念願の上京を果たした稲造博士(当時は、叔父・太田時敏の養子)は、元南部藩主による
共慣義塾に入学、そして、1875年(明治8年)、東京外国語学校の入学試験に合格しました。
東京外国語学校は、現在の東京外国語大学の前身で、現在の千代田区一ツ橋二丁目に
ありました。
皇居のお堀からもすぐ近く、まだ、12,3歳だった稲造少年は、ここで、どのような日々を
送ったのでしょうか。
この場所は、現在、如水会館(一橋大学)、学術センター、共立大学講堂などに
なっています。
高層ビルが立ち並び、舗装した広い道路には、多くの車が行き交っています。
学術センターの敷地に、碑が立っています。
当時を偲ぶことのできる唯一の目印となっています。