・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2018/06/20

『ハーバード白熱日本史教室』の「武士道」

2018年6月

『ハーバード白熱日本史教室』北川 智子 著 新潮新書

同書で説明されている(著者がハーバード大学の授業で
学生たちに講義した)「武士道」は、下記のような内容です。

同書のp.62より抜粋

武士道は「創造された日本らしさの象徴」

武士道という言葉が世界中に広まるのは、1900年、
新渡戸稲造が『Bushido: The Soul of Japan』を出版して以来のことで、
それほど昔もことではないのです。
・・・広い意味でサムライまたは武士は古くから存在し、彼らが
したためた書物は多数存在していました。
しかし、ここで重要なのは、彼らが共通してあがめる、
いわばバイブル的な武士道があったわけではない、ということです。
武士道という言葉が長く使われていたわけではなく、サムライが、
武士道を貫くために生きていたわけでもない、という点です。
つまり、新渡戸稲造が日本人の倫理を語る概念として作った
「武士道」が、20世紀初頭に世界に向けて発信され、
それがあたかも以前から存在していたものであるかのように
受け入れられてしまったのです。
(中略)
つまり、新渡戸の武士道は、歴史史料を引用した歴史事実ではなく、
時代が新渡戸に想像させた新しいコンセプトだったのです。
そして、この史実とかけ離れた、強すぎる武士道は一人歩きを
はじめます。