新渡戸稲造博士は、著書『東西相触れて』の中で、
「波蘭(ポーランド)の国宝」というエッセイを書いています。
「端西(スイス)のチューリッヒ湖水の傍にラッパーズヴィルという
小部落がある。・・・この町より一段高い所に六百年以前に築かれた
旧城がある。・・・この城をある有志家が買い求めて波蘭の史蹟を
保存する博物館とした。この館に収むるものは、・・・故国のために
悲惨なる運命を荷なった人々の衣服、書翰(書簡)、武器、肖像、
著述そのほか何ものにもよらず、所詮波蘭の国事に殉死した志士に
関するものをここに収めたのである。・・・これを衛るべき場所が
本国には得られぬ故、中立国なる端西(スイス)にして始めて
この保存を委ねらるるのである。
我輩も再三これを見舞うて、その都度不覚の涙を流した。」
新渡戸稲造全集 第一巻 p.243-245「「波蘭(ポーランド)の国宝」
チューリッヒ滞在中、新渡戸博士が何度も足を運んだこの博物館を
訪ねました。
チューリッヒから、電車で約40分。車窓からチューリッヒ湖の美しい
眺めを楽しみながら、ラッパーズヴィルへ。
新渡戸博士が訪問した当時と変わらず、博物館はこのお城の中に
あります。
この博物館はポーランドの歴史とともにいろいろな変遷を経て、
今日にいたっています。
お城の入口 |
博物館の入口 |
館の説明文によると、入口に掲げてある紋章の三つの掲示板は、
当時からのオリジナルのようです。
新渡戸博士も目にしたことでしょう。
1927年の博物館内の展示 |
現在の博物館は、1954年に開館。
1989年、民主化によってポーランドが共和国となった後、博物館はポーランドのほかの博物館や図書館などとともに運営される
ようになり、1990年、現在の展示になりました。
ポーランドの偉人として、キュリー夫人の紹介コーナーがありました。
新渡戸博士が訪れた当時、新渡戸博士は、まさにキュリー夫人らと共に、
国際知的協力委員会(のちのユネスコ)を発足したころです。
実際に使用していたキュリー夫人の実験道具 |
スイスの友人たちにとっては、このポーランド博物館だけが、
特別なものではないようです。
スイスは、ほかの国からもさまざまなものや移民を受け入れて
きている国なのです。
受け入れる中立国としてのスイス、故国の貴重な品々を国外で保存
しなければならない事情があった国々。
それぞれの立場や心情を察すると、
新渡戸博士のみならず、感慨深い思いがあります。