2013年7月14日 フィラデルフィア
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・
2013/07/16
スプルース・ストリートの家
2013年7月14日 フィラデルフィア
1891年(明治24)年1月1日、若き日本人留学生だった28歳の新渡戸稲造は、
アメリカ人のメアリー・エルキントンと、フィラデルフィアで結婚しました。
当時、二人が出した招待状によると、式のあと、スプルース・ストリート
(Spruce Street)の家に近親者を招いています。
1891年(明治24)年1月1日、若き日本人留学生だった28歳の新渡戸稲造は、
アメリカ人のメアリー・エルキントンと、フィラデルフィアで結婚しました。
当時、二人が出した招待状によると、式のあと、スプルース・ストリート
(Spruce Street)の家に近親者を招いています。
その家は、番地もそのままに、残っていました。
ワシントン・スクエアに近い静かな住宅街です。
タウンハウスになっていますので、表面は大きくありませんが、後ろ側に
延びた造りになっています。
アーチストリートの飲水槽
2013年7月14日 フィラデルフィア
メアリーが所属していたアーチストリート(Arch Street)のミーティングハウス
のすぐ前の歩道で、興味深いものをみつけました。
石で作られた水槽か噴水のようです。
ちょうど通りかかった観光案内の人が説明していた話を聞いてみたところ、
かつて、馬車などが交通手段として使われていたので、その馬のための
飲水槽だったということでした。
「PHILADELPHIA FOUNTAIN SOCIETY. INSTITUTED A.D. 1865」(裏面では1869)
と彫ってありますので、もしその時に設けられたものなら、
1857年生まれのメアリーが幼少のころからあったことになります。
すぐに思い出したのが、1915(大正4)年、新渡戸夫妻が発起人となって
始まった「日本人道会」です。
〈 ・・・欧米式の動物愛護精神を日本に広めるという大きな役割がありました。
子どもたちや警察官に対する動物愛護の教育、牛や馬のための飲水槽
(水飲み場)の修理や設置、動物愛護週間(牛馬を愛する日)を定めるなど、
さまざまな活動をしました。〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.147
もしかしたら、幼いときから通っていたミーティングハウスの前にある
この飲水槽のことを覚えていて、日本での飲水槽設置につながったのかも
しれません。
この写真は、ミーティングハウスの中に掲示されていた古い写真の中の一枚。
アーチストリートに馬車が行きかい、塀の向こうには、ミーティングハウスの
建物が見えます。ちょうどこの左手のほうに、この飲水槽があります。
この馬たちもそこで水を飲んだのでしょうか。
メアリーが所属していたアーチストリート(Arch Street)のミーティングハウス
のすぐ前の歩道で、興味深いものをみつけました。
石で作られた水槽か噴水のようです。
ちょうど通りかかった観光案内の人が説明していた話を聞いてみたところ、
かつて、馬車などが交通手段として使われていたので、その馬のための
飲水槽だったということでした。
| 左がミーティングハウスの塀、右に飲水槽 |
「PHILADELPHIA FOUNTAIN SOCIETY. INSTITUTED A.D. 1865」(裏面では1869)
と彫ってありますので、もしその時に設けられたものなら、
1857年生まれのメアリーが幼少のころからあったことになります。
![]() |
| 車道(馬の側)から見た飲水槽 |
すぐに思い出したのが、1915(大正4)年、新渡戸夫妻が発起人となって
始まった「日本人道会」です。
〈 ・・・欧米式の動物愛護精神を日本に広めるという大きな役割がありました。
子どもたちや警察官に対する動物愛護の教育、牛や馬のための飲水槽
(水飲み場)の修理や設置、動物愛護週間(牛馬を愛する日)を定めるなど、
さまざまな活動をしました。〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.147
もしかしたら、幼いときから通っていたミーティングハウスの前にある
この飲水槽のことを覚えていて、日本での飲水槽設置につながったのかも
しれません。
この写真は、ミーティングハウスの中に掲示されていた古い写真の中の一枚。
アーチストリートに馬車が行きかい、塀の向こうには、ミーティングハウスの
建物が見えます。ちょうどこの左手のほうに、この飲水槽があります。
この馬たちもそこで水を飲んだのでしょうか。
結婚式がおこなわれたミーティング・ハウス
2013年7月14日 フィラデルフィア
アーチストリートのミーティング・ハウスで、日曜礼拝に出席、内部を見学させて
いただきました。
1891(明治24)年1月1日、新渡戸稲造とメアリー・エルキントンは、ここで
結婚しました。建物は、当時のまま、今日でも使われています。
アーチストリートのミーティング・ハウスで、日曜礼拝に出席、内部を見学させて
いただきました。
1891(明治24)年1月1日、新渡戸稲造とメアリー・エルキントンは、ここで
結婚しました。建物は、当時のまま、今日でも使われています。
ハウスの中には、ウィリアム・ペンの働きをあらわした人形劇、
その時代の物などの展示品などもあります。
2013/07/15
当時のフィラデルフィア
2013年7月13日 フィラデルフィア
〈 ペンシルヴェニア州(Pensylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)は、
イギリス人クエーカー、ウィリアム・ペン(William Penn)が建設した地で、
もともと「ペンの森」という意味です。フィラデルフィアは、「兄弟愛」と
いう意味で、宗教の違いで争うことのない、自由な町を作ろうという理想を
もって築かれ、フレンド派の町としてよく知られています。〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.65〜66より
フィラデルフィアの街の中心に建つ市庁舎の最上部には、ウィリアム・ペンの像が
街を見下ろしています。
新渡戸博士は、札幌農学校の教授時代に、『ウィリアム・ペン伝』(1893年)、
『建国美談』(1894年)を書いています。
新渡戸博士が留学し、結婚した当時のフィラデルフィアについて調べるために、
フィラデルフィア・フリー・ライブラリーに行きました。
ここで、当時の地図で住所表記の確認、当時の街の写真を閲覧しました。
ジョンズホプキンズ大学留学時代に、フィラデルフィアを訪れていたのは、
1884年〜1887年のころです。そして、ドイツ留学を終えて、フィラデルフィアで
結婚したのが、1891年1月1日です。
地図のセクションで相談すると、大きなアトラスの地図を二つ出してくれました。
1885年版と1908年版です。そして、係の人が一緒に目的の住所を探してくれました。
現在の地図と見比べてみても、住所表記の変更はないようです。
当時の写真を見ると、新渡戸博士の過ごしたころのフィラデルフィアが
まだまだ発展途上の街だったことがよくわかります。
〈 ペンシルヴェニア州(Pensylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)は、
イギリス人クエーカー、ウィリアム・ペン(William Penn)が建設した地で、
もともと「ペンの森」という意味です。フィラデルフィアは、「兄弟愛」と
いう意味で、宗教の違いで争うことのない、自由な町を作ろうという理想を
もって築かれ、フレンド派の町としてよく知られています。〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.65〜66より
フィラデルフィアの街の中心に建つ市庁舎の最上部には、ウィリアム・ペンの像が
街を見下ろしています。
新渡戸博士は、札幌農学校の教授時代に、『ウィリアム・ペン伝』(1893年)、
『建国美談』(1894年)を書いています。
新渡戸博士が留学し、結婚した当時のフィラデルフィアについて調べるために、
フィラデルフィア・フリー・ライブラリーに行きました。
ここで、当時の地図で住所表記の確認、当時の街の写真を閲覧しました。
ジョンズホプキンズ大学留学時代に、フィラデルフィアを訪れていたのは、
1884年〜1887年のころです。そして、ドイツ留学を終えて、フィラデルフィアで
結婚したのが、1891年1月1日です。
地図のセクションで相談すると、大きなアトラスの地図を二つ出してくれました。
1885年版と1908年版です。そして、係の人が一緒に目的の住所を探してくれました。
現在の地図と見比べてみても、住所表記の変更はないようです。
![]() |
| アトラスの地図『フィラデルフィア』1885年 |
| 1890年代のフィラデルフィア('Still Philadelphia'より) |
当時の写真を見ると、新渡戸博士の過ごしたころのフィラデルフィアが
まだまだ発展途上の街だったことがよくわかります。
2013/07/14
スワースモア大学
2013年7月12日 スワースモア(Swarthmore)
昨日に続き、朝早く電車で郊外へ。
今日は一日、スワースモア大学(Swarthmore College)で過ごす予定です。
昨日訪問したハヴァフォード大学、ブリン・モア大学、そして、スワースモア大学は、
協定校で、学生たちは、在籍している大学以外の二大学でも単位を取得する
ことができます。
スワースモア大学の「フレンズ・ヒストリカル・ライブラリー
(Friends Historical Library)」は、クエーカーに関する世界一のコレクションを
誇っているようです。
新渡戸夫人の実家エルキントン家も、多くの資料を寄贈しています。
どんな資料を閲覧させていただけるのか、楽しみです。
| スワースモア大学正門 |
Nitobe、Elkintonの名前がついているフォルダーボックスがたくさんあります。
多くの写真、私信、記録・・・
内村鑑三からメアリー夫人へのはがき、オークベイビーチホテルや
軽井沢の別荘のレターヘッドで書かれた手紙など。
新渡戸博士が、1891年に札幌から義弟ジョセフに書いた手紙もありました。
〈 細長い封筒に入った彼らの直筆の文字は、何度も太平洋を越えていきました。
メアリーの弟ジョセフに稲造が書いた一通は、三メートル近い長さに
及ぶものもあったそうです。〉
『新渡戸稲造ものがたり』p.85より
(同書p.159に、来日したジョセフの写真掲載)
和紙の巻紙に、毛筆で英文を延々と書いています。
そして、そのジョセフの妻、サラ(Sarah P. Elkinton)が書いた一冊の厚いノート。
メアリーから送られてきた手紙を書き写した記録です。
当時は、手書きで記録を残すことが、一族の伝統であった、との説明でした。
そのほか、一日ではとても目を通せないほどの豊富な資料を閲覧させて
いただきました。ありがとうございました。
2013/07/13
ブリン・モア大学
2013年7月11日 ブリン・モア(Bryn Mawr)
この日は、朝早くフィラデルフィアのホテルを出発し、
オーバーブルック、ハヴァフォード、そして、最終目的地の
ブリン・モアに向かいます。
ハヴァフォード大学で、「たった2マイルよ」と聞いたので、
歩き始めましたが、夕方とはいえ炎天下の中、一時間近くもかかって
しまいました。
やっと着いたブリン・モア大学のキャンパスの美しさに目を見張りました。
この日は、朝早くフィラデルフィアのホテルを出発し、
オーバーブルック、ハヴァフォード、そして、最終目的地の
ブリン・モアに向かいます。
ハヴァフォード大学で、「たった2マイルよ」と聞いたので、
歩き始めましたが、夕方とはいえ炎天下の中、一時間近くもかかって
しまいました。
やっと着いたブリン・モア大学のキャンパスの美しさに目を見張りました。
まるで、中世のイギリスに迷いこんだような感じです。
なだらかな芝生の谷の向こうにお城のような校舎がそびえたっています。
この大学では、新渡戸博士の友人だった津田梅子(津田塾大学の創設者)や
教え子だった河井道(恵泉女学園の創設者)が学びました。
大学図書館で、津田梅子氏の在学当時の写真を見せていただきました。
ブリン・モアの駅から帰途に着きました。
この日は朝から多忙な一日でしたが、親切な方々に出会い、充実した時間を
過ごすことができたことに感謝しながら、フィラデルフィアに戻りました。
ハヴァフォード大学
2013年7月11日 ハヴァフォード(Haverford)
オーバーブルックで、フレンズ・セントラル・スクールと
フィラデルフィア日本語授業補習校事務所を訪問した後、
ハヴァフォード大学(Haverford College)を訪ねました。
新渡戸稲造、夫人の実家エルキントン家、クエーカーに関する資料は、
主にハヴァフォード大学と、スワースモア大学に保管されています。
オーバーブルックで、フレンズ・セントラル・スクールと
フィラデルフィア日本語授業補習校事務所を訪問した後、
ハヴァフォード大学(Haverford College)を訪ねました。
新渡戸稲造、夫人の実家エルキントン家、クエーカーに関する資料は、
主にハヴァフォード大学と、スワースモア大学に保管されています。
ハヴァフォード大学は、1833年創立の伝統ある私立名門大学。
徹底した少人数教育をおこなう名門リベラル・アーツ大学です。
こじんまりとした美しいキャンパスです。
新渡戸博士の養子・孝夫(よしお、稲造の姉・喜佐の次男)は、
この大学を卒業しています。
| Magill Library |
| Quaker & Special Collections in Magill Library |
ここでは、貴重な資料を閲覧・撮影させていただきました。
新渡戸博士の著書の初版本もいくつかあり、初めて、手にとって見ることが
できた本もあります。
![]() |
| 'Reminiscences of Childhood' 表紙 |
| 'Reminiscences of Childhood' 見返し |
![]() |
| 'Editorial Jottings' 表紙 |
| 'Editorial Jottings' 見返し |
新渡戸稲造、メアリー・エルキントンの結婚式の記録も閲覧。
式の様子、出席者名一覧が書かれていました。
出席者の中には、日本人の名前と思われる三名の名前がありました。
閉館まで滞在、このあと、ブリン・モア大学へ向かいます。
フィラデルフィア日本語補習授業校
2013年7月11日 オーバーブルック
フィラデルフィア日本語補習授業校は、フレンズ・セントラル・スクールの
本館(旧モリス邸)で、週末に日本人の子どもたちのための授業と、
日本語の補習をおこなっています。
今年の4月に着任された徳光茂校長先生のお迎えで、車で5分ほどのところに
ある事務所に連れて行っていただきました。
事務所には、今年の春まで教員をされていた、二美代バッタ(Fumiyo Batta)様も
お越しくださり、お二人にお話をうかがうことができました。
同校の愛校歌「よき友をもちて」は、聖路加国際病院の日野原重明先生の作詞・作曲で、
バッタ様と日野原先生のご縁から、寄贈いただいたものだそうです。
新渡戸博士は、生前、鎌倉の別荘を聖路加にお譲りになり、現在は、聖路加看護大学
セミナーハウスになっています。
「新渡戸稲造→旧モリス邸→日本語補習校→日野原先生→聖路加→鎌倉の新渡戸別荘」
と、ぐるっとつながった感じがします。
フィラデルフィア日本語補習授業校は、フレンズ・セントラル・スクールの
本館(旧モリス邸)で、週末に日本人の子どもたちのための授業と、
日本語の補習をおこなっています。
今年の4月に着任された徳光茂校長先生のお迎えで、車で5分ほどのところに
ある事務所に連れて行っていただきました。
事務所には、今年の春まで教員をされていた、二美代バッタ(Fumiyo Batta)様も
お越しくださり、お二人にお話をうかがうことができました。
徳光校長先生は、北海道のご出身、海外の日本人学校の校長先生に就任された最初の
勤務地が台湾だったそうで、偶然にも新渡戸博士とゆかりの地にご縁があります。
伝記『新渡戸稲造ものがたり』を同校に寄贈させていただきました。
新渡戸博士と深い関係のある旧モリス邸で学ぶ日本の子どもたちに、
ぜひ、その生涯を知ってもらえたらと願っています。
| 愛校歌 |
バッタ様と日野原先生のご縁から、寄贈いただいたものだそうです。
新渡戸博士は、生前、鎌倉の別荘を聖路加にお譲りになり、現在は、聖路加看護大学
セミナーハウスになっています。
「新渡戸稲造→旧モリス邸→日本語補習校→日野原先生→聖路加→鎌倉の新渡戸別荘」
と、ぐるっとつながった感じがします。
バッタ様は、海外在住が長く、また、声楽家(ソプラノ)でもあります。
日本のゆかたを夏服として、素敵に着こなしていらっしゃいました。
軽やかな装いを、記念撮影。
引き続き、お二人と昼食をご一緒させていただいた後、思いがけず、
ハバフォード大学まで車で送っていただきました。
徳光校長先生、バッタ様、ありがとうございました。
貴重な出会いに感謝しています。
フレンズ・セントラル・スクール
2013年7月11日 オーバーブルック(Overbrook)
フィラデルフィアから電車で郊外に向かいます。
楽しみにしていた、フレンズ・セントラル・スクール(Friends' Central School)
訪問です。
| オーバーブルック駅 |
この学校には、旧モリス家が残され、本館として利用されています。
モリス夫妻は、日本人留学生たちを頻繁に招き、新渡戸博士も
将来の妻となるメアリーとここで出会っています。
新島襄、野口英世、津田梅子、内村鑑三らも集った邸宅です。
| 旧モリス邸正面玄関(現フレンズ・セントラル・スクール本部) |
お二人が案内をしてくださいました。
Joelの話では、この建物はもともと1862年(新渡戸博士生誕の年!)に
建てられましたが、1892年にほとんど建て直されるほどの大規模な改築が
おこなわれたそうです。
なるほど、1862年に建てられた建物は、写真でよく見ると造りが違います。
そして、当時の建物の内部の写真が現存していないので、
いまとなっては、様子がわからない、とのことでした。
残念ながら、若き稲造青年とメアリーが出会った建物ではありませんが、
雰囲気のある美しい建物です。
| 旧モリス家 正面玄関(内側から撮影) |
玄関のステンドグラスには、もともとの建物が建てられた年「18(左)62(右)」が
入っています。
一般の家に、ステンドグラス、それもティファニー社のものがあるのは、大変
めずらしいことで、一時は、世界一の会社といわれたペンシルヴァニア鉄道を
経営していたモリス家の裕福さを象徴しているとのことでした。
親切に案内してくださったお二人。
写真のご提供もいただきました。ありがとうございました。
この部屋は、Joelのクラスルーム。週末は、日本語補習校で使用されています。
日本語の図書がたくさんありました(写真後部)。
このあと、日本語補習校の徳光校長先生が、お迎えに来てくださり、
補習校の事務所に移動です。
| 旧モリス邸 階段の踊り場にあるティファニー製ステンドグラス |
一般の家に、ステンドグラス、それもティファニー社のものがあるのは、大変
めずらしいことで、一時は、世界一の会社といわれたペンシルヴァニア鉄道を
経営していたモリス家の裕福さを象徴しているとのことでした。
フレンズ・セントラル・スクールがこの地に移転してきたのは、1925年とのこと。
現在、3歳から18歳まで800名ほどの在校生のうち、
クエーカーの比率は、生徒の5%、教職員の15%程度なのだそうです。
| Joel(左)とDwight(右) |
写真のご提供もいただきました。ありがとうございました。
この部屋は、Joelのクラスルーム。週末は、日本語補習校で使用されています。
日本語の図書がたくさんありました(写真後部)。
このあと、日本語補習校の徳光校長先生が、お迎えに来てくださり、
補習校の事務所に移動です。
2013/07/10
ボルティモアの旧居
ジョンズ・ホプキンズ大学は、新渡戸博士在学当時、もっと南にありました。
旧キャンパスのすぐ隣に、クエーカーのミーティングハウス、そして、
近くに住居がありましたので、調べた住所を頼りに行ってみることにしました。
ところが、そのあたりは、当時と違ってあまり治安がよくないようで、
何人かの人に意見を聞きましたが、「自分だったら、あえて行きたくない」
「昼間なら大丈夫。ただ気をつけて」という反応です。
また、公共の交通機関もないので、大学のビジターセンターでタクシーを
呼んで、タクシーでまわってもらうことにしました。
まず向かったのは、W ランベール通り。
旧キャンパスのすぐ隣に、クエーカーのミーティングハウス、そして、
近くに住居がありましたので、調べた住所を頼りに行ってみることにしました。
ところが、そのあたりは、当時と違ってあまり治安がよくないようで、
何人かの人に意見を聞きましたが、「自分だったら、あえて行きたくない」
「昼間なら大丈夫。ただ気をつけて」という反応です。
また、公共の交通機関もないので、大学のビジターセンターでタクシーを
呼んで、タクシーでまわってもらうことにしました。
まず向かったのは、W ランベール通り。
建物の壁に1794と書かれたロゴがあります。
火災保険会社 Baltimore Equitable Society/Insuranceのロゴです。
火災保険会社 Baltimore Equitable Society/Insuranceのロゴです。
フィラデルフィア出身のベンジャミン・フランクリンが考えた「火災保険」。
この仕組みを利用して作られたボルティモア最初の会社で、アメリカで三番目に
古い火災保険会社で、現存する会社です。
このロゴは、その火災保険に入っている建物であることを示しているそうです。
この仕組みを利用して作られたボルティモア最初の会社で、アメリカで三番目に
古い火災保険会社で、現存する会社です。
このロゴは、その火災保険に入っている建物であることを示しているそうです。
このあたりは、きれいな街並で、人の通りは少ないものの危険な感じはしません。
タクシーの運転手さんには、事情を話して、写真を撮る間、待っていてもらい、
次のロケーションに向かいます。
ここは、一時、佐藤昌介、新渡戸稲造、ウィルソン、元良勇次郎が住んでいた
マカルー通りです。
タクシーから降りて、足早に街並の写真を撮って、すぐに次へ。
級友 W. ウィルソン大統領
ジョンズ・ホプキンズ大学のビジター・センターになっているホールに、
W.ウィルソンの胸像があります。
先にジョンズ・ホプキンズに在学中の先輩、佐藤昌介博士に勧められて、
ジョンズ・ホプキンズに入学した新渡戸博士は、佐藤と同じ、アダムス教授の
セミナーに入ります。
そこには、のちにアメリカ合衆国大統領となるW. ウィルソンも在籍していました。
それからさらに30年後、ウィルソン大統領が提唱する世界で初めての国際平和機関、
国際連盟が設立され、新渡戸博士がその事務次長に就任することになります。
運命の巡り合わせでしょうか。
W.ウィルソンの胸像があります。
先にジョンズ・ホプキンズに在学中の先輩、佐藤昌介博士に勧められて、
ジョンズ・ホプキンズに入学した新渡戸博士は、佐藤と同じ、アダムス教授の
セミナーに入ります。
そこには、のちにアメリカ合衆国大統領となるW. ウィルソンも在籍していました。
それからさらに30年後、ウィルソン大統領が提唱する世界で初めての国際平和機関、
国際連盟が設立され、新渡戸博士がその事務次長に就任することになります。
運命の巡り合わせでしょうか。
2013/07/09
ジョンズ・ホプキンズ大学
2013年7月8日(月曜日)
今日は、ジョンズ・ホプキンズ(Johns Hopkins University)大学の図書館に
行きます。
事前にメールで打ち合わせをしてあり、10時に伺う約束です。
大学から紹介していただいたホテルのすぐ前が、
キャンパスのノースゲート(North Gate)です。
今日は、ジョンズ・ホプキンズ(Johns Hopkins University)大学の図書館に
行きます。
事前にメールで打ち合わせをしてあり、10時に伺う約束です。
大学から紹介していただいたホテルのすぐ前が、
キャンパスのノースゲート(North Gate)です。
ノースゲートからうしろを振り返るとホテル(The Inn at The Colonnade)の
全景が見えます。
緑の美しいキャンパス。建物はレンガ色で統一されています。
東部の大学でもこんな注意書きがあるのですね。
「図書館内では、靴とシャツを着用のこと」
一日を過ごした古文書室の入り口。
ここで、持ち物は、ロッカーに入れて、必要なものだけを持ち込みます。
ペンやバッグは持って入れません。
あらかじめ用意しておいてくれた資料を見せていただきました。
写真撮影やスキャニングは自由にできます。
新渡戸博士の在学期間のCircularsを閲覧していたところ、
No.45(1885年12月号)の学生名簿に、元良勇次郎博士(心理学専攻)の名前を
みつけました。同志社の一期生、日本で最初の心理学者といわれています。
現住所として、新渡戸博士と同じ住所が記載されています。
Yuzero Mtora
Sanda, Japan
Doshisha Kioto Japan 1884 Philosophy
4 McCulloh St.
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