2012年2月5日(日曜日)、その別荘跡を訪ねました。
JR鎌倉駅から江の電に乗り換え、稲村ケ崎駅で降りて、海岸に向かって2,3分のところ、
素敵な家が立ち並ぶ一角、音無川のすぐ横です。
(建物はずいぶんリニューアルされていると思われます)
大正九年(1920年)秋から六ヵ月間、有島家がこの別荘を借りて生活しました。
新渡戸博士の教え子であった有島武郎の弟、画家・有島生馬(里見弴の兄)の一家です。
「新渡戸別荘の内部は、洋間ばかり、ベランダ、サロン、食堂と書斎にはマントル・ピース
があり、それに廊下続きの離れには使用人用の日本間が二部屋あり、(以下、略)」
(『松の屋敷 有島暁子遺稿集』より)
聖路加に売却され、その後、聖路加看護大学の施設「アリスハウス」になり、現在は、
セミナーハウスとして使用されているようです。
ジュネーブの国連古文書館に残っている帰国時の資料には、ジュネーブからの
引越荷物の一部は、鎌倉へ輸送されるように手配した文書が残っていました。
また、北海道大学図書館古文書室に保管されている書簡の中から、メアリー夫人が、
札幌の宮部金吾博士に書いた手紙も含まれていました。
その手紙の中で、夫人は、病気だった宮部博士に、温暖な鎌倉の別荘で療養するよう
勧めています。
「夫は、鎌倉には出向かないので、いつまでも好きなだけ滞在してくださるようにと
申しています」と書き、夫妻が親しい宮部博士を気遣っている様子が伝わってきます。