2014年4月12日(土)午前6時〜
NHKラジオ第2「文化講演会」で、新渡戸稲造博士についての
講演会の放送があります。
「新渡戸稲造の教養と修養」
講演:斎藤 兆史(東京大学教育学部教授)
農学者・教育者の新渡戸稲造(1862-1933)は、高度な教養を身につけた国際人として、
また「太平洋の架け橋」として世界を舞台に活躍する一方、
修養に関する啓蒙的な著作によって大衆を教化した。
彼はいかにして教養を身につけ、そしていかなる考え方に基づいて修養を説いたのか。
講演では、新渡戸稲造の著作や伝記から浮かび上がる彼の教養と修養のありようを解き明かし、そこから現代の我々は何を学び得るかを論じる。
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
2014/04/10
2014/03/14
シンポジウム「新渡戸稲造とこれからのグローバル化」
国際シンポジウム:
新渡戸稲造とこれからのグローバル化
ー『武士道』と国際人ー
日時:2014年3月21日(金・祝)
13:00〜18:00 開場:12:30
会場:ステーションコンファレンス東京 605室
東京都千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー6階
定員:約200名
(参加費無料、事前予約不要、途中入退室可)
使用言語:日本語
主催:北海道大学文学研究科・文学部
お問い合わせ:文学研究科・研究推進室(011-706-4083)
プログラム
司会:佐々木 啓(北海道大学大学院文学研究科教授)
開会挨拶(13:00~13:10):𢎭 和順(北海道大学大学院文学研究科長)
第1部 講演: 国際人 新渡戸稲造(13:10~16:00) →各講演の要旨はこちらです
①「新渡戸稲造と札幌農学校の国際人」(13:10~14:00)
ミシェル・ラフェイ(北海道教育大学准教授)
②「二十一世紀に読む『武士道』」(14:10~15:00)
トレント・マクシ(米国アマースト大学准教授)
③「新渡戸稲造の光と影」(15:10~16:00)
権 錫永(北海道大学大学院文学研究科教授)
第2部 パネルディスカッション: 人文学研究のグローバル化とその可能性(16:20~17:50)
・コーディネーター
曽根 優 (NHKアナウンサー/北海道大学文学部出身)
・パネリスト
トレント・マクシ (米国アマースト大学准教授)
ミシェル・ラフェイ (北海道教育大学准教授)
権 錫永 (北海道大学大学院文学研究科教授)
日野 峰子 (会議通訳者/北海道大学文学部出身)
白木沢 旭児 (北海道大学大学院文学研究科教授)
閉会挨拶(17:50~18:00) 新田 孝彦(北海道大学理事・副学長)
曽根 優 (NHKアナウンサー/北海道大学文学部出身)
・パネリスト
トレント・マクシ (米国アマースト大学准教授)
ミシェル・ラフェイ (北海道教育大学准教授)
権 錫永 (北海道大学大学院文学研究科教授)
日野 峰子 (会議通訳者/北海道大学文学部出身)
白木沢 旭児 (北海道大学大学院文学研究科教授)
閉会挨拶(17:50~18:00) 新田 孝彦(北海道大学理事・副学長)
2014/02/11
矢内原忠雄が語る「私の人生遍歴」
2014/01/25
後藤新平と台湾 近代日本への「遺産」を考える
2014年1月24日(金)16:30〜18:00
第83回アジアセミナー
後藤新平と台湾 近代日本への「遺産」を考える
春山 明哲 氏 (早稲田大学台湾研究所 客員上級研究員)
早稲田大学にて
日比谷図書館の森田様より、ご案内いただきました講演会に出席しました。
1 後藤新平の生涯と事蹟
2 後藤の「台湾経験」
3 台湾旧慣調査と岡松参太郎
4 新渡戸稲造、矢内原忠雄と植民地政策学
5 帝都復興とはなにか 都市計画と自治の精神
第83回アジアセミナー
後藤新平と台湾 近代日本への「遺産」を考える
春山 明哲 氏 (早稲田大学台湾研究所 客員上級研究員)
早稲田大学にて
日比谷図書館の森田様より、ご案内いただきました講演会に出席しました。
1 後藤新平の生涯と事蹟
2 後藤の「台湾経験」
3 台湾旧慣調査と岡松参太郎
4 新渡戸稲造、矢内原忠雄と植民地政策学
5 帝都復興とはなにか 都市計画と自治の精神
2014/01/17
明治の和魂洋才
2014年1月5日(日)〜3月16日(日)
近代日本を支えた江戸・明治の教養 第2部
和魂洋才
明治時代の日本人が希求した、新しい日本のための書物
日比谷図書文化館 特別研究室
展示関連講座
「内田嘉吉文庫に学ぶ 明治の和魂洋才」
2014年1月16日(木)19:00〜21:00
日比谷図書文化館地下1階 日比谷コンベンションホール
「和魂」とはなにか。
これには、さまざまな解釈があるようだ。
新渡戸稲造博士は、『武士道』という著作によって、その説明を試みたといえると思う。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』では、「和魂洋才」について、次のように
記しています。
〈 日本の文化や伝統をよく知り、しかもそれを英語で世界に発信することができた
稲造、内村(鑑三)、岡倉(天心)は、並外れた国際人、英語の達人として
取り上げられることがよくあります。
この三人には、興味深い共通点があります。歳がほとんど同じで、『論語』を
教材にした江戸時代の教育を受け、十歳にある前に明治維新を経験し、
新しい西洋の学問を外国人教師から直接教わったということです。つまり、
伝統的な日本文化と価値観の中で育ち、その上に近代的な西洋の学問を英語で
学んだ、まるで「接ぎ木」のような人間形成が、彼らを真の国際人に育てたのです。
まさに「和魂洋才」です。現在ではもはやありえない、この時代だけの独特な
ものでした。激動の時代に、それを支えたのが、彼らの高い志と強い使命感
だったのです。〉
『新渡戸稲造ものがたり』第七章 世界的な名著『武士道』 p.112〜113
〈 和魂洋才=日本古来の精神を大切にしながら、西洋の技術を取り入れて
発展すること 〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.112下段の注より
江戸時代末期、幕末から明治維新への大きな変革とその後の発展を振り返る時、
活躍した多くの人材が、どういう環境で育ち、教育を受けたのか、
家庭での教育、藩制、国学、陽明学、論語、儒教、神道、徂徠学・・・、
大変興味深く、学ぶべきことが多いと感じています。
内田嘉吉と新渡戸稲造については、こちら。
内田嘉吉文庫については、こちら。
近代日本を支えた江戸・明治の教養 第2部
和魂洋才
明治時代の日本人が希求した、新しい日本のための書物
日比谷図書文化館 特別研究室
展示関連講座
「内田嘉吉文庫に学ぶ 明治の和魂洋才」
2014年1月16日(木)19:00〜21:00
日比谷図書文化館地下1階 日比谷コンベンションホール
「和魂」とはなにか。
これには、さまざまな解釈があるようだ。
新渡戸稲造博士は、『武士道』という著作によって、その説明を試みたといえると思う。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』では、「和魂洋才」について、次のように
記しています。
〈 日本の文化や伝統をよく知り、しかもそれを英語で世界に発信することができた
稲造、内村(鑑三)、岡倉(天心)は、並外れた国際人、英語の達人として
取り上げられることがよくあります。
この三人には、興味深い共通点があります。歳がほとんど同じで、『論語』を
教材にした江戸時代の教育を受け、十歳にある前に明治維新を経験し、
新しい西洋の学問を外国人教師から直接教わったということです。つまり、
伝統的な日本文化と価値観の中で育ち、その上に近代的な西洋の学問を英語で
学んだ、まるで「接ぎ木」のような人間形成が、彼らを真の国際人に育てたのです。
まさに「和魂洋才」です。現在ではもはやありえない、この時代だけの独特な
ものでした。激動の時代に、それを支えたのが、彼らの高い志と強い使命感
だったのです。〉
『新渡戸稲造ものがたり』第七章 世界的な名著『武士道』 p.112〜113
〈 和魂洋才=日本古来の精神を大切にしながら、西洋の技術を取り入れて
発展すること 〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.112下段の注より
江戸時代末期、幕末から明治維新への大きな変革とその後の発展を振り返る時、
活躍した多くの人材が、どういう環境で育ち、教育を受けたのか、
家庭での教育、藩制、国学、陽明学、論語、儒教、神道、徂徠学・・・、
大変興味深く、学ぶべきことが多いと感じています。
内田嘉吉と新渡戸稲造については、こちら。
内田嘉吉文庫については、こちら。
2014/01/16
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器
2014年1月11日(土)〜3月23日(日)
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器 伝統から現代まで、400年の歴史
パナソニック汐留ミュージアム
主催 パナソニック汐留ミュージアム/朝日新聞社
協力 南部鉄器協同組合/企画協力 アートプラニングレイ/後援 港区教育委員会
新渡戸博士の関連で、何度か岩手に行く機会に恵まれ、
地域の伝統工芸にも興味をもち、
汐留でおこなわれている「南部鉄器」の展覧会に行きました。
◆展示説明より抜粋
「南部鉄器の背景としての盛岡のあゆみ」
1817年、南部藩は盛岡藩に改称
1830年以降は、天保の飢饉が引き金となり一揆が多発し、藩政は弱体化した。
幕末に奥羽越列藩同盟に参加し倒幕派と戦ったことから、
明治政府では当初盛岡藩出身者の活動の場は限定されたが、
やがて、内閣総理大臣の原敬、教育者の新渡戸稲造など逸材があらわれ、
日本の近代化に貢献した。
◆第一部 南部鉄器の歴史 伝承される美
江戸時代から現代までの精密な鉄瓶などが展示されています。
例:
6 日新堂南部形鉄瓶 六代小泉仁左衛門 仁栄 1864年 盛岡市先人記念館蔵
(「日新堂」は、幕末、盛岡藩最初の洋学校、1862年)
15 第一回国勢調査記念品鉄瓶 作者不詳 1920年 岩手県立博物館蔵
(1921年、第一回の国勢調査実施)
20 亀甲形鉄瓶 小泉仁左衛門 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(1934年、仙台の国立工芸指導所に勤めていたブルーノ・タウトが
小泉工房を訪れて絶賛した鉄瓶と同様のもの。タウトの日記に記している)
23 編笠形鉄瓶 金澤専治 鶴齋 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(リエージュの万博で金賞受賞した作者による鉄瓶)
◆第二部 南部鉄器の模索・挑戦といま
◆第三部 南部鉄器による空間演出
(以上、展覧会解説より抜粋)
現在では、フランスのティーサロンで、南部鉄器のカラフルなティーポットが
使われるなど、400年の歴史をもつ南部鉄器の真価が見直されているようです。
パナソニック汐留ミュージアムのサイトは、こちら。
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器 伝統から現代まで、400年の歴史
パナソニック汐留ミュージアム
主催 パナソニック汐留ミュージアム/朝日新聞社
協力 南部鉄器協同組合/企画協力 アートプラニングレイ/後援 港区教育委員会
新渡戸博士の関連で、何度か岩手に行く機会に恵まれ、
地域の伝統工芸にも興味をもち、
汐留でおこなわれている「南部鉄器」の展覧会に行きました。
◆展示説明より抜粋
「南部鉄器の背景としての盛岡のあゆみ」
1817年、南部藩は盛岡藩に改称
1830年以降は、天保の飢饉が引き金となり一揆が多発し、藩政は弱体化した。
幕末に奥羽越列藩同盟に参加し倒幕派と戦ったことから、
明治政府では当初盛岡藩出身者の活動の場は限定されたが、
やがて、内閣総理大臣の原敬、教育者の新渡戸稲造など逸材があらわれ、
日本の近代化に貢献した。
◆第一部 南部鉄器の歴史 伝承される美
江戸時代から現代までの精密な鉄瓶などが展示されています。
例:
6 日新堂南部形鉄瓶 六代小泉仁左衛門 仁栄 1864年 盛岡市先人記念館蔵
(「日新堂」は、幕末、盛岡藩最初の洋学校、1862年)
15 第一回国勢調査記念品鉄瓶 作者不詳 1920年 岩手県立博物館蔵
(1921年、第一回の国勢調査実施)
20 亀甲形鉄瓶 小泉仁左衛門 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(1934年、仙台の国立工芸指導所に勤めていたブルーノ・タウトが
小泉工房を訪れて絶賛した鉄瓶と同様のもの。タウトの日記に記している)
23 編笠形鉄瓶 金澤専治 鶴齋 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
(リエージュの万博で金賞受賞した作者による鉄瓶)
◆第二部 南部鉄器の模索・挑戦といま
◆第三部 南部鉄器による空間演出
(以上、展覧会解説より抜粋)
現在では、フランスのティーサロンで、南部鉄器のカラフルなティーポットが
使われるなど、400年の歴史をもつ南部鉄器の真価が見直されているようです。
パナソニック汐留ミュージアムのサイトは、こちら。
2014/01/14
「アジア太平洋共同体の可能性」入江昭先生のご講演
2013年度 国際交流基金賞を受賞されました、
入江昭先生(ハーバード大学名誉教授)の記念講演会が、
2013年10月28日、国際文化会館(東京・六本木)で開催され、
聴講させていただきました。
演題「アジア太平洋共同体の可能性」
このたび、NHKラジオ第2で、その講演が公開されました。
(再放送は、2014年1月18日午前6時〜)
講演の中で、入江先生は、「国家中心ではなく、人と人とのつながりを
重視すること」の重要さを強調されていました。
また、「国家単位の歴史ではみえないものがある」として、近年、
新しい歴史の見方があること、また、ご自身も『新世界史』(全6巻)の
刊行に関わっていらっしゃることも明らかにされました。
入江先生は、戦前にも、欧米中心ではない対話関係の構築が、アジア太平洋地域で
開戦直前までおこなわれていたことにも触れました。
これは、新渡戸稲造博士が日本代表を務めていた、太平洋問題調査会の活動を
指しています。
「徹底的にハイブリッド化(雑種化)することはいことだと思う」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
(ハイブリッド=hybrid、元々の意味は、2つ以上の異質のものが組み合わさって
一つを成すこと)
つまり、雑種文化としてみると、アジア太平洋地域は進んでいて、いち早く、
めぐりあいによって雑種化し、知的なつながりがありました。
「歴史の事実は一つ」なのだから、たとえば、中国と日本が同じ教科書を
使うことで、一般の人たちが、歴史を共有するという機運が高まれば、と
結んでいらっしゃいました。
入江先生の受賞および記念講演会については、こちら(国際交流基金のサイト)。
入江昭先生について、ご著書『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書 2005年)から
ご紹介します。
ーーーーーーーーーーーー
入江昭先生は、1934年、東京の護国寺近くでお生まれになり、10歳で終戦。
成蹊高校をご卒業後、グルー基金によって、
アメリカの私立大学の名門ハヴァフォード大学に留学されました。
優秀な成績でご卒業、ハーヴァード大学の大学院に奨学生として入学。
以後、歴史学者としての道を歩みます。
1960年、前田光子様とご結婚。
(お父様は、新渡戸博士の教え子 前田多門氏のご長男、前田陽一氏。
祖父 前田多門、父 前田陽一、叔母 神谷美恵子、各氏については、こちら。)
入江先生は、その後、シカゴ大学(約20年間)などで教鞭をとられました。
ご専門は、米国外交史、国際外交史。
ーーーーーーーーーーーーー
この本には、歴史学者としての国際的なご経験やお考えが書かれており、
大変勉強になりました。
ちなみに、新渡戸稲造博士の養子の孝夫氏も同大学に留学しています。
ハヴァフォード大学については、こちら。(2013年夏に訪問)
夫人の入江光子様は、永井荷風の作品を英訳されています。
入江様ご夫妻とご親交のある高木規矩郎氏が、今回の受賞についてなど、
ご自身のブログに書いていらっしゃいます。
(高木様と私は、鎌倉ペンクラブでご一緒させていただいています)
ブログ「鎌倉の世界登録遺産を考える」の「入江昭先生のこと」は、こちら。
入江昭先生(ハーバード大学名誉教授)の記念講演会が、
2013年10月28日、国際文化会館(東京・六本木)で開催され、
聴講させていただきました。
演題「アジア太平洋共同体の可能性」
このたび、NHKラジオ第2で、その講演が公開されました。
(再放送は、2014年1月18日午前6時〜)
講演の中で、入江先生は、「国家中心ではなく、人と人とのつながりを
重視すること」の重要さを強調されていました。
また、「国家単位の歴史ではみえないものがある」として、近年、
新しい歴史の見方があること、また、ご自身も『新世界史』(全6巻)の
刊行に関わっていらっしゃることも明らかにされました。
入江先生は、戦前にも、欧米中心ではない対話関係の構築が、アジア太平洋地域で
開戦直前までおこなわれていたことにも触れました。
これは、新渡戸稲造博士が日本代表を務めていた、太平洋問題調査会の活動を
指しています。
「徹底的にハイブリッド化(雑種化)することはいことだと思う」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
(ハイブリッド=hybrid、元々の意味は、2つ以上の異質のものが組み合わさって
一つを成すこと)
つまり、雑種文化としてみると、アジア太平洋地域は進んでいて、いち早く、
めぐりあいによって雑種化し、知的なつながりがありました。
「歴史の事実は一つ」なのだから、たとえば、中国と日本が同じ教科書を
使うことで、一般の人たちが、歴史を共有するという機運が高まれば、と
結んでいらっしゃいました。
入江先生の受賞および記念講演会については、こちら(国際交流基金のサイト)。
入江昭先生について、ご著書『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書 2005年)から
ご紹介します。
ーーーーーーーーーーーー
入江昭先生は、1934年、東京の護国寺近くでお生まれになり、10歳で終戦。
成蹊高校をご卒業後、グルー基金によって、
アメリカの私立大学の名門ハヴァフォード大学に留学されました。
優秀な成績でご卒業、ハーヴァード大学の大学院に奨学生として入学。
以後、歴史学者としての道を歩みます。
1960年、前田光子様とご結婚。
(お父様は、新渡戸博士の教え子 前田多門氏のご長男、前田陽一氏。
祖父 前田多門、父 前田陽一、叔母 神谷美恵子、各氏については、こちら。)
入江先生は、その後、シカゴ大学(約20年間)などで教鞭をとられました。
ご専門は、米国外交史、国際外交史。
ーーーーーーーーーーーーー
この本には、歴史学者としての国際的なご経験やお考えが書かれており、
大変勉強になりました。
ちなみに、新渡戸稲造博士の養子の孝夫氏も同大学に留学しています。
ハヴァフォード大学については、こちら。(2013年夏に訪問)
夫人の入江光子様は、永井荷風の作品を英訳されています。
入江様ご夫妻とご親交のある高木規矩郎氏が、今回の受賞についてなど、
ご自身のブログに書いていらっしゃいます。
(高木様と私は、鎌倉ペンクラブでご一緒させていただいています)
ブログ「鎌倉の世界登録遺産を考える」の「入江昭先生のこと」は、こちら。
2013/12/25
同友クラブ「サロン講座/話題の本 ー著者に聞くシリーズ」
2013年12月24日(火曜日)
同友クラブ「サロン講座/話題の本 −著者に聞くシリーズ」
『新渡戸稲造ものがたり』 著者 柴崎 由紀
このたび、経済同友会の会員組織「同友クラブ」(パレスビル)にて
お話する機会をいただきました。
お天気に恵まれたクリスマスイブのこの日、緊張して会場に向かいました。
15時に予定通り始まり、下記のような内容で70分ほどお話しさせて
いただきました。
同友クラブ「サロン講座/話題の本 −著者に聞くシリーズ」
『新渡戸稲造ものがたり』 著者 柴崎 由紀
このたび、経済同友会の会員組織「同友クラブ」(パレスビル)にて
お話する機会をいただきました。
お天気に恵まれたクリスマスイブのこの日、緊張して会場に向かいました。
15時に予定通り始まり、下記のような内容で70分ほどお話しさせて
いただきました。
1 新渡戸稲造博士の生涯 2012年 生誕150年/2013年
没後80年
「ちょんまげに洋服を着せたような男」------------------------------
世界初の国際平和機構「国際連盟」(いまの国連の前身)事務次長として、
ユネスコの土台づくりなど、世界の平和と協調に大きく貢献、世界の人々
の尊敬を集めた。国内では、多くの学校に関わり、人々を啓蒙したほか、
男女協同参画(女子教育の重要性)、協同組合(助け合い精神)、生涯学習
(学び続けることの大切さ)を広め、私たちの社会に、いまなお大きな
影響を及ぼしている。
2 伝記『新渡戸稲造ものがたり
–真の国際人 江戸、明治、大正、昭和を
かけぬける-
』の出版 / 展覧会(鎌倉・銀座)
3 伝記の効用「一人の人物の生涯を通じて学ぶこと」
日本の子どもたちへの思い
4 小さな旅へ「新渡戸博士の足跡を訪ねて」(ゆかりの地を写真でご案内)
最後に、国内外の写真を20枚ほどご覧いただき、質疑応答がありました。
このような機会をいただきました、加藤丈夫様(国立公文書館 館長)、
同友会の皆様、配布資料などをご準備くださいました事務局の方々に
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
2013/12/16
藤田正一著 『日本のオールターナティブ』
このたび、北大の元副学長、藤田正一先生の新著、
『日本のオールターナティブ ---クラーク博士が種を蒔き、
北大の前身・札幌農学校で育まれた清き精神---』(銀の鈴社刊)が
刊行されることになりました。
『日本のオールターナティブ
---クラーク博士が種を蒔き、
北大の前身・札幌農学校で育まれた清き精神---』
藤田 正一 著
A5判、並製、360ページ / 本体価格2,400円+税
2013年12月25日 発行
日本の進む道はこれで良いのか、他に道は無いのか。
日本の進むべきもう一つの道への道標がここにあった。
「明治の初年、当時の日本の北辺の地、人口2千人足らずの街、 札幌に
アメリカ流の自由と民主主義を基調とした教育を行う学校、 札幌農学校が設立された。
一方、 首都東京には東京帝国大学が国の国家主義政策のもとに設立された 。
主流となったのは国家主義教育であった。が、 オールターナティブ(もう一つの選択肢)
として札幌農学校の教育が圧力を受けながらも札幌の地に存続し続 けた。
そこに植え付けられたピューリタン精神の理想主義は、伝統的な武士 道精神と融和して
一つの精神となり、以降、この農学校精神が近代日本の国のあり方や人の生き方に、
常に、清きオールターナティブを提案し続けた。」(本文より)
『日本のオールターナティブ ---クラーク博士が種を蒔き、
北大の前身・札幌農学校で育まれた清き精神---』(銀の鈴社刊)が
刊行されることになりました。
『日本のオールターナティブ
---クラーク博士が種を蒔き、
北大の前身・札幌農学校で育まれた清き精神---』
藤田 正一 著
A5判、並製、360ページ / 本体価格2,400円+税
2013年12月25日 発行
日本の進む道はこれで良いのか、他に道は無いのか。
「明治の初年、当時の日本の北辺の地、人口2千人足らずの街、
アメリカ流の自由と民主主義を基調とした教育を行う学校、
一方、
主流となったのは国家主義教育であった。が、
一つの精神となり、以降、この農学校精神が近代日本の国のあり方や人の生き方に、
![]() |
表紙(北大のポプラ並木/撮影 藤田正一) |
2013/12/15
講演「初代校長 新渡戸稲造先生の生涯から学ぶ」
2013年12月14日(金)13時30分〜
新渡戸文化中学・高等学校 講堂にて
「初代校長 新渡戸稲造先生の生涯から学ぶ」
新渡戸文化学園の生徒さんの前で、お話させていただきました。
学園長の森本晴生先生にご紹介いただいた後、自己紹介や伝記のお話、
途中で、「新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて」撮影した国内外の
写真もご覧いただきました。
貴重な機会をいただきました、新渡戸文化中学・高等学校の佐藤善一
校長先生、佐藤均教頭先生に、心より御礼を申し上げます。
概要
1 自己紹介
2 一人の人物の一生を学んでわかること
3 新渡戸稲造先生の足跡を訪ねて
(写真による小さな旅)
4 新渡戸先生が教えてくれること
とても緊張しましたが、よい経験になりました。
たとえ一人の生徒さんにとってでも、なにかヒントになる部分があったなら、
うれしいのですが・・・。
本日は、ありがとうございました。
新渡戸文化学園(東京文化学園)は、女子経済専門学校として、
新渡戸博士の教え子、森本厚吉先生によって創立。
1928(昭和3)年4月、新渡戸博士は、初代校長になりました。
現在では、小学校から短期大学までの学園になっています。
新渡戸文化学園のホームページは、こちら。
新渡戸文化中学・高等学校 講堂にて
「初代校長 新渡戸稲造先生の生涯から学ぶ」
新渡戸文化学園の生徒さんの前で、お話させていただきました。
学園長の森本晴生先生にご紹介いただいた後、自己紹介や伝記のお話、
途中で、「新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて」撮影した国内外の
写真もご覧いただきました。
貴重な機会をいただきました、新渡戸文化中学・高等学校の佐藤善一
校長先生、佐藤均教頭先生に、心より御礼を申し上げます。
概要
1 自己紹介
2 一人の人物の一生を学んでわかること
3 新渡戸稲造先生の足跡を訪ねて
(写真による小さな旅)
4 新渡戸先生が教えてくれること
![]() |
初代校長 新渡戸先生胸像(新渡戸文化学園) |
とても緊張しましたが、よい経験になりました。
たとえ一人の生徒さんにとってでも、なにかヒントになる部分があったなら、
うれしいのですが・・・。
本日は、ありがとうございました。
![]() |
創立者 森本厚吉先生像 |
新渡戸博士の教え子、森本厚吉先生によって創立。
1928(昭和3)年4月、新渡戸博士は、初代校長になりました。
現在では、小学校から短期大学までの学園になっています。
新渡戸文化学園のホームページは、こちら。
2013/12/01
「柳田國男の世界(二)ー日本人の心を探す旅ー」成城学園
2013年11月2,3日(文化祭)5〜30日(日曜/祝日 休館)
民俗学研究所創設40周年記念特別展
「柳田國男の世界(二)ー日本人の心を探す旅ー」
民俗学研究所展示ホール(成城大学4号館3階)
主催:成城大学民俗学研究所
昨年の11月におこなわれました「柳田國男(一)」では、
新渡戸稲造博士と柳田國男博士の関係なども紹介されていました。
今年度の展示では、主に後半生の功績などが展示されていました。
新渡戸博士と柳田博士の関わりについては、今年度の『新渡戸稲造の世界』
(新渡戸基金)に寄稿させていただきました「成城学園と新渡戸稲造博士」の中で
次のように紹介しました。
民俗学研究所創設40周年記念特別展
「柳田國男の世界(二)ー日本人の心を探す旅ー」
民俗学研究所展示ホール(成城大学4号館3階)
主催:成城大学民俗学研究所
昨年の11月におこなわれました「柳田國男(一)」では、
新渡戸稲造博士と柳田國男博士の関係なども紹介されていました。
今年度の展示では、主に後半生の功績などが展示されていました。
民俗学研究所 展示ホール |
![]() |
柳田國男先生 ブロンズ彫像(西常雄 作) |
新渡戸博士と柳田博士の関わりについては、今年度の『新渡戸稲造の世界』
(新渡戸基金)に寄稿させていただきました「成城学園と新渡戸稲造博士」の中で
次のように紹介しました。
「 三 柳田國男先生と新渡戸博士
日本民俗学の創始者といわれている柳田國男先生(一八七五年〜一九六二年)は、
日本の農政学の先駆者だった新渡戸博士の影響を強く受けています。
一九一〇(明治四十三)年、東京小日向の新渡戸稲造邸で、
新渡戸博士とともに「郷土会」を発足させます。
貧困に苦しむ農民の救済と自立という共通の問題意識をもった二人が中心となり、
日本の農村のありかたや地方の保護について広く話し合う場でした。
ほぼ毎月一回、さまざまな顔ぶれが集まり、新渡戸博士は、よきホスト役を務めました。
ゲストスピーカーを招いて新しい話を聞けるように取り計らったり、
少しばかりの会費を徴収してごちそうをふるまったりしたようです。
一九二〇(大正十)年から一九二二(大正十二)年、
柳田先生は、欧米を視察し、新渡戸博士の推薦によって、
国際連盟委任統治委員に就任してジュネーブに滞在しました。
柳田先生は、欧米を視察し、新渡戸博士の推薦によって、
国際連盟委任統治委員に就任してジュネーブに滞在しました。
当時、国際連盟事務次長としてジュネーブに赴任中の新渡戸博士から、
大学での聴講やヨーロッパ各地への旅行、文献購入を促され、
柳田先生は後年の活動の基礎を築きました。
また、二人は、ジュネーブで、エスペラント(特定の民族が有利または不利にならない
ように考えられた世界共通語)の普及にも共に力を尽します。
柳田先生は、後年、日本エスペラント学会の理事に就任しています。
柳田先生のご長男の為正氏は、開校当時、新宿にあった成城小学校に入学。
その後、学園が現在の成城の地に移転した際、
ご一家は、父兄に分譲された土地を求めて、成城に移り住みました。
のちに、「日本の民俗学」確立の拠点となった柳田邸は、建て直されていますが、
現在も成城大学正門近くにあります。
最晩年まで研究の情熱を持ち続けた柳田國男先生は、
一九六二(昭和三十七)年八月八日、数え年八十八歳、成城で生涯を閉じました。
遺言により、成城大学に委託されていた蔵書はそのまま寄贈され、
「柳田文庫」が誕生しました。
二〇一二(平成二十四)年十一月、成城大学民俗学研究所では、
柳田國男先生没後五十年、「柳田文庫」誕生五十年を記念して、
民俗学研究所特別展「柳田國男の世界」が開催されました。
柳田先生が成城に居を移され民俗学の創始へと向かう前半生を取り上げ、
新渡戸稲造博士との出会いや関わりなどについての展示もおこなわれました。
今年度は、民俗学研究所創設四十年特別展が開催され、
残りの後半生が紹介される予定です。」(おわり)
上記の記事については、成城大学民俗学研究所にご協力いただきました。
ありがとうございました。
成城大学民俗学研究所のホームページは、こちら。
2013/11/23
『新渡戸稲造博士と安井てつ先生の出会い』
2013年11月22日(金) 東京 学士会館
東京女子大学同窓会 山田純子会長講演会
『新渡戸稲造博士と安井てつ先生の出会い』
ー東京女子大学卒業生が語るおふたりの精神ー
主催:武士道講演会
後援:北海道大学東京同窓会、東京女子大学同窓会、(社)札幌農学同窓会東京支部
協賛:エルム27会東京
講演会
1 開会 18時 司会 武士道購読会 三原晃一 氏
主催者挨拶 武士道購読会主宰 齊藤昇三 氏
講師紹介 東京女子大学前学長 湊 晶子 氏
2 ご講演
3 懇親会 司会 武士道購読会 桜庭慎吾 氏
ご挨拶 東京女子大学前学長 湊 晶子 氏
東京女子大学名誉教授 鳥山英雄 氏
乾杯 北大東京同窓会副理事長
国立保健医療科学院院長 松谷有希雄 氏
4 歓談
スピーチ 恵泉女学園短期大学元学長
今井館教友会理事長 大山綱夫 氏
東京女子大学同窓会理事 小尾充子 氏
新渡戸稲造と遠友夜学校
を考える会(札幌) 三上節子 氏
同 中川厚雄 氏
東京女子大学同窓会元理事
日本翻訳家協会常務理事 叶谷渥子 氏
5 両校の校歌・寮歌斉唱
このたび、新渡戸先生と関わりの深い両大学の同窓会合同の催しに、
出席させていただくことができました。
東京女子大学同窓会会長の山田純子様より、新渡戸先生と安井先生の出会いに
ついてのご講演がありました。
お二人の生涯の共通点・相違点、信仰、職業・活動歴、そして、
1900年、パリでの出会い(新渡戸37歳、安井30歳)、
1918年、東京にて東京女子大学創立時の出会い(新渡戸55歳、安井48歳)。
さらに、東京女子大学の卒業生が語るお二人の人物像の分析など、
大変興味深いご講演内容でした。
その後の懇親会では、両大学同窓会の方々のご挨拶と乾杯、スピーチが
続き、「新渡戸稲造と遠友夜学校を考える会」の活動報告がありました。
札幌の遠友夜学校跡は、現在、その土地利用の方法について活動が始まって
います。(会長 秋山孝二 氏)
最後に、両大学の校歌・寮歌が披露されました。
東京女子大学の校歌は、同大学の同窓生の方々(女性)によって、
まるで賛美歌のような美しい歌声。
続いて、北大の「都ぞ弥生」(明治45年寮歌)を、北大の同窓生
の皆様(男性)が肩を組んで勇ましく歌いました。
対照的な二大学の校歌・寮歌を思いがけず楽しませていただきました。
ただ一人の傍観者となった私ですが、「新渡戸先生がここにいらしたら、
さぞ感慨深いことでしょう」と思いました。
このたびの講演会・懇親会に出席させていただきまして、ありがとう
ございました。関係者の皆様に御礼申し上げます。
東京女子大学同窓会 山田純子会長講演会
『新渡戸稲造博士と安井てつ先生の出会い』
ー東京女子大学卒業生が語るおふたりの精神ー
主催:武士道講演会
後援:北海道大学東京同窓会、東京女子大学同窓会、(社)札幌農学同窓会東京支部
協賛:エルム27会東京
講演会
1 開会 18時 司会 武士道購読会 三原晃一 氏
主催者挨拶 武士道購読会主宰 齊藤昇三 氏
講師紹介 東京女子大学前学長 湊 晶子 氏
2 ご講演
3 懇親会 司会 武士道購読会 桜庭慎吾 氏
ご挨拶 東京女子大学前学長 湊 晶子 氏
東京女子大学名誉教授 鳥山英雄 氏
乾杯 北大東京同窓会副理事長
国立保健医療科学院院長 松谷有希雄 氏
4 歓談
スピーチ 恵泉女学園短期大学元学長
今井館教友会理事長 大山綱夫 氏
東京女子大学同窓会理事 小尾充子 氏
新渡戸稲造と遠友夜学校
を考える会(札幌) 三上節子 氏
同 中川厚雄 氏
東京女子大学同窓会元理事
日本翻訳家協会常務理事 叶谷渥子 氏
5 両校の校歌・寮歌斉唱
このたび、新渡戸先生と関わりの深い両大学の同窓会合同の催しに、
出席させていただくことができました。
東京女子大学同窓会会長の山田純子様より、新渡戸先生と安井先生の出会いに
ついてのご講演がありました。
お二人の生涯の共通点・相違点、信仰、職業・活動歴、そして、
1900年、パリでの出会い(新渡戸37歳、安井30歳)、
1918年、東京にて東京女子大学創立時の出会い(新渡戸55歳、安井48歳)。
さらに、東京女子大学の卒業生が語るお二人の人物像の分析など、
大変興味深いご講演内容でした。
その後の懇親会では、両大学同窓会の方々のご挨拶と乾杯、スピーチが
続き、「新渡戸稲造と遠友夜学校を考える会」の活動報告がありました。
札幌の遠友夜学校跡は、現在、その土地利用の方法について活動が始まって
います。(会長 秋山孝二 氏)
最後に、両大学の校歌・寮歌が披露されました。
東京女子大学の校歌は、同大学の同窓生の方々(女性)によって、
まるで賛美歌のような美しい歌声。
続いて、北大の「都ぞ弥生」(明治45年寮歌)を、北大の同窓生
の皆様(男性)が肩を組んで勇ましく歌いました。
「都ぞ弥生」を歌う北大組/聞き入る東女大組 |
対照的な二大学の校歌・寮歌を思いがけず楽しませていただきました。
ただ一人の傍観者となった私ですが、「新渡戸先生がここにいらしたら、
さぞ感慨深いことでしょう」と思いました。
このたびの講演会・懇親会に出席させていただきまして、ありがとう
ございました。関係者の皆様に御礼申し上げます。
2013/11/22
新渡戸博士のテレビ番組が「優秀賞」を受賞!
番組制作に協力させていただきました、新渡戸博士の特集番組が、
東北映像フェアでの受賞に続き、
全国地域映像団体協議会でも優秀賞を受賞!
めんこいテレビのみなさま、ご一緒に出演させていただきました
草原様、大森様に、あらためてお祝いを申し上げます。
尚、この番組は、先月、銀座教文館でおこなわれました、
没後80年展「新渡戸稲造を知っていますか」の会場でも放映させていただき、
来場者アンケートの結果でも、大変好評だった番組です。
2013年11月21日付け 「MSN産経ニュース」サイトより引用 ↓
めんこいテレビの特番が優秀賞 岩手
岩手めんこいテレビは昨年12月23日に放送した特番「スーツを着たサムライ
〜新渡戸稲造『武士道』伝説」が、全国地域映像団体協議会の今年度グランプリで
優秀賞に輝いた。
番組部門(放送番組)での受賞で、優秀賞は準グランプリにあたる。
番組は新渡戸の生誕150年を記念し、新渡戸の足跡を振り返る内容。
同局の番組審議会でも「緻密に取材している」「新渡戸を知る入門番組として
最適だ」など評価が高かった。今年6月には、第1回東北映像フェア2013の
番組部門で大賞を受賞している。
企画、脚本、プロデューサーを務めた工藤哲人(てつと)さん(35)は
「武士道を心の支柱に国際社会で活躍した新渡戸の魅力が少しでも伝わったと
思うとうれしい」と話した。
来年夏の新渡戸関連第2作製作に向け準備を進めているという。
///
MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/smp/region/news/131121/iwt13112102020000-s.htm
全国地域映像団体協議会(全映協)のサイトは、こちら。
前回の東北映像フェアの受賞については、こちら。
東北映像フェアでの受賞に続き、
全国地域映像団体協議会でも優秀賞を受賞!
めんこいテレビのみなさま、ご一緒に出演させていただきました
草原様、大森様に、あらためてお祝いを申し上げます。
尚、この番組は、先月、銀座教文館でおこなわれました、
没後80年展「新渡戸稲造を知っていますか」の会場でも放映させていただき、
来場者アンケートの結果でも、大変好評だった番組です。
2013年11月21日付け 「MSN産経ニュース」サイトより引用 ↓
めんこいテレビの特番が優秀賞 岩手
岩手めんこいテレビは昨年12月23日に放送した特番「スーツを着たサムライ
〜新渡戸稲造『武士道』伝説」が、全国地域映像団体協議会の今年度グランプリで
優秀賞に輝いた。
番組部門(放送番組)での受賞で、優秀賞は準グランプリにあたる。
番組は新渡戸の生誕150年を記念し、新渡戸の足跡を振り返る内容。
同局の番組審議会でも「緻密に取材している」「新渡戸を知る入門番組として
最適だ」など評価が高かった。今年6月には、第1回東北映像フェア2013の
番組部門で大賞を受賞している。
企画、脚本、プロデューサーを務めた工藤哲人(てつと)さん(35)は
「武士道を心の支柱に国際社会で活躍した新渡戸の魅力が少しでも伝わったと
思うとうれしい」と話した。
来年夏の新渡戸関連第2作製作に向け準備を進めているという。
///
MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/smp/region/news/131121/iwt13112102020000-s.htm
全国地域映像団体協議会(全映協)のサイトは、こちら。
前回の東北映像フェアの受賞については、こちら。
2013/11/07
少年よ大志を抱け!クラーク博士と教え子たちの北海道物語
NHK 歴史秘話ヒストリア(2013年10月30日放送)
「少年よ大志を抱け!クラーク博士と教え子たちの北海道物語」
【番組の内容(抜粋)】
クラーク博士は、1926年、マサチューセッツ州の裕福な医師の家に生まれる。
エリート校である、アマースト大学へ進学。その後、26歳で教授に抜擢され、
化学、植物学、動物学を教えた。
1867年(40歳)、マサチューセッツ農科大学を設立して学長に就任。
牛を育て、酪農に力を注ぐ。酪農は、このころ欧米でも最先端の分野だった。
1876年、日本から使者がやってきて「日本で酪農を教えていただきたい」と頼まれる。
当時の日本は戊辰戦争後で、多くの若者が傷つき、復興には、若者を教育することが
必要だった。しかし、学長が2年間留守にすることはできないと反対の声があがる。
クラークは、日本の置かれた状況に同情した。南北戦争で多くの教え子を
失った経験から(戦死者はアメリカ全土で62万人)、ぜひ未来ある若者たちに農業を
教えたいと考えたからである。
クラークは、「私は日本に行く。2年分の仕事を1年で終わらせて戻ってきます」
と宣言。愛する妻子を残し、日本の復興のために、遠く日本へ渡った。
1876(明治9)年、横浜に到着。24人の第一期生が札幌農学校に入学。
クラークは、「将来の日本を支える立派な技術者にしてみせる」と誓った。
当時、札幌農学校の入学生は、元武士の次男や三男。戊辰戦争の敗戦組が
ほとんど。農民と同じ仕事をすることに抵抗を感じていた子どももいた。
中には、連日のように酒を飲んで荒れる生徒もいて、授業もままならなかった。
開校から一ヵ月で5人が退学処分。多くの規則が作られた。
さらに、
アメリカの牧草を育てることに対し、酪農の経験のない農家の賛同を得られない。
クラークは生徒を集めると、大好きなワインを投げ捨て、禁酒を宣言したので、
生徒たちにも酒を禁止した。
クラークは、「Be gentleman!」だけを規則とした。
生徒たちは、「イエスを信ずるものの誓約書」に署名。
クラークの体当たりの熱血指導
野外学習で、めずらしい苔を発見すると、クラークは、自ら四つん這いになり、
「自分の背に乗って、苔を取れ」と主張し、日本人生徒たちを驚かせた。
次第に、教師と生徒という立場を越えて、強い絆で結ばれるようになった。
「教師と生徒との距離が近いこと」がクラークの魅力。
クラークが構想したモデルバーン(現在も北大構内に残る)は、
北海道全域で建設された。
現在の札幌市時計台は、もともと札幌農学校の「演武場」。
1877(明治10)年、クラーク博士の帰国が近づいたころ、西南戦争が始まる。
生徒たちのために、演武場を作り、自ら身を守る術を学ばせたかったのである。
南北戦争で、多くの学生たちを戦場で死なせてしまった後悔があったからだった。
別れの日。生徒たちは父を失うような思いだった。
馬上のクラークは、
「Boys, be ambitious, like this old man」
少年を大志を抱け、この老人(クラーク)のごとく。
と言い残して去っていった。教え子たちに残した最後のメッセージである。
(ここで、藤田先生が登場されていました)
アメリカに帰国後も文通を続け、教え子たちの教師であり続けた。
1885(明治18)年、58歳。体調をくずしていたクラークを新島襄が訪問。
(新島襄は、クラークの最初の日本人学生)
新島は、「先生は日本を深く愛していた」と書き残している。
翌年、クラークは亡くなった。(59歳)
「日本で生徒たちと過ごした日々が、私の人生において最良の時間だった」と
クラークは書き残している。札幌農学校ではその日の授業を取りやめ、
演武場で、教え子たちは、次々にクラークに感謝の言葉を述べた。
生徒たちは、「毎晩先生のところを訪ね、人生のさまざまなことを語った」
などと回想している。
その後、北海道の酪農は大きく発展した。
「少年よ、大志を抱け」のメッセージもいまに続いている。
(終わり)
新渡戸稲造は、札幌農学校第二期生。
クラークの指導は直接受けていませんが、クラークの後継者として来日した
アメリカ人教師たちによって、英語で教育を受けました。
「教師と生徒との距離が近いこと」。新渡戸博士は、これを札幌農学校で経験し、
その後、欧米の留学で実感し、その恩恵を受けたからこそ、自らの教育姿勢と
なっていったのではないでしょうか。
「少年よ大志を抱け!クラーク博士と教え子たちの北海道物語」
【番組の内容(抜粋)】
クラーク博士は、1926年、マサチューセッツ州の裕福な医師の家に生まれる。
エリート校である、アマースト大学へ進学。その後、26歳で教授に抜擢され、
化学、植物学、動物学を教えた。
1867年(40歳)、マサチューセッツ農科大学を設立して学長に就任。
牛を育て、酪農に力を注ぐ。酪農は、このころ欧米でも最先端の分野だった。
1876年、日本から使者がやってきて「日本で酪農を教えていただきたい」と頼まれる。
当時の日本は戊辰戦争後で、多くの若者が傷つき、復興には、若者を教育することが
必要だった。しかし、学長が2年間留守にすることはできないと反対の声があがる。
クラークは、日本の置かれた状況に同情した。南北戦争で多くの教え子を
失った経験から(戦死者はアメリカ全土で62万人)、ぜひ未来ある若者たちに農業を
教えたいと考えたからである。
クラークは、「私は日本に行く。2年分の仕事を1年で終わらせて戻ってきます」
と宣言。愛する妻子を残し、日本の復興のために、遠く日本へ渡った。
1876(明治9)年、横浜に到着。24人の第一期生が札幌農学校に入学。
クラークは、「将来の日本を支える立派な技術者にしてみせる」と誓った。
当時、札幌農学校の入学生は、元武士の次男や三男。戊辰戦争の敗戦組が
ほとんど。農民と同じ仕事をすることに抵抗を感じていた子どももいた。
中には、連日のように酒を飲んで荒れる生徒もいて、授業もままならなかった。
開校から一ヵ月で5人が退学処分。多くの規則が作られた。
さらに、
アメリカの牧草を育てることに対し、酪農の経験のない農家の賛同を得られない。
クラークは生徒を集めると、大好きなワインを投げ捨て、禁酒を宣言したので、
生徒たちにも酒を禁止した。
クラークは、「Be gentleman!」だけを規則とした。
生徒たちは、「イエスを信ずるものの誓約書」に署名。
クラークの体当たりの熱血指導
野外学習で、めずらしい苔を発見すると、クラークは、自ら四つん這いになり、
「自分の背に乗って、苔を取れ」と主張し、日本人生徒たちを驚かせた。
次第に、教師と生徒という立場を越えて、強い絆で結ばれるようになった。
「教師と生徒との距離が近いこと」がクラークの魅力。
クラークが構想したモデルバーン(現在も北大構内に残る)は、
北海道全域で建設された。
現在の札幌市時計台は、もともと札幌農学校の「演武場」。
1877(明治10)年、クラーク博士の帰国が近づいたころ、西南戦争が始まる。
生徒たちのために、演武場を作り、自ら身を守る術を学ばせたかったのである。
南北戦争で、多くの学生たちを戦場で死なせてしまった後悔があったからだった。
別れの日。生徒たちは父を失うような思いだった。
馬上のクラークは、
「Boys, be ambitious, like this old man」
少年を大志を抱け、この老人(クラーク)のごとく。
と言い残して去っていった。教え子たちに残した最後のメッセージである。
(ここで、藤田先生が登場されていました)
アメリカに帰国後も文通を続け、教え子たちの教師であり続けた。
1885(明治18)年、58歳。体調をくずしていたクラークを新島襄が訪問。
(新島襄は、クラークの最初の日本人学生)
新島は、「先生は日本を深く愛していた」と書き残している。
翌年、クラークは亡くなった。(59歳)
「日本で生徒たちと過ごした日々が、私の人生において最良の時間だった」と
クラークは書き残している。札幌農学校ではその日の授業を取りやめ、
演武場で、教え子たちは、次々にクラークに感謝の言葉を述べた。
生徒たちは、「毎晩先生のところを訪ね、人生のさまざまなことを語った」
などと回想している。
その後、北海道の酪農は大きく発展した。
「少年よ、大志を抱け」のメッセージもいまに続いている。
(終わり)
新渡戸稲造は、札幌農学校第二期生。
クラークの指導は直接受けていませんが、クラークの後継者として来日した
アメリカ人教師たちによって、英語で教育を受けました。
「教師と生徒との距離が近いこと」。新渡戸博士は、これを札幌農学校で経験し、
その後、欧米の留学で実感し、その恩恵を受けたからこそ、自らの教育姿勢と
なっていったのではないでしょうか。
マサチューセッツ大学創立150年記念シンポジウム
このほど、藤田正一先生(北海道大学 元副学長、同名誉教授)が、
マサチューセッツ大学の創立150年記念シンポジウムで基調講演をおこない、
帰国されました。
マサチューセッツ大学(The University of Massachusetts)
1863年創立のマサチューセッツ農科大学(Massachusetts Agriculture College)は、
現在のマサチューセッツ大学アマースト校の前身で、
第三代学長を務めたのが、ウィリアム・クラーク博士です。
クラーク博士は、マサチューセッツ農科大学の学長の時、日本政府からの要請を受け、
札幌に約8ヵ月滞在し、札幌農学校(現在の北海道大学)の基礎を築きました。
クラーク博士から直接指導を受けた札幌農学校第一期生(新渡戸博士と同郷の先輩、
佐藤昌介ら)そして、クラークのアメリカ人の教え子たちから教育を受けた、
第二期生(内村鑑三、宮部金吾、新渡戸稲造ら)以降の学生たちに、
その教育精神が受け継がれていきました。
マサチューセッツ大学のホームページは、こちらへ。(英語)
創立150年記念サイトは、こちら。(英語)
以下、藤田先生からの報告文をご本人の許可を得て掲載します。
マサチューセッツ大学の創立150年記念シンポジウムで基調講演をおこない、
帰国されました。
マサチューセッツ大学(The University of Massachusetts)
1863年創立のマサチューセッツ農科大学(Massachusetts Agriculture College)は、
現在のマサチューセッツ大学アマースト校の前身で、
第三代学長を務めたのが、ウィリアム・クラーク博士です。
クラーク博士は、マサチューセッツ農科大学の学長の時、日本政府からの要請を受け、
札幌に約8ヵ月滞在し、札幌農学校(現在の北海道大学)の基礎を築きました。
クラーク博士から直接指導を受けた札幌農学校第一期生(新渡戸博士と同郷の先輩、
佐藤昌介ら)そして、クラークのアメリカ人の教え子たちから教育を受けた、
第二期生(内村鑑三、宮部金吾、新渡戸稲造ら)以降の学生たちに、
その教育精神が受け継がれていきました。
マサチューセッツ大学のホームページは、こちらへ。(英語)
創立150年記念サイトは、こちら。(英語)
以下、藤田先生からの報告文をご本人の許可を得て掲載します。
演題は「Dr. W. S. Clark: Influence of His Educational Philosophy on Japanese
Education
(クラーク博士の教育精神が日本の教育に及ぼした影響)」。
クラーク博士が日本を去った後、クラーク博士の精神がどのように札幌農学校に
受け入れられ、継承され、新渡戸稲造や内村鑑三を生み、
戦後、彼らの教え子たちが制定した教育基本法に影響を与えたかについて述べた。
これらはマサチュセッツ大学の人々にとって,初めて聞く話で、
非常に興味深かったようで、「論文に纏めてくれ」と言う申し出が何人からかあった。
2013/10/31
没後80年記念展 終了のお知らせと御礼
2013年10月31日(木)
銀座教文館で10月10日から開催されてきました展覧会、
没後80年記念展「新渡戸稲造を知っていますか ---世界が尊敬した真の国際人」
が、本日終了しました。
主催の教文館様、また、ご後援いただきました皆様に御礼を申し上げます。
また、ご来場者の皆様、時には台風の影響がある中、遠路、お忙しい中、
熱心にご覧いただき、アンケートやクイズにも大勢の方々が、ご協力して
くださいました。
また、待望の『新渡戸稲造事典』(教文館)が今月はじめに刊行になり、
没後80年の記念すべき年に、東京で、という多くの皆様の思いが結集した
展覧会になりました。企画に関わらせていただき、ありがとうございました。
銀座教文館で10月10日から開催されてきました展覧会、
没後80年記念展「新渡戸稲造を知っていますか ---世界が尊敬した真の国際人」
が、本日終了しました。
主催の教文館様、また、ご後援いただきました皆様に御礼を申し上げます。
また、ご来場者の皆様、時には台風の影響がある中、遠路、お忙しい中、
熱心にご覧いただき、アンケートやクイズにも大勢の方々が、ご協力して
くださいました。
教文館1Fエントランスでの紹介展示 |
展示とクイズ&アンケート専用「ポスト」 |
没後80年記念出版『新渡戸稲造事典』など関連書籍 |
また、待望の『新渡戸稲造事典』(教文館)が今月はじめに刊行になり、
会期中に、出版記念講演会/祝賀会も開催されました。
没後80年の記念すべき年に、東京で、という多くの皆様の思いが結集した
展覧会になりました。企画に関わらせていただき、ありがとうございました。
新渡戸先生も連日お疲れさまでした!笑
第15回後藤新平・新渡戸稲造記念「拓殖大学 高校生・留学生作文コンクール」表彰式
2013年10月27日(日)10:30〜
第15回後藤新平・新渡戸稲造記念
「拓殖大学 高校生・留学生作文コンクール」表彰式
拓殖大学 文京キャンパス C館201教室
同コンクールの表彰式にお招きいただき、出席させていただきました。
心配していた台風もそ直撃を免れ、青空の広がる秋晴れの日を迎えました。
今年度のコンクール応募総数は、昨年の約1200から1800に増加。
過去最多の1600も大きく上回ったそうです。
このたびの作文コンクールに先立って、伝記『新渡戸稲造ものがたり』の
拓殖大学オリジナル版を刊行させていただきました。
中身は既刊と同じですが、表紙は拓殖大学オリジナル、サイズを縮版、
上製を並製(ソフトカバー)に変更し、高校生・大学生にも手に取りやすい本に
なりました(非売品)。コンクールについての帯をカバーの上に巻いています。
表紙の肖像写真は、拓殖大学様所蔵のもので、
前袖(表表紙を折ったところ)に、渡辺利夫総長様のお言葉、
後ろ袖(裏表紙を折ったところ)に、大学案内が入っています。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
第15回後藤新平・新渡戸稲造記念
「拓殖大学 高校生・留学生作文コンクール」表彰式
拓殖大学 文京キャンパス C館201教室
同コンクールの表彰式にお招きいただき、出席させていただきました。
心配していた台風もそ直撃を免れ、青空の広がる秋晴れの日を迎えました。
![]() |
拓殖大学 正門 |
すでに受賞された生徒さんたちが着席されていました。
主催者挨拶
渡辺利夫様(拓殖大学 総長)
阿南惟正様(拓殖大学後援会 会長)
表彰状授与
渡辺利夫様(拓殖大学 総長)
松田陽三様(読売新聞東京本社 執行役員 広告局長)
講評
山田政通様(拓殖大学 副学長、高校生・留学生作文コンクール審査委員長)
渡辺総長のお話「人間は文章を書くことによって成長する」
「言葉と文章がなければ思考は成り立たず、思想は生まれません。
言葉の使い方がいい加減であれば、それは思考がいい加減、
言葉が曖昧だということは、その言葉を使っている人間の考えは曖昧だ
ということなのです。
自分の思考と思想をただす唯一の道は、言葉と文章を錬磨することです。
言葉と文章をただすこと、これこそが、人間の成長の基本です。」
(表彰式プログラムから抜粋)
生涯を通じて継続するべき、とても大切なことを教えていただきました。
受賞されたみなさんのスピーチも素晴らしく、身が引き締まる思いがしました。貴重な機会をありがとうございました。
表彰式の後の記念撮影 |
記念パーティー |
今年度のコンクール応募総数は、昨年の約1200から1800に増加。
過去最多の1600も大きく上回ったそうです。
このたびの作文コンクールに先立って、伝記『新渡戸稲造ものがたり』の
拓殖大学オリジナル版を刊行させていただきました。
中身は既刊と同じですが、表紙は拓殖大学オリジナル、サイズを縮版、
上製を並製(ソフトカバー)に変更し、高校生・大学生にも手に取りやすい本に
なりました(非売品)。コンクールについての帯をカバーの上に巻いています。
表紙の肖像写真は、拓殖大学様所蔵のもので、
前袖(表表紙を折ったところ)に、渡辺利夫総長様のお言葉、
後ろ袖(裏表紙を折ったところ)に、大学案内が入っています。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
『新渡戸稲造事典』出版記念祝賀会
2013年10月22日(火)18:00〜20:00
『新渡戸稲造事典』出版記念祝賀会
教文館9F ウェンライトホール
佐藤全弘先生のご講演、サイン会の後、同じ会場で、
『新渡戸稲造事典』(教文館発行)の出版記年会がおこなわれました。
このたびの祝賀会の発起人は、秋山孝二様、内川頴一郎様、湊晶子様、森本晴生様の
四人の方々です。
開会のごあいさつ
秋山孝二様(公益財団法人秋山記念生命科学振興財団 理事長)
乾杯のごあいさつ
内川頴一郎様(財団法人新渡戸基金 理事長)
ご祝辞
湊 晶子様(東京女子大学 前学長)
草原克豪様(拓殖大学 名誉教授)
大津光男様(普連土学園 財務理事)
花束贈呈
藤井花穂様(藤井茂様ご令嬢)より、佐藤全弘様へ
中野美帆様(佐藤全弘様ご令孫)より、藤井茂様へ
新渡戸稲造博士ご遺族・加藤武子様(新渡戸稲造ご令孫)からのメッセージ
(柴崎由紀 代読)
著者お二人のスピーチ
佐藤全弘様(大阪市立大学 名誉教授)
藤井茂様(新渡戸基金 事務局長)
おわりのごあいさつ
森本晴生様(新渡戸文化学園 学園長)
多くの関係者の皆様がご参集され、なごやかな会になりました。
皆様のお気遣いをいただき、慣れない進行役を務めさせていただきました。
小著、伝記『新渡戸稲造ものがたり』は、
佐藤全弘様の長年のご研究と著作、藤井茂様の励ましとご協力があり、
出版することができました。
あらためて、お二人に感謝とお祝いを申し上げます。
『新渡戸稲造事典』出版記念祝賀会
教文館9F ウェンライトホール
佐藤全弘先生のご講演、サイン会の後、同じ会場で、
『新渡戸稲造事典』(教文館発行)の出版記年会がおこなわれました。
このたびの祝賀会の発起人は、秋山孝二様、内川頴一郎様、湊晶子様、森本晴生様の
四人の方々です。
開会のごあいさつ
秋山孝二様(公益財団法人秋山記念生命科学振興財団 理事長)
乾杯のごあいさつ
内川頴一郎様(財団法人新渡戸基金 理事長)
ご祝辞
湊 晶子様(東京女子大学 前学長)
草原克豪様(拓殖大学 名誉教授)
大津光男様(普連土学園 財務理事)
花束贈呈
藤井花穂様(藤井茂様ご令嬢)より、佐藤全弘様へ
中野美帆様(佐藤全弘様ご令孫)より、藤井茂様へ
新渡戸稲造博士ご遺族・加藤武子様(新渡戸稲造ご令孫)からのメッセージ
(柴崎由紀 代読)
著者お二人のスピーチ
佐藤全弘様(大阪市立大学 名誉教授)
藤井茂様(新渡戸基金 事務局長)
おわりのごあいさつ
森本晴生様(新渡戸文化学園 学園長)
多くの関係者の皆様がご参集され、なごやかな会になりました。
皆様のお気遣いをいただき、慣れない進行役を務めさせていただきました。
小著、伝記『新渡戸稲造ものがたり』は、
佐藤全弘様の長年のご研究と著作、藤井茂様の励ましとご協力があり、
出版することができました。
あらためて、お二人に感謝とお祝いを申し上げます。
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