・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2019/08/22

田島道治(初代宮内庁長官)と新渡戸稲造博士

2019年8月21日(水)

今回、「拝謁記」が公表された田島道治 初代宮内庁長官は、
学生時代、新渡戸稲造博士の書生でした。

伝記『田島道治』をお書きになった恩師加藤恭子先生によると、
新渡戸夫妻は、田島氏に終生大変な信頼をおいていらしたそうです。
新渡戸博士がカナダで亡くなり、遺骨を抱いて帰国したメアリー夫人が、
真っ先に遺骨を手渡したのが、田島氏だったということです。

新渡戸博士のお墓がある多摩墓地の新渡戸像も、田島氏が中心になって
建てられました。詳細は、こちら

加藤恭子先生は、上記の伝記以外に、これまで、

『昭和天皇 「謝罪詔勅草稿」の発見』
昭和天皇と田島道治と吉田茂 初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から』
『昭和天皇と美智子妃 その危機に 「田島道治日記」を読む』

などをご執筆されています。