・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
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2016/09/07

シンポジウム「新渡戸稲造の精神をどう活かすか」

2016年9月4日(日曜日)

地域博物館シンポジウム
新渡戸稲造の精神をどう活かすか
〜新渡戸記念館の現状と未来への挑戦〜

東京文化財研究所セミナー室(東京都台東区)

開会 日髙 真吾 国立民族学博物館文化資源研究センター准教授
主催者 あいさつ
来賓  あいさつ 安倍昭恵 首相夫人
         コシノジュンコ ファッションデザイナー

第一部 基調講演
1 新渡戸稲造と文化の力 〈キャンセル〉 青柳正規 前文化庁長官 
2 新渡戸記念館を活かした歴史まちづくりについて考える
             三井所清典 芝浦工業大学名誉教授

第二部 パネルディスカッション
新渡戸記念館の価値をどう地域の未来に活かすか
コーディネーター 半田昌之 公益財団法人日本博物館協会専務理事
パネリスト    世界の中の新渡戸記念館
         前田耕作 アフガニスタン文化研究所 所長
         生田勉 建築としての価値
         笠覚曉 金沢工業大学教授
         地域博物館としての価値
         矢島國雄 明治大学教授
         外国人の視点から見た価値
         マンリオ・カデロ サンマリノ共和国特命全権大使
         十和田市民の視点から見た新渡戸記念館問題
         保土沢道是 新渡戸記念館を守る会
         新渡戸記念館の所蔵資料の特長
         角田美恵子 新渡戸記念館ボランティア(学芸員)
(敬称略)

会場にて、
パネル展示「新渡戸稲造が残した小さな博物館「新渡戸記念館」の魅力 
〜資料・建物・地域〜


建築物として、地域博物館として、また、所蔵資料の継承と活用について、
それぞれのご専門、視点からの広範で多角的なご発表で、大変勉強になりました。

今後、新渡戸稲造博士の志に沿う方向で、保存・活用されるよう願っています。
会場で、また懇親会では、さまざまなお話を伺う貴重な機会になりました。
ありがとうございました。


2013/08/11

イサム・ノグチと新渡戸博士

「太平洋の橋になりたい」という志をもった新渡戸博士。
一方、生まれながらにして、太平洋の両岸にルーツをもったイサム・ノグチ。

この二人の接点がずっと気になっていました。
新渡戸稲造博士が没した後、イサム・ノグチは、稲造の横顔をあらわした
彫刻作品(『新渡戸稲造ものがたり』p.218掲載)を制作しているからです。




イサム・ノグチ(1904年〜1988年)の父は、日本人 野口米次郎(ヨネ・ノグチ)。
父は、単身渡米し、米国で詩集を出版、米国人女性との間に生まれたのが、
後年、世界的に有名になる彫刻家イサム・ノグチです。

イサム・ノグチ庭園美術館
http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm


新渡戸博士は、野口米次郎の英文詩集『東海より(From the eastern sea)』日本版の
序文を書いています。

「『東海より』は原文である英語のまま、一九〇三年十月に日本でも出版された。
 その日本版に序文を寄せたのは、一九〇〇年に出版した『武士道』で国際的に
 名が知られている新渡戸稲造である。」
「・・・ノグチの詩には、彼の生まれた日本と滞在先の海外の両方が表わされている。
 それらの詩は、東洋と西洋の融合により生み出されたものだ。
 ・・・ノグチの詩は、感じられるが言われていないこと、ぼんやりと想像させるが
 言葉で表わされないことを上手に印象づける。」
(『ヨネ・ノグチ 夢を追いかけた国際詩人』星野文子 著 彩流社 p.124−125より)

父ヨネ・ノグチとは複雑な関係だったイサムが、
どのような経緯で、新渡戸博士の彫刻作品を制作したのだろう。
どのような思いを込めたのだろうか。

2013年8月10日 国際文化会館図書室にて


2011/06/02

稲生川の源へ

新渡戸家が開拓した稲生川の源に案内してくださいました。


奥入瀬川から分岐して、山を貫通します。
機械のない時代、少しずつ斧で削った当時の人々の苦労が偲ばれます。



山の中を通ってきた水が、勢いよく流れ出てきます。



新渡戸記念館の取材

朝早くから、十和田市内の温泉に入り、準備万端。macbookを持って記念館へ。
今日の取材も楽しみです。

太素塚の森、清々しい朝。

石碑「太平洋の橋 新渡戸稲造」

2011/06/01

新渡戸記念館


太素塚の墓所をお参りしたあと、同じ敷地内にある
新渡戸記念館を訪問しました。


館長の新渡戸明さん、館長代理の新渡戸常憲さんにお会いしました。
興味深いお話をたくさん聞くことができました。
心より感謝申し上げます。

新渡戸記念館ホームページは、こちら


新渡戸家三代の像

右手前に座っていらっしゃるのが、新渡戸傳(稲造博士の祖父)
左後方が、新渡戸十次郎(稲造博士の父)


新渡戸稲造博士の像
右後方に祖父、新渡戸
左後方に父、新渡戸十次郎

太素塚へ

いよいよ新渡戸家の太素塚へ。
ここは、「三本木開拓の父」といわれる新渡戸傳(にとべつとう・新渡戸稲造の祖父)、
新渡戸十次郎(新渡戸稲造の父)の墓所です。

入り口には、大きな鳥居があります。





三本木稲荷神社

十和田市駅から稲生川に沿って進み、市街地に向かうと三本木稲荷神社の大きな鳥居が
見えてきました。

1859(安政6)年、上水工事に成功した新渡戸傳(にとべつとう・新渡戸稲造の祖父)が、
都市計画の一つとして造営を計画。

青森県十和田市に到着!

やっと十和田市に着きました。



十和田市の駅のすぐ横には、新渡戸家が三本木台地を開拓した際に
引いた稲生川が、勢いよく流れています。
いまも田畑に水を供給し続けています。