2013年7月20日(土)
pacific coast airline #103
8:00 バンクーバー空港(南ターミナル)発
8:25 ヴィクトリア空港着
空港の観光案内のパンフレットのラックにUBCの植物園の案内も
置かれていました。新渡戸記念庭園についても写真入りで載っています。
バンクーバーの空港は、釣りにでかける男性たちでにぎわっていましたが、
ヴィクトリア行きの定期便は、私一人?!
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
2013/07/23
2011/09/07
晩夏の軽井沢へ
大正7年(1918年)、
新渡戸稲造博士は、後藤新平氏らと共に、軽井沢(通俗)夏期大学を開校しました。
後藤新平氏が総裁、新渡戸博士が会長。
軽井沢という地で、どのような目的と経緯で、この大学が開かれたのでしょうか。
その背景と、軽井沢での新渡戸博士を探しに、軽井沢に向かいました。
まずは、軽井沢町立図書館に行き、資料探しです。
あらかじめ、図書館のホームページで検索してみつけ、興味のあった
「軽井沢夏期大学60周年記念誌」を借りることができました。
また、新渡戸博士の別荘のあった「新渡戸通り」の場所を、図書館の窓口の方が、
大きな地図で探してくださいました。ありがとうございました。
図書館の隣にある軽井沢町歴史民俗資料館では、
「軽井沢夏期大学のことは、中央公民館に行けば、なにか資料があるはず」と
教えていただきました。
早速、軽井沢町中央公民館へ行くと、軽井沢夏期大学事務局の方が、
「軽井沢夏期大学50周年誌」と「50周年記念資料 軽井沢夏期大学のあゆみ」を
どうぞとくださいました。
突然の訪問にもかかわらず、本当にありがとうございました。
2011/08/06
ジュネーブ到着
2011年8月2日(火曜日)
レーゲンスブルグ(ドイツ)からチューリッヒ経由で、
ジュネーブ(スイス)に到着しました。
ここには、国際連合ジュネーブ事務局があります。
国連の前身、国際連盟(the League of Nations)の時に、
新渡戸稲造博士は、事務局次長を務めていました。
1919年から1926年の間、ここジュネーブで、さらに大きな広い舞台で
活躍しました。
国連の古文書室(League of Nations Archive)には、どんな文書が
残っているのでしょうか。
新渡戸夫妻が住んでいたレマン湖を臨む邸宅は、みつかるでしょうか。
とても楽しみです。
ジュネーブ到着前、車窓から見えたぶどう畑とレマン湖
2011/07/16
2011/06/02
2011/06/01
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