」と呼ばれました。





2020/02/01

新渡戸稲造と「安全保障」

2020年1月28日(火曜日)

交詢社「安全保障研究会」新年会

真の国際人が遺した平和へのメッセージ
新渡戸稲造と「安全保障」

上記の新年会にお招きいただきまして、お話をいたしました。

ちょうど、60年前の今月(1月)19日、ワシントンで日米安全保障条約に
署名がおこなわれ、外務省飯倉公館で記念のレセプションが開催された
ばかりというタイミングでしたが、今回は別のテーマで・・・

まずはじめに、日本で初めての社交クラブ、交詢社の創設者 福澤諭吉先生と
新渡戸稲造先生の接点について、伝記『新渡戸稲造ものがたり』からご紹介。

最近の自分のテーマであり、若い世代にも伝えたいこととして、
「歴史や先人に学び、ビジョンをもとう」

そして、本題 新渡戸稲造と「安全保障」として、
1 国際連盟 オーランド諸島の問題
2 国際連盟 国際知的協力委員会(ユネスコの前身)
3 IPR(太平洋問題調査会)

新渡戸博士の平和に向けた思いを継いだ事業として国際文化会館の設立、
新渡戸家の書生であった田島道治氏(初代宮内庁長官)の皇室への貢献。

山中伸弥先生の「ビジョンの話」など、

過去や現在のジュネーブの写真などもご覧いただきながら、約一時間。
その後、30分ほどの質疑応答でした。

このたびは、貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございました。
おかげさまで、オーランド諸島問題についての最近の論文を勉強する機会にも
なりました。
歴史ある交詢社(明治13年創設の会員制クラブ)にお招きいただき、
大変光栄でした。
関係者の皆様に心より御礼を申し上げます。



2019/07/30

「友愛・互助・平和」鳴門市賀川豊彦記念館

2019年7月14日(日曜日)
鳴門市 賀川豊彦記念館を訪問

鳴門市に滞在中のこの日、この地で育った賀川豊彦の記念館を
初めて訪問しました。
神戸で生まれた賀川は、幼くして両親と離れ、父の故郷である徳島で
4歳から16歳まで過ごしました。



同館の一階展示室は、大変充実しており、賀川豊彦の生い立ち、
賀川夫妻の功績をじっくり学ぶことができました。

賀川は、その生涯で多くの社会活動をおこないました。
その一つが、協同組合運動。日本初の医療利用組合の病院を
新渡戸博士と協力して設立しています。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』p.194~

東京医療生協中野総合病院(いまの新渡戸記念中野総合病院)です。
ウェブサイトは、こちら

鳴門市賀川豊彦記念館の展示より

また、これまであまり知られていない「国際友和会」についての解説も。

鳴門市賀川豊彦記念館の展示より


展示解説によりますと、賀川豊彦の自伝的小説『死線を越えて』は、
当時、三部作合計で400万部を超えるベストセラーになり、
いまの価値にして10億円とも言われる印税収入も、
社会運動に当てられたそうです。

 三部作: 
 『死線を越えて』上巻 改造社(1920)
 「死線を越えて」中巻 『太陽を射るもの』 改造社(1921)
 「死線を越えて」下巻『壁の声きく時』改造社(1924)
そして、戦後は、世界平和を訴え、ガンジーやシュバイツアーと
並んで世界の三大偉人と呼ばれ、その活動はいまもさまざまな組織で
引き継がれています。

突然の訪問にも関わらず、お話をお聞かせくださいました副理事長の
武知忠義様に御礼を申し上げます。

賀川豊彦 1888年〜1960年

「友愛・互助・平和のために生涯を捧げ、
 ノーベル平和賞候補に4度、
 ノーベル文学賞候補に2度ノミネートされた偉人」
(同館 パンフレットより)

鳴門市賀川豊彦記念館のウェブサイトは、こちら




2019/03/22

寒川神社(神奈川県)の神苑

2019年3月21日(祝)春分の日

朝早く、寒川神社に向かいました。
この日は、春分の日(二至二分の日)。
日本を横断するレイライン(光の道)、日の出・日の入の位置を
直線で結ぶと、相模国一之宮寒川神社・富士山・竹生島・
元伊勢(皇大神社)・出雲大社が線上にあります。



本殿の真裏にある泉(御神水)の湧水は、相模川の伏流水で、
山中湖(富士山の湧水)が源流だそうです。

祈祷の後、神苑を訪れました。
ここは、カナダの新渡戸記念庭園の改修デザインをされた、
枡野俊明氏のデザインによる、素晴らしい庭園です。
ご本人からお話を伺っていましたので、ずっと訪問したかったお庭を
やっと拝見できました!




カナダの新渡戸記念庭園は、こちら

2019/03/04

サンフランシスコの金門学園

2019年初春

知人の加藤シオー様・睦子様ご夫妻(サンフランシスコ在住)より、
金門学園と、毎年恒例の行事について、お知らせいただきました。
新渡戸稲造博士は、設立時の金門学園と深いご縁があります。
以前の記事ついては、こちらへ。


書き初めの審査員、書家・加藤シオー氏と子どもたち

鏡会(サンフランシスコ餅つき保存会)による餅つきパフォーマンス
    鏡の文字も加藤シオー氏

最近、歴史ある金門学園の取り壊しの動きが出ているようです。
金門学園の付近には、日本や日系人ゆかりの地や建物が多くあります。
日米の友好の証ともいえる、大切な歴史的建造物が大切に保存され、
両国の交流、文化継承や紹介の伝統が末長く引き継がれ、
先人たちの思いが、将来も語り継がれるよう、切に願います。

加藤シオー様・睦子様ご夫妻
サンフランシスコアジア美術館、大書パフォーマンスにて


下記、加藤睦子様がお書きになった記事を、ご本人の許可をいただきましたので
紹介します。


書・習字・書き初め、餅つきと金門学園
         アーティスト・書家・加藤シオー、童話作家・加藤睦子

  金門学園が、年初に毎年取り組まれている書道、「書き初め」の審査の依頼を、
私が初めて受けて、書道の審査と、大きな筆を使っての書のデモンストレーション
、そして鏡会の餅つきパフォーマンスを行って来て、早、15年ほどが経ちました。
その時初めて体験する「書き初め」と、大書パフォーマンスと、生徒も先生も両親
も一緒の餅つきは、毎年、子どもたちが生き生きと目を輝かせ、歓声を上げて喜ん
でくれる、大変活気ある場となります。
その最初の書き初め大会で金賞を取ったK君は、日本語に目覚め、言語学に興味
を持ち、今も現場での研究に励んでいること、また、金門学園の生徒たちが、それ
ぞれに家族を持ち、2019年は、S君、R君の子どもたちが、書き初めと餅つきに参加
していることに、驚きで一杯となり、嬉しい限りでした。

私たち夫婦が、サンフランシスコへやってきたのは、1971年でしたが、金門学園
は、今年110年の歴史を持ち、あまたの子供たちが社会に貢献する社会人として育ち
、金門学園が日系社会の記念碑的な大きな存在となっていること、そこに「書き初
め」の審査員として関わってきたことに、大きな喜びを感じています。

かの「武士道」の著書で、欧米の日本研究者や、トルーマン大統領に多大な感銘
を与えたことで著名な新渡戸稲造博士が、1911年、金門学園の創設時に関わり、何
度も訪問していたことを知った時は、その愛深き生き様に尊敬の念を抱いていただ
けに、不思議な縁と感動を覚えたものです。

また、昭和天皇は1933年及び35年 に、1960年9月25日には、現在の天皇(当時は
皇太子)皇后両陛下も金門学園を訪ねられ、200人の生徒たちが出迎え、ブッシュ
街に1,000人の人々が溢れたと聞いています。その時、陛下は「どうか日本語と日本
文化をしっかり勉強してください。そして、米国の立派な市民となれるよう望みま
す」という、温かいお言葉を残されています。

 日本は平成から新しい元号へと、そして世界中の国々が変化の嵐に見舞われ、一発
触発さえ危惧する時代の流れの中で、子を持つ親御さんたちの想いは、如何なるも
のだろうかと思わずにはおれません。金門学園のお正月イベント、書き初め、競書
、鏡会による餅つきイベントなどの日本文化を、生徒、父兄、教師の皆さんと共に
体験し伝承していくことは、私たちの魂の中に宿る人間本来の精神性、日本人の精
神性が、子どもたちの心の中心軸に直結する、大切な機会になると確信しています

金門学園は110年の歴史と共に、今後も、日系日本人の子弟になくてはならない優
れた教育機関であることを確証し、今後の発展を祈り、見守り続けて行きたく思い
ます。

2018/05/05

㊗️東京女子大学創立100周年

2018年4月30日(月曜日・祝日) 晴れ

素晴らしい春晴れになりました。
本日、東京女子大学創立100周年の式典に参列しました。
講堂での式典に続き、懇親会がおこなわれました。
新渡戸稲造博士は、同大学の初代学長です。
新渡戸記念室では、100周年記念展も開催されています。

心よりお祝いを申し上げます。






2017/05/04

金門学園(サンフランシスコ)を訪問

2017年5月3日(水)

サンフランシスコの日本人街にある「金門学園」
(Golden Gate Institute)を訪ねました。
この学園は、日系人の子どもたちのために設立されました。
当時、日本人はアメリカの学校に通うことができなかったからです。




1911年1月18日、この地(2031 Bush Street)の建物を借りて
校舎にすることになり、
翌月、新渡戸博士は、鎌田政令(かまたまさよし)を
校長に推薦しました。
4月15日に開校式がおこなわれ、17日から授業が正式に
始まります。
生徒は、12人の幼稚園児、12人の幼児、そのほか21人。

学園の入り口近くの壁に当時の写真が掲げられています。
日付は、設立の年、1911年の11月。




新渡戸博士とメアリー夫人の姿も

1960(昭和35)年9月25日、
この学園には、現在の天皇(当時は皇太子)皇后両陛下も訪れています。
前日、日航特別機でホノルルから到着された両陛下は、
午前9時15分、200人の生徒たちが出迎え、ブッシュ街には1000人の
人々であふれました。

「どうか日本語と日本文化をしっかり勉強してください。
そして、米国の立派な市民となれるよう望みます」
というお言葉を陛下は残されています。
授業参観後、9時55分に出発されました。
(同学園の掲示資料より)





平成25年、同学園は、外務大臣賞を、さらにサンフランシスコ市長賞を
受賞しています。



美しいタイルで縁取られた正面玄関




東京女子大学の園遊会

2017年4月29日(土曜日・祝日)

東京女子大学で毎春おこなわれている園遊会に伺いました。
当日は、とてもよいお天気に恵まれ、
「日本一美しい」(と紹介の中にありました!)キャンパスツアーにも
参加しました。




正面玄関を入って正面の本館の2,3階が、新渡戸記念室です。
現在、創立100周年(2018年)の展示がおこなわれています。





キャンパスでは、湊晶子先生(元学長、現在は広島女学院大学学長)と
前庭でお目にかかりました。
久しぶりの嬉しい再会でした。





今回、同窓生の野崎順子様にお誘いいただきました。
おかげさまで、東京女子大学の歴史やキャンパスについて
新たに学ぶことができ、楽しい一日でした。
ありがとうございました。


2016/10/28

「続 あの人の直筆」

2016年10月25日(火曜日)
国立国会図書館(東京都・千代田区)東京本館 新館展示室
平成28年度 企画展示
「続 あの人の直筆」

フロアレクチャーに参加しました。
講師は、季武(すえたけ)嘉也 氏
(創価大学文学部教授 国立国会図書館客員調査員)

「文化財の行方」「文字について」「江戸時代の鑑定」のお話のあと、
実際の直筆文書を解説いただきながら、見学しました。
新渡戸稲造博士は、【第三部 近現代】の教育家として、
直筆文書一点が展示紹介されていました。

そのほかに、近現代の人々としては、
後藤新平、石橋湛山、賀川豊彦、新島襄、柳田國男、夏目漱石、
朝倉文夫の各氏など、新渡戸博士ゆかりの方々の直筆も展示。

新渡戸稲造
展示資料番号 69
新渡戸稲造書簡 昭和2(1927)年7月16日 
請求記号 鶴見祐輔関係文書(書簡の部)514-4

「鶴見祐輔あて」と紹介されていますが、実際には、
東京帝国大学教授時代の教え子である鶴見祐輔が刊行した
『北米遊説記』を読んだ感想を、出版社「大日本雄弁会講談社」の便箋に
書いた書評と思われる。
日付は、昭和2(1927)年7月16日、消印は同日、軽井沢。

内容は、
「・・・一般社会は海外の奉仕の如何なるものかを知らぬ。
 外国働きをする者は、単に才能や手腕に長ずるだけでは事たらぬ。
 心中、確信と犠牲と奉仕の念の強きを欠くべからざる条件とする」
(以上、一部抜粋)

1927年は、国際連盟事務次長を退任して帰国した翌年。
海外での自身の働きについての思いも重なる内容である。
また、「鶴見の後継者となるべき人物の出現に期待」している。

展覧会は、11月12日(土曜日)まで。展示替えもありますが、新渡戸博士の
直筆は会期中ずっと展示の予定。



2016/10/04

佐藤昌介先生ゆかりの地とお声

2016年10月1日(土曜日)午後

市民のための「新渡戸教室」の終了後、
市内の佐藤昌介先生ゆかりの地にご案内いただきました。

市民のための「新渡戸教室」 花巻新渡戸記念館

2016年10月1日(土曜日)
10時30分〜
花巻市立 花巻新渡戸記念館

市民のための「新渡戸教室」
「新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて」 柴崎 由紀

朝一番の新幹線で、東京駅から新花巻駅に向かいました。
東京は小雨の降るお天気でしたが、東北に近づくにつれて
空が高くなり、すっきりした青空の広がる新花巻駅に到着。
この日は、国体の初日。46年ぶりの岩手県での開催です。
天皇皇后両陛下も、すでに花巻にご滞在中です。

新渡戸稲造博士のご先祖の地 花巻の花巻新渡戸記念館にお招きいただき、
下記のような内容のお話を準備しました。

1 はじめに(自己紹介)

     伝記『新渡戸稲造ものがたり』ができるまで

        ・ルーズベルト大統領からの贈物「時計」(花巻新渡戸記念館で展示)
   と 鎌倉の河野家についてご紹介

2 小さな旅へご案内
     「新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて」
  アメリカ・イギリス(ロンドン)・スイス(ジュネーブ)・カナダ
  ~ 非公開資料と取材裏話 ~

  ・約50枚の写真をご覧いただきながら、小さな旅へご案内

3 一人の人物の生涯を通じて学ぶこと
  日本の子どもたち/若者たちへの思い

4    新渡戸稲造夫妻と山室軍平・山室機恵子(花巻出身)夫妻

5 質疑応答(Q&A)

この日は、宗徧流のお茶の先生がたが、お茶席をご用意くださり、
来館者さんたちは、お菓子とお茶も楽しみました。

晴天の休日、そして、国体開会式の日にもかかわらず、お参加いただきました
市民の方々、嶽間澤 茂 館長様、菊池喜一 副館長様をはじめ、ご関係者の皆様に
心より御礼を申し上げます。

2016/07/20

1900年のパリ万博

2016年7月16日 有田(佐賀県)

九州滞在中のこの日、初めて有田にご案内いただきました。
有田焼きで有名なこの地を訪問するのを大変楽しみにしていました。

深川製磁様の忠次館で、思いがけず、1900年パリ万博に出品し金賞を受賞した
大花瓶を拝見することができました。

忠次館の内部 右奥にパリ万博で受賞した大花瓶

深川製磁様発行の資料(左が受賞作品の大花瓶)

新渡戸稲造博士は、このパリ万博で審査員をされました。
1900年1月、アメリカにて、英語による『武士道』を出版、
同年4月、パリで審査員。
夏ごろまでヨーロッパに滞在し、ジャンヌ・ダルクの史跡なども
巡っています。

◆1900年第五回パリ万博◆ 
1900年4月15日〜10月12日
入場者数:5086万1,000人(国会図書館ホームページより)


今年(2016年)は、有田焼き創業400年。
長い伝統を現代に引き継いでいます。

レンガの壁が美しい忠次館

忠次館 入口

◆深川製磁◆
1894(明治27)年、深川忠次氏により設立。
「世界一のやきもの作り」をめざしました。
1900(明治33)年、パリ万博に出品した2メートルにも及ぶ、対の大花瓶
「染錦金襴手丸紋鳳凰文様」は、高い工芸性と洗練されたデザインが評価され
金賞 Medaille D'or (gold medal) を受賞しています。
同社は、その伝統を現在も受け継ぎ、皇室のご注文品も制作しています。

このたびは、明治時代から使用されている工房も特別に見学
させていただきました。


貴重な木造建築、そして、人から人へと伝承され続けている技術など、
伝統の素晴らしさを実感しました。
また、資料室にて、歴代の貴重な作品を拝見させていただきました(非公開)。
素晴らしい機会を本当にありがとうございました。



2016/05/07

近衛文麿首相の別邸「荻外荘」

2016年5月6日(金曜日)午後6時〜
講演会「近衛ファミリーの昭和」
講師:工藤美代子氏
セシオン杉並ホール

新渡戸博士が旧制第一高等学校の校長だった時の教え子の

一人で、戦前に総理大臣を3度にわたって務めた近衛文麿公爵の
別邸「荻外荘(てきがいそう)」が、このたび、国の史跡に
指定されました。
この別邸では、「荻窪会談」(昭和15年)など
重要な政治会談もおこなわれました。
終戦後、1945(昭和20)年12月6日、GHQより逮捕令が発せられ、
出頭当日の12月16日早朝、
近衛元首相は、荻外荘の書斎にて自決しました。


近衛文麿(1891年〜1945年)首相は、新渡戸博士の没後、

次のような内容の追悼文を書いています。

私が初めて新渡戸先生を知ったのは、

学習院中等科の在学中、一高の新渡戸校長が学習院で講演。
あれほど感動したことはなかった。
一高を受験。新渡戸先生が校長であるということが主な動機であった。

先生は私の父とドイツのボン大学で一緒だった。


入学すると、毎週一回の修身講和を聞き、

「人格の完成、自分自身を反省して掘り下げていくこと、
名誉や立身出世は究極の価値あるものではない」ことを教えられ、
貴重な感化を受けた。
大学卒業後、先生が「なにをやるのか」と言われるので、
「なにをしたらよいか」と尋ねたら、
「君は立場が違う。一通りいろいろなことを心得ておくことがよい」
「あらゆる人とつきあってみよ」
と助言を受けた。
先生は、当時、内務大臣だった後藤新平さんに話をしてくれ、
私は、内務省文書課に行った。 

「新渡戸稲造全集」別巻一 p.170〜「新渡戸先生」より抜粋


記念特別展 「荻外荘」と近衛文麿

平成28年4月29日〜5月29日
杉並区立郷土博物館

2016/05/01

益子 ナンドール ギャラリー

2016年4月30日(土曜日)

栃木県益子(ましこ)の「ワグナー・ナンドール アートギャラリー」を
再訪しました。
ここは、故ワグナー・ナンドール氏の自宅兼アトリエでした。
現在は、奥様の千代様がお住みになり、春と秋に一カ月ずつ
公開されています。
お庭やギャラリーが美しく、大変興味深く、大好きな場所の一つです。






ワグナー氏は、ハンガリー出身の彫刻家。
その数奇な生涯は、下村徹氏のご著書『ドナウの叫び 
ワグナー・ナンドール物語』で詳しく描かれています。
同書によると、ワグナー氏は幼い時、祖父(オーストリア・
ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の侍従武官長)から
「ブシドー(武士道)」について教えられ、
新渡戸博士の著書『武士道』を紹介されています。

代表作「哲学の庭」は、ワグナー氏の宗教観、思想観が表現されています。
新渡戸博士の「諸宗教の根底にあるもの」にも通じる世界観と思います。







Wagner Nandor(和久奈 南都留)1922年〜1997年(1975年、日本に帰化)

ワグナー・ナンドール記念財団のホームページは、こちら


2015/12/20

旧制一高の教え子、谷崎潤一郎

2015年12月12日(土曜日)

新渡戸稲造博士との関わりも深い聖路加国際病院/大学。
このあたりは、作家の谷崎潤一郎が幼少期を過ごしたところでも
あります。
谷崎潤一郎(1886年〜1965年)は、
新渡戸博士が旧制第一高等学校の校長時代の教え子の一人でもあります。
谷崎は、在校時、文芸部に所属し、校友会雑誌に作品を発表していました。

聖路加国際病院のすぐ前の会場(中央区立郷土天文館)で、
企画展「谷崎潤一郎と日本橋 〜文豪のルーツをたどる〜」が
偶然にも開催されていましたので、見学させていただきました。




前列中央に新渡戸校長、左隣が谷崎