後藤新平氏、新渡戸稲造博士らが始めた軽井沢夏期大学の跡は、
現在、日本大学の軽井沢研修センターになっています。
センターの裏手に、軽井沢夏期大学当時のものといわれている門が
残っています。
軽井沢夏期大学は、戦争で一時中断されましたが、その後、再開し、
現在も続いています。
当時、学問は、帝国大学でおこなわれるものとされていましたが、
一般の人々も広く学ぶことが、国の将来のためにも必要であるとの
考え方から、始められました。
その意図が、「通俗」という名称にあらわれていたのです。
開校時の名称は、軽井沢夏期通俗大学。