・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2013/07/15

当時のフィラデルフィア

2013年7月13日 フィラデルフィア

〈 ペンシルヴェニア州(Pensylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)は、
 イギリス人クエーカー、ウィリアム・ペン(William Penn)が建設した地で、
 もともと「ペンの森」という意味です。フィラデルフィアは、「兄弟愛」と
 いう意味で、宗教の違いで争うことのない、自由な町を作ろうという理想を
 もって築かれ、フレンド派の町としてよく知られています。〉
 『新渡戸稲造ものがたり』p.65〜66より

フィラデルフィアの街の中心に建つ市庁舎の最上部には、ウィリアム・ペンの像が
街を見下ろしています。


新渡戸博士は、札幌農学校の教授時代に、『ウィリアム・ペン伝』(1893年)、
『建国美談』(1894年)を書いています。

新渡戸博士が留学し、結婚した当時のフィラデルフィアについて調べるために、
フィラデルフィア・フリー・ライブラリーに行きました。
ここで、当時の地図で住所表記の確認、当時の街の写真を閲覧しました。

ジョンズホプキンズ大学留学時代に、フィラデルフィアを訪れていたのは、
1884年〜1887年のころです。そして、ドイツ留学を終えて、フィラデルフィアで
結婚したのが、1891年1月1日です。

地図のセクションで相談すると、大きなアトラスの地図を二つ出してくれました。
1885年版と1908年版です。そして、係の人が一緒に目的の住所を探してくれました。
現在の地図と見比べてみても、住所表記の変更はないようです。

アトラスの地図『フィラデルフィア』1885年


1890年代のフィラデルフィア('Still Philadelphia'より)

当時の写真を見ると、新渡戸博士の過ごしたころのフィラデルフィアが
まだまだ発展途上の街だったことがよくわかります。