・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
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2015/12/31

藤田正一著『札幌遠友夜学校』

2015年12月

札幌の藤田正一先生が、ご著書『札幌遠友夜学校』を
お送りくださいました。
この冊子のご発行については、先ごろ閉室になった遠友夜学校記念室
の再開、そして、遠友夜学校の貴重な資料を国の文化遺産に、
という強い気持ちが込められています。

遠友夜学校記念室(2011年に訪問)については、こちら



藤田先生は、北海道大学の元副学長/名誉教授でいらっしゃいます。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』執筆のため同大学を訪問した際に
初めてお目にかかりました。
平成遠友夜学校」の校長先生でもいらっしゃいます。
その後、『日本のオールターナティブ 〜クラークが種を蒔き、北大の
前身、札幌農学校が育んだ清き精神〜』(2013年12月)の出版の
お手伝いをさせていただきました。
同書については、こちら


2015/06/11

第3回新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会記念フォーラム

第3回新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会記念フォーラム
「作文・論文コンクール授賞式および記念講演
がおこなわれます。
会長の秋山孝二様よりご案内をくださいましたので、
紹介させていただきます。

2015年6月27日(土)
開場 13時
授賞式/講演 13時30分〜16時
会場 わくわくホリデーホール(札幌市民ホール)
   第1、第2会議室

作文・論文コンクール授賞式・講評
審査委員長 三島徳三 氏(北大名誉教授、名寄市立大学副学長)

記念講演「新渡戸稲造 世界に示した紳士道」
藤井 茂 氏 新渡戸基金事務局長、新渡戸稲造研究家、著述家

主催:一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会
ホームページは、こちら


2014/11/10

第6回武士道講読会講演会

2014年11月7日(金)18時〜
学士会館(東京・神保町)

第6回武士道講読会講演会
鈴木範久先生講演会「内村鑑三研究60年」

昨年に続き、今年も学士会館での武士道講読会の講演会に
出席させていただきました。

今回の講演者は、内村鑑三研究の第一人者でいらっしゃる、
鈴木範久先生(立教大学名誉教授)です。
鈴木先生は、NHK Eテレ「内村鑑三」にもご出演され、
同番組は、録画して何回か視聴させていただきましたので、
この日、直接お話を伺える機会を大変楽しみに伺いました。

内村鑑三は、新渡戸稲造と幼少の頃からの友人で、東京から共に
札幌農学校(現在の北海道大学)に入学、終生の友人でした。

鈴木先生のご講演は、長年の内村研究のお話、内村全集のこと、
内村の思想、新渡戸と内村の信仰の比較など、興味深いお話でした。
特に、よく語られている新渡戸と内村の信仰の違いについて、
鈴木先生は、「最近、大きな違いではないのではと考え始めている」
とおっしゃっていたのが印象的でした。

活発な質疑応答の後、懇親会が続きました。
今回も、新渡戸稲造博士と深いご縁のある、
北海道大学と東京女子大学の両学の同窓生の方々が
親しく交流されていた様子が感動的でした。

ご挨拶は、山田純子様(東京女子大学同窓会会長)と
大山綱夫様(北星学園理事長)。
乾杯は、松谷有希雄様(国立保健医療科学院院長)。

その後、東京女子大学の現役の学生さんたちに、武士道会から
本の贈呈式もおこなわれました。
北海道大学の卒業生で、東京女子大学名誉教授の鳥山英雄先生から
図書が贈られました。
まさに両学の架け橋にふさわしい鳥山先生による贈呈式でした。

スピーチでは

田中美保子先生(東京女子大学准教授)から、
「北海道帝国大学が初めて女子学生を受け入れた際、その10名のうち
 5名が東京女子大学出身の学生だった」というエピソード。

堀田国元様(財団法人 機能水研究振興財団理事長)は、
「知られざる新渡戸稲造人脈:ディスカバー 岡見京」のご研究の
発表がありました。
岡見京 医師は、新渡戸博士の友人 岡見千吉郎の妻で、
海外で医学を学んで女医になった日本で最初の女医。
また新たな新渡戸人脈を知ることになりました。
興味深いお話と資料をご提供いただきました堀田様に感謝申し上げます。

三上節子様(新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会)は、
札幌からのご参加で、札幌で計画中の新渡戸稲造記念館の建設や
作文・論文コンクールのご紹介がありました。
詳細は、新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会のホームページへ。

司会は、武士道講読会の桜庭慎吾様でした。

今回も多くの方々にお声をかけていただき、ありがとうございました。
北海道大学武士道講読会の皆様に心より御礼を申し上げます。


2014/06/12

『武士道』の翻訳者 飯島正久様を訪ねて

2014年6月1日(日)八ヶ岳南麓にて

飯島正久様のお宅を訪問して、お話を伺いました。
飯島様は、1921(大正10)年のお生まれ。
長年、キリスト教の伝道者として活動されていらっしゃいました。
1975(昭和50)年、八ヶ岳南麓大泉町に転居され、週末に、
横浜の港キリスト教会(単立)に通われていましたが、現在では、大泉町で
聖書研究と著作活動に専念されています。

飯島様は、『武士道』(新渡戸稲造・著)を日本語に翻訳され、
教会の会報誌「家庭の聖書月刊誌・牧歌」に連載(1990年3月号〜1992年6月号)。
その内容を、キリスト教関係者以外の一般読者にもわかりやすいよう手を入れて
一冊の本としてまとめて、出版されました。
(月刊「牧歌」の発行は、500回を数え、400〜500人の読者がいらしたそうです)

『武士道 【日本人の魂】』
新渡戸稲造・著 飯島正久・訳/解説
築地書館 1998年10月1日



このたび、ご縁をいただき、飯島様のお嫁さんにあたる飯島恵美子様のご厚意で、
訪問の機会に恵まれました。

飯島様は、北海道の帯広在住時、弁護士だった父親の勧めで、札幌に移り、
遠友夜学校(新渡戸稲造夫妻が創立)で、およそ1年半ほど学ばれたそうです。

キリスト教の伝道者になった理由は、
慶応大学経済学部卒業後、商社丸紅に就職が決まっていたそうですが、
太平洋戦争の学徒出陣で、多くの学友を失い、
(フィリピンへの輸送船が撃沈され、268名中、たまたま帰省許可が出ていた
 自分ともう一人の2名のみが難を逃れた)
とても普通に会社勤めをする気持ちになれなかったからです。

飯島正久 様


飯島様は、内村鑑三門下の山本泰次郎氏を恩師とされ、尊敬していらっしゃいました。
また、ご自身の伯母様から、新渡戸博士直筆サイン入りの英語の『武士道』を
贈られています。

以下、飯島様の本の「訳者まえがき」の冒頭を引用します。
「私の手元に百七十ページ余りの小さな英語の本がある。一九一五年(大正四年)に
 日本で発行された古い本だか、私にとっては、大切な蔵書の一つである。
 著者は新渡戸稲造といい、題名は、BUSHIDO(武士道)、なお副題として
 THE SOUL OF JAPAN(日本の魂)とある。この本の扉には、新渡戸稲造の
 雄渾な英文のサインがあり、一九九〇年一月二日にこの世を去った私の伯母、
 飯島さと(旧姓上野)にあてて、「from her school uncle  一九一六年 東京」とある。
 新渡戸稲造にかわいがっていただいた若き日の伯母が愛蔵し、後にその伯母から
 直接私に贈られたものである。」
 (『武士道 【日本人の魂】』p.1より)

飯島様の伯母さと様は、津田塾大学を卒業され、のちには、同校の教師もされていた
そうです。「from her school uncle」という新渡戸博士の表現に、津田塾と博士の関係が
よく表れています。

「アンクル・ニトベ(Uncle Nitobe)女子英学塾(津田塾大学)
 一九〇〇(明治三十三)年、稲造がアメリカで『武士道』を出版した年の夏、
 津田梅子は、東京に女子英学塾(津田塾大学)を設立しました。
 もともと女子教育に深い関心があった稲造は、アナ・C・ハーツホーンたちと
 ともに女子英学塾の理事になりました。稲造は、女子英学塾の学生のために、
 武士道や日米関係などについての講演を長年にわたりおこないました。
 分厚い眼鏡の奥で、やさしくいたずらっぽくほほえむ稲造を、学生たちは、
 親しみをこめて「Uncle Nitobe(新渡戸おじさん)」と呼びました。
 (『新渡戸稲造ものがたり』p.113より)


直筆サイン入りのご著書をいただいていることからは、伯母様が、新渡戸博士に
大変かわいがられていらしたと想像できます。

飯島様の『武士道 【日本人の魂】』は、翻訳のみならず、随所に飯島様の
解説が入り、とても理解しやすい内容になっています。
また、飯島様は、ご出版まもなく、新渡戸博士のお孫様(加藤武子様と思われます)
にお目にかかる機会があり、
「一番(原文に)忠実に訳していただいて」と喜んでいただいた、
と話されていました。

このたび、飯島正久様と恵美子様には、貴重なお話を伺うことができ、
後ろ髪を引かれる思いで、お宅を後にしました。
晴天の八ヶ岳が美しく、青空の青色、新緑の緑がまぶしく輝いていました。

飯島様、ご紹介いただきました山本様ご夫妻に感謝申し上げます。

左から 飯島恵美子様 飯島正久様 筆者


2011/11/15

遠友夜学校跡地

最終日、新渡戸稲造・萬里子ご夫妻が豊平橋近くに創立した、札幌遠友夜学校の跡地を
訪れました。


数ヶ月前まで、遠友夜学校記念室もここにありましたが、建物の解体作業中でした。
この掲示も間もなく取り外されることでしょう。



敷地内、道路に近いところに、遠友夜学校を記念する像が立っています。


新渡戸博士ご夫妻
稲造博士は、第一代校長、萬里子夫人が第二代校長を務めました。


「学問より実行」

当初の遠友夜学校の建物の写真(札幌市資料館内、遠友夜学校記念室の展示写真)



ここは、当時、教師を務めた学生たちが通っていた札幌農学校の場所からは
離れた場所にあります。
夜学校で教えるために、夜道を往復した学生たちの思いに頭が下がります。

札幌教育委員会で聞いたところでは、この像は、この地に残される予定だということです。
この土地が今後どのように使われるかは今のところ未定のようです(2011年11月現在)。

最後に札幌駅のJRタワーに上りました。地上160メートルから、360度の視界が広がります。


北海道大学を望む


大都市になった札幌の街を、新渡戸稲造博士がご覧になったら、どんな感想をお持ちに
なるでしょう。

今回の札幌訪問でも多くの収穫がありました。
お世話になりました方々に御礼申し上げます。

札幌 遠友夜学校記念室

秋が深まる晴天の札幌を再訪しました。

2011年11月10日(木曜日)早朝の羽田空港発で新千歳空港へ。
10時に北大植物園にてアポイントメント。
早速、宮部金吾博士(新渡戸稲造と札幌農学校で同期生)記念室へ。
前回の見学で、大変印象的だった宮部先生の農学校時代の英語の筆記ノート、
親友新渡戸稲造博士の死を報じた新聞の切り抜きを貼ったスクラップノート
などを撮影させていただきました。


その後、徒歩で大通公園端にある札幌資料館へ。
移転中で前回訪問できなかった遠友夜学校記念室が、今秋、札幌市資料館内に開室しました。


ここへの訪問を導いてくださったのは、十和田市新渡戸記念館の新渡戸館長さんです。




資料室の中。



ここの資料室は、以前、遠友夜学校の跡地にありましたが、建物取り壊しが決まり、
こちらに移転してきました。
記念室の展示は、以前の展示を忠実に再現しているそうです。


その後、この記念室を運営管理している札幌教育委員会生涯学習部へ。
いろいろお話を伺うことができました。ありがとうございました。

資料館前の大通公園では、降雪に備え、ベンチの撤去作業がおこなわれていました。


札幌市資料館(旧控訴院)ホームページは、こちら
遠友夜学校記念室のページは、こちら

2011/07/17

平成遠友夜学校

北海道大学の北18条門の近くに、遠友学舎があります。

遠友夜学校は、新渡戸稲造夫妻が、学ぶ機会に恵まれない人々の
ために、札幌に創設した学校です。
当時の教師や学生たちは、無償で教えました。
この精神を受け継ぐ場として、市民と大学の交流の場となるように
遠友学舎があります。
その校舎では、毎週火曜日の夕方、平成遠友夜学校があります。
北大の学生たち、主に大学院生たちが、自分の専門分野の講義を
します。学生たちにとっては、熱心な市民たちの前で、発表する
貴重な機会になります。


平成遠友夜学校の校長先生は、藤田正一先生
(北大獣医学部名誉教授、元副学長)です。
教頭は、学生たち4名。
毎回の講師の選定、講義の依頼など、教頭(学生)たちのみで
すべて運営されています。


藤田先生にお会いし、クラークの精神、遠友夜学校の意義など
興味深いお話を伺うことができました。
藤田先生、突然の訪問にもかかわらず、ありがとうございました。



毎週火曜日夕方の講義は、誰でも聴講できます。
詳細、講義予定などは、
平成遠友夜学校ホームページ、こちらへ。