2016年10月 読書メモ
『日本女子大学叢書1
20世紀における女性の平和運動
ーーー婦人国際平和自由連盟と日本の女性』
中嶌 邦 ・ 杉森 長子 編
2006年5月 ドメス出版
「婦人平和協会」という平和の文字を全面に掲げて
最も早く始まった女性団体の活動を中心にとりあげた論文集。
協会成立へ大きな影響を与えた成瀬仁蔵および新渡戸稲造と
その夫人メアリーの動向、協会の結成と活動の展開など。
(千代田区立図書館のHPより)
1910年代、新渡戸稲造博士および成瀬仁蔵先生(日本女子大学
創設者)やそのまわりの人脈から始まった日本における女性の平和運動が
アメリカや世界の動きに呼応するように発展、新渡戸博士の
教え子たち(上代タノ先生や河井道先生)によって、継承されて
いったこと、そして、新渡戸博士が、国際連盟事務次長を務めた
国際連盟とともに、国際組織の一つとして活動してきたことなど、
女性平和活動の活発な展開が興味深い。
目次
第一部
女性の平和運動への触発 成瀬仁蔵の平和思想と活動 / 中嶌/邦‖著
婦人平和協会へ向けて 新渡戸稲造夫妻と成瀬仁蔵 / 小塩/和人‖著
婦人平和協会の結成と活動の展開 / 杉森/長子‖著
婦人平和協会と第二次世界大戦 / 杉森/長子‖著
日本における婦人国際平和自由連盟の国際総会開催 / 蟻川/芳子‖著
WILPFと国連 / 秋林/こずえ‖著
第二部 年表より
1919(大正8)年1月
国際問題研究会発足(新渡戸稲造邸)
目賀田逸子(目賀田種太郎夫人、勝海舟三女)、
新渡戸萬里子(新渡戸稲造夫人)、
津田梅子(新渡戸博士の友人、津田塾大学創設者)らの呼びかけにより、
井上秀子、上代タノ、羽仁もと子(自由学園創設者)、
塚本はま子など数十人参加。
1920(大正9)年1月
国際連盟発足
1921(大正10)年7月10日〜14日
第三回国際会議(ウィーン、参加21カ国222人)
日本から新渡戸萬里子らが参加。
第一次世界大戦で敵味方だった諸国の婦人たちが、
平和のための努力を誓い合う
1923(大正23)年6月
国際会長ジェーン・アダムス来日
1924(大正24)年5月17日
第4回国内総会(門野重九郎邸)
講演「ジュネーブ湖畔に開く世界市民の集まり」
新渡戸萬里子
1926(大正15)年5月8日
第6回国内総会
講演「太平洋問題について」
鶴見祐輔
同年7月8日〜15日
第五回国際会議(ダブリン、参加20カ国151人参加)
日本支部代表として上代タノが出席、初めて支部報告をおこなう
「平和へのつぎの段階」
上代タノ
1927(昭和2)年5月21日
第7回国内総会(ドイツ大使館)
講演「平和を将来する人々」
河井道
1928(昭和3)年5月18日
第8回国内総会(大阪ビルディング講堂)
講演「世界の平和と婦人」
新渡戸稲造
1930(昭和5)年6月6日
第10回国内総会
第二代理事長 河井道
1931(昭和6)年
懸賞論文発表「拓け国際協力への進路を」
日米児童画交換開始
満州問題メッセージカード2500枚配布
世界軍縮誓願者署名運動など
(以上、新渡戸博士関連を抜粋、1932年以降は省略)
新渡戸稲造博士の教え子の一人、河井道先生(恵泉女学園創設者)は、
理想とする女子教育の柱に「国際」を掲げていらっしゃいました。
「少女たちが、外国のことを知るようになれば、戦争はなくなると
考えていました。」(『新渡戸稲造ものがたり』より)
やがて母親になる少女たちが、海外のことにも目を向け、平和の尊さを
知ることで、そして、その思いが世界中の女性たちからも芽生え、
響き合い、一つになれば、戦争の悲劇はいつかなくなるのではないでしょうか。
そんな共通の思いを強く感じられる先人たちの活動を知る機会になりました。