『明治大正昭和の人々』佐佐木 信綱 著
図書出版株式会社/新樹社 昭和36年1月30日 発行
この本には、佐佐木信綱先生が関わった実に多くの著名人について
紹介されています。
以下、読書メモ
p.80 新渡戸稲造
明治42年の春の竹柏会では、新渡戸博士にご講演を依頼。
新渡戸博士は、「ファウスト物語について」という題で話され、
「敷島の道に心得のない私が、こういう会で出ますことは、忠臣蔵の芝居に
弁慶でも出るように、あまりに釣り合いのわるいことで・・・」と
おもしろく前置きをされ、話を進められた、と書かれています。
しかし、博士は、敷島の道を心得られないのではなく、学生の会合とか
結婚式などには、たびたび、訓誡(くんかい=物事の善悪、是非を教え諭すこと)
の古歌を引用された。
注・竹柏会(ちくはくかい)=歌誌「心の花」を発行する短歌結社(佐佐木信綱主宰)。
(中略)
三村起一氏の結婚披露宴(上野の精養軒)では、
(佐佐木先生は)媒酌人 新渡戸博士の前の席に座られた。
注・三村起一(1887年〜1972年)は、一高から東京帝国大学法科卒の実業家。
住友鋼業初代社長、日経連、経団連の理事なども歴任。
(中略)
軽井沢にいたある夏の夕べ、霧の深い山荘に、博士を訪ねたことがある。
喜んでお迎えくださり、歌語りに時を過ごし、さて帰ろうとして玄関に出た
ところへ、夫人が帰って来られた。
博士は、自分を、歌の道に何十年をささげた人であるというふうに夫人に
紹介され、夫人の答えを訳して聞かせてくださった。
それは、短い言葉であったが、意味の深い言葉であった。
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新渡戸稲造先生についての部分のみ、抜粋(一部書き直し)。注などは筆者。