2016年9月4日(日曜日)
地域博物館シンポジウム
新渡戸稲造の精神をどう活かすか
〜新渡戸記念館の現状と未来への挑戦〜
東京文化財研究所セミナー室(東京都台東区)
開会 日髙 真吾 国立民族学博物館文化資源研究センター准教授
主催者 あいさつ
来賓 あいさつ 安倍昭恵 首相夫人
コシノジュンコ ファッションデザイナー
第一部 基調講演
1 新渡戸稲造と文化の力 〈キャンセル〉 青柳正規 前文化庁長官
2 新渡戸記念館を活かした歴史まちづくりについて考える
三井所清典 芝浦工業大学名誉教授
第二部 パネルディスカッション
新渡戸記念館の価値をどう地域の未来に活かすか
コーディネーター 半田昌之 公益財団法人日本博物館協会専務理事
パネリスト 世界の中の新渡戸記念館
前田耕作 アフガニスタン文化研究所 所長
生田勉 建築としての価値
笠覚曉 金沢工業大学教授
地域博物館としての価値
矢島國雄 明治大学教授
外国人の視点から見た価値
マンリオ・カデロ サンマリノ共和国特命全権大使
十和田市民の視点から見た新渡戸記念館問題
保土沢道是 新渡戸記念館を守る会
新渡戸記念館の所蔵資料の特長
角田美恵子 新渡戸記念館ボランティア(学芸員)
(敬称略)
会場にて、
パネル展示「新渡戸稲造が残した小さな博物館「新渡戸記念館」の魅力
〜資料・建物・地域〜
建築物として、地域博物館として、また、所蔵資料の継承と活用について、
それぞれのご専門、視点からの広範で多角的なご発表で、大変勉強になりました。
今後、新渡戸稲造博士の志に沿う方向で、保存・活用されるよう願っています。
会場で、また懇親会では、さまざまなお話を伺う貴重な機会になりました。
ありがとうございました。
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
2016/09/07
2014/06/04
昭憲皇太后 百年祭(東京・明治神宮)
昭憲皇太后(明治の皇后。1849年〜1914年)没後100年の野外展覧会が
明治神宮の参道でおこなわれています。6月30日まで
新渡戸稲造博士は、幕末に生まれました。
明治の時代になって天皇陛下が東北巡幸をされた折に、
十和田(青森県)の新渡戸家を訪問されています。
そのことが、新渡戸博士のその後を決定づける大きな出来事になりました。
「一八七六(明治九)年の六月から七月、天皇陛下(明治天皇)が
初めて東北と北海道をお巡りになりました。
その途中、稲造の祖父が開拓事業をおこなった三本木を訪れ、
広大な水田をご覧になり、大変喜ばれました。
そして、その功績をほめて、
『今後も、家族、子孫たちは、その志を継ぎ、ますます農業にはげむように』
というお言葉をくださいました。
(中略)
東京にいた稲造は、母からの手紙で、このことを知りました。
そして、天皇陛下の訪問が新聞に載っているのを見た時、
稲造は、自分の家族の歴史と、今後の自分の責任の重さを実感して、
胸が高鳴りました。」
『新渡戸稲造ものがたり』p.38-39より
また、新渡戸博士とメアリー夫人が発起人になり、
日本の動物愛護運動の先駆けとなった日本人道会に対し、
動物を深く愛した昭憲皇太后のお名前で、当時の皇后陛下から
活動資金の援助を賜っています。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.147より抜粋)
昭憲皇太后は、皇后としてさまざまな社会活動をされました。
今回、明治神宮の森の中で、その業績を知る機会に恵まれました。
1912(明治45)年、昭憲皇太后は、世界の人々のために、
十万円(現在の三億五千万円相当)を下賜しました。
戦時中に留まらず、災害や感染症に苦しむ世界中の人々のために、
平時の国際救援活動を奨励するためでした。(展示解説文より抜粋)
「1921(大正10)年、ジュネーブでおこなわれた第十回赤十字国際会議
昭憲皇太后基金の定款が正式に採択され、基金管理は、赤十字国際委員会
(ICRC)がおこなうこととなりました。」(展示解説文より)
この採択がおこなわれた1921年は、ちょうど新渡戸稲造博士が、
国際連盟の事務次長として、同地ジュネーブに滞在中でした。
常任理事国だった日本を代表する、世界のリーダーの一人として、
国際機関の仕事に従事していた新渡戸博士にとって、
どんなに感慨深い出来事だったでしょうか。
「赤十字事業を、戦時の救護活動から、幅広い人道的な活動へと広げた
支援のあり方は、時代を先取りしたものとして、今日、世界的に大きな
評価を得ています。」(展示解説文より)
明治神宮の参道でおこなわれています。6月30日まで
新渡戸稲造博士は、幕末に生まれました。
明治の時代になって天皇陛下が東北巡幸をされた折に、
十和田(青森県)の新渡戸家を訪問されています。
そのことが、新渡戸博士のその後を決定づける大きな出来事になりました。
「一八七六(明治九)年の六月から七月、天皇陛下(明治天皇)が
初めて東北と北海道をお巡りになりました。
その途中、稲造の祖父が開拓事業をおこなった三本木を訪れ、
広大な水田をご覧になり、大変喜ばれました。
そして、その功績をほめて、
『今後も、家族、子孫たちは、その志を継ぎ、ますます農業にはげむように』
というお言葉をくださいました。
(中略)
東京にいた稲造は、母からの手紙で、このことを知りました。
そして、天皇陛下の訪問が新聞に載っているのを見た時、
稲造は、自分の家族の歴史と、今後の自分の責任の重さを実感して、
胸が高鳴りました。」
『新渡戸稲造ものがたり』p.38-39より
また、新渡戸博士とメアリー夫人が発起人になり、
日本の動物愛護運動の先駆けとなった日本人道会に対し、
動物を深く愛した昭憲皇太后のお名前で、当時の皇后陛下から
活動資金の援助を賜っています。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.147より抜粋)
昭憲皇太后は、皇后としてさまざまな社会活動をされました。
今回、明治神宮の森の中で、その業績を知る機会に恵まれました。
1912(明治45)年、昭憲皇太后は、世界の人々のために、
十万円(現在の三億五千万円相当)を下賜しました。
戦時中に留まらず、災害や感染症に苦しむ世界中の人々のために、
平時の国際救援活動を奨励するためでした。(展示解説文より抜粋)
「1921(大正10)年、ジュネーブでおこなわれた第十回赤十字国際会議
昭憲皇太后基金の定款が正式に採択され、基金管理は、赤十字国際委員会
(ICRC)がおこなうこととなりました。」(展示解説文より)
この採択がおこなわれた1921年は、ちょうど新渡戸稲造博士が、
国際連盟の事務次長として、同地ジュネーブに滞在中でした。
常任理事国だった日本を代表する、世界のリーダーの一人として、
国際機関の仕事に従事していた新渡戸博士にとって、
どんなに感慨深い出来事だったでしょうか。
支援のあり方は、時代を先取りしたものとして、今日、世界的に大きな
評価を得ています。」(展示解説文より)
2011/06/02
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