・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2012/07/16

後藤新平の会@学士会館

2012年7月15日(日)
第六回後藤新平賞授賞式/
2012年度「後藤新平の会」シンポジウム
「チャールズ・ビーアドと後藤新平」
二十世紀を代表する歴史家ビーアドとの関係から見えるものはなにか

パネリスト
青山  佾(明治大学公共政策大学院教授)
阿川 尚之(慶應義塾常任理事 同大学教授)
小倉 和夫(青山学院大学特別招聘教授)
開米 潤(ジャーナリスト)
細谷 雄一(慶応義塾大学法学部教授)


後藤新平伯は、新渡戸稲造に大きな影響を及ぼした人物といえます。
ともに岩手出身の二人は、兄弟や師弟関係のようでもあり、
ともに外遊もしました。
新渡戸が、国際連盟の事務次長に就任することになった時も、
二人そろって、パリに滞在中でした。

後藤新平もまた、幅広い活躍をした大人物です。

今回のシンポジウムでは、ビーアド博士が、後藤と出会って、アジア観を
大きく転換したこと、後藤の要請で、関東大震災直後に緊急来日して、
後藤の片腕となって、復興計画に協力しました。
その著書 "President Roosevelt and the coming of the war"は
1941年にアメリカで出版され、大きな反響を呼びました。
(日本語版『ルーズベルトの責任』は、2011年〜2012年、藤原書店から刊行)

2012/07/15

賀川豊彦学会@明治学院大学

2012年7月14日 賀川豊彦学会@明治学院大学白金校舎
「国際的な平和運動における新渡戸稲造と賀川豊彦の役割」
広島大学大学院総合科学研究科 布川 弘

布川先生は、『平和の絆 新渡戸稲造と賀川豊彦、そして中国』
(平成23年 丸善)の著者であり、貴重な機会なので、出席させて
いただきました。
キリスト教の精神を共有していた新渡戸と賀川が、ともに平和のための
活動をおこなったことについて、太平洋問題調査会や日本友和会の活動、
さらに中国との関係など、興味深いお話でした。

二人は、ともに中国人と個人的な関わりやつながりをもっていました。
個人の信頼関係がありながら、それぞれの祖国が争うことになってしまった
ことは、本当に無念であったと心が傷みます。

新渡戸稲造博士のご令孫、加藤武子さんのお話を思い出します。
「小日向の家にいらした中国人の方たちは、本当に礼儀正しく、
本当に素晴らしい、立派な方ばかりでした」。

2012/07/06

渋沢栄一 社会企業家の先駆者

2012年7月5日 渋沢栄一記念財団会員総会@東京工業俱楽部

島田昌和(渋沢研究会代表・文京学院大学経営学部教授)

特に、渋沢栄一が考えていた経済全体の仕組みについての話が興味深かった。
大きな視点と長期的視野に立った考え方。

渋沢の構想した「合本(がっぽん)」資本主義社会
(つまり、民間に公共性をもたせる資本主義)
株式会社は、公共的(パブリック)なもの
会社組織は、一つの共和政体のようなもので、株主は国民のようなもの
民間パブリック(異なる利害を共有すること、共通の利害を見出す)
経営には、道理(論語)が大事

今回の話は、主に渋沢の構想した経済の仕組みとビジネスモデル。
スケールの大きな仕事を成し遂げながら、新渡戸稲造とは、
国際友好に関わることにも共に積極的に関わりをもった渋沢の功績は、
大きい。渋沢も新渡戸も、ともに、現在の社会に、いまなお、影響を
及ぼしている。