・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2015/07/27

スイスだより「波蘭(ポーランド)の国宝」

2015年7月24日(金)晴れ Rapperswil(ラッパーズヴィル)スイス

新渡戸稲造博士は、著書『東西相触れて』の中で、
「波蘭(ポーランド)の国宝」というエッセイを書いています。

「端西(スイス)のチューリッヒ湖水の傍にラッパーズヴィルという
小部落がある。・・・この町より一段高い所に六百年以前に築かれた
旧城がある。・・・この城をある有志家が買い求めて波蘭の史蹟を
保存する博物館とした。この館に収むるものは、・・・故国のために
悲惨なる運命を荷なった人々の衣服、書翰(書簡)、武器、肖像、
著述そのほか何ものにもよらず、所詮波蘭の国事に殉死した志士に
関するものをここに収めたのである。・・・これを衛るべき場所が
本国には得られぬ故、中立国なる端西(スイス)にして始めて
この保存を委ねらるるのである。
我輩も再三これを見舞うて、その都度不覚の涙を流した。」

新渡戸稲造全集 第一巻 p.243-245「「波蘭(ポーランド)の国宝」


チューリッヒ滞在中、新渡戸博士が何度も足を運んだこの博物館を
訪ねました。
チューリッヒから、電車で約40分。車窓からチューリッヒ湖の美しい
眺めを楽しみながら、ラッパーズヴィルへ。
新渡戸博士が訪問した当時と変わらず、博物館はこのお城の中に
あります。




この博物館はポーランドの歴史とともにいろいろな変遷を経て、
今日にいたっています。

お城の入口


博物館の入口

館の説明文によると、入口に掲げてある紋章の三つの掲示板は、
当時からのオリジナルのようです。
新渡戸博士も目にしたことでしょう。


1927年の博物館内の展示

現在の博物館は、1954年に開館。
1989年、民主化によってポーランドが共和国となった後、
博物館はポーランドのほかの博物館や図書館などとともに運営される
ようになり、1990年、現在の展示になりました。




ポーランドの偉人として、キュリー夫人の紹介コーナーがありました。
新渡戸博士が訪れた当時、新渡戸博士は、まさにキュリー夫人らと共に、
国際知的協力委員会(のちのユネスコ)を発足したころです。


実際に使用していたキュリー夫人の実験道具
スイスとポーランドの友好関係のシンボルですが、
スイスの友人たちにとっては、このポーランド博物館だけが、
特別なものではないようです。
スイスは、ほかの国からもさまざまなものや移民を受け入れて
きている国なのです。
受け入れる中立国としてのスイス、故国の貴重な品々を国外で保存
しなければならない事情があった国々。
それぞれの立場や心情を察すると、
新渡戸博士のみならず、感慨深い思いがあります。