2022年6月9日
今日発信されましたフィンランド大使館からのニュースです。
↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新渡戸博士は、発足したばかりの国際連盟の事務次官に選出され、世界で初めての
国際機関の代表メンバーの一人として活躍されました。
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
2022年6月9日
今日発信されましたフィンランド大使館からのニュースです。
↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新渡戸博士は、発足したばかりの国際連盟の事務次官に選出され、世界で初めての
国際機関の代表メンバーの一人として活躍されました。
2021年6月25日(土曜日)
軽井沢の旧軽井沢近く、新渡戸通り沿いにある新渡戸別荘跡地。
長年、空き地になっていましたが、近年、トラスコ中山株式会社様の保養地に
なったと聞いていましたので、行ってみました。
新渡戸通りから新しくできた建物を見ると、そこには、新渡戸博士の記念碑が
設置されています。
軽井沢らしい趣のある界隈で、苔むした低い石垣、通り沿いの木々はそのまま。
10年前の様子は、こちら。
2021年3月16日
新渡戸稲造博士は、アメリカで『武士道』を出版した翌年、
後藤新平伯の熱心な説得を受けて、台湾に赴任しました。
1901(明治34)年、後藤新平が台湾総督府の民政長官だった時のことです。
共に岩手出身の二人ですが、それまで面識はなかったようです。
(その後、後藤、新渡戸の二人は親しくなります)
今回、本多静六博士の自伝を読んでいて、本多がドイツ留学時代から
後藤新平を知っていて交流があったこと、そして、新渡戸もまた、
本多の友人であったことがわかりました。さらに、その自伝には
次のように書かれています。
「後藤は、台湾の民政長官となるや、私に顧問として台湾へ出掛け、
いろいろ行政を手伝ってくれぬかと持ち込んで来た。
当時、私は多少の金もでき、仕事も忙しく、また学者としてそうした方面に
手をのばすのもいたずらに妬みの敵を多くするばかり、いわゆる明哲保身の術
ではないと考えたので、友人の新渡戸稲造、河合鈰太郎(かわいしたろう)
両君を推薦して、自分は両君にできない公園計画だけを引き受けることにした」
『本多静六自伝 体験八十五年』本多静六 実業之日本社 2016年 P.216
新渡戸は、台湾総督府の糖務局長として台湾の砂糖産業の発展を担い、
本多は、台湾の北投や亀山一帯の温泉、台北や台南などの公園を設計、
河合は、阿里山鉄道の建設に尽力、「阿里山開発の父」と呼ばれました。
鳴門市賀川豊彦記念館の展示より |
鳴門市賀川豊彦記念館の展示より |
![]() |
書き初めの審査員、書家・加藤シオー氏と子どもたち |
![]() |
鏡会(サンフランシスコ餅つき保存会)
鏡の文字も加藤シオー氏
|
![]() |
加藤シオー様・睦子様ご夫妻 サンフランシスコアジア美術館、 |
新渡戸博士とメアリー夫人の姿も |
忠次館の内部 右奥にパリ万博で受賞した大花瓶 |
![]() |
深川製磁様発行の資料(左が受賞作品の大花瓶) |
レンガの壁が美しい忠次館 |