『世界史における日本』 G.B.サンソム (大窪愿二 訳) 岩波新書80 1951年
原文タイトルは、Japan in world history
G.B.サンソム(George Bailey Sansom )
日本語版の序文は、矢内原忠雄氏(日本太平洋問題調査会理事調査委員長)
1951年9月1日に書いています。
「サンソムは、戦前東京のイギリス大使館員として日本滞在三十年に及ぶ著名の
外交官であり、戦時中は、ワシントン駐在公使、戦後は極東委員会イギリス代表の
要職にあった。
・・・1947年以後は、太平洋問題調査会国際調査委員長の任についておられる。」
矢内原氏は、サンソム氏のことを、
「外交官としてのみならず、日本文化史研究の最高権威の一人である」と
讃えています。
この本は、サンソム氏が1950年12月7日から五回にわたり、主催の東京大学で
おこなった連続公開講演の記録です。
その当時の東京大学総長は、南原繁。矢内原忠雄、南原繁は、ともに、
新渡戸博士の教え子でもあります。
(矢内原忠雄氏は、新渡戸が東大で担当していた植民地政策講義の後継者で、
『武士道』の日本語訳者)
第五回「日本の将来にふれて」で、サンソム氏は、次のように述べています。
「私はこの寛容ということにこそ、人と人とのあいだにおけるように国民と
国民のあいだに理解が成り立つ唯一の希望があると考えます。そして、
理解のうちにこそ融合の唯一の希望があるのであります。」
(『世界史における日本』p.113)
新渡戸稲造博士は、亡くなる数ヶ月前の第五回太平洋問題調査会の会議
(カナダ・バンフ)で、次のような内容の演説をしています。
〈「寛容(相手を理解して受け入れること)は、あらゆる進歩と人類福祉の
根底深くにあるものである。文明はその大部分の成長を、この精神に
負っている」〉 (『新渡戸稲造ものがたり』p.210)