聖路加国際病院は、歴史のある都内有数の総合病院です。
104歳の日野原重明先生が、名誉病院長をされていることでも
よく知られています。
聖路加病院旧館(現在の聖路加国際大学) |
新渡戸稲造博士は、この病院の設立にも関わっており、
病院と看護大学の評議員を務めました。
現在も旧館の正面玄関にその足跡を確認することができます。
この写真は、設立当時に建てられた石碑。
12ある穴(釘跡)は、戦時中に「神の栄光」と刻まれた礎石を
憲兵隊によって隠すよう命令され、御影石で覆っていた跡と
説明されています。
「この基礎石は、建物(旧館)が、1928年(昭和3年)1月に着工し、
その後、1930年(昭和5年)3月28日に行われた定礎式で披露され、
約67年間、旧館東口玄関に設置されていました。
・・・中略
定礎式には、秩父宮両殿下を始め、各大臣、東京府知事、
警視総監、各国大公使、新渡戸稲造の署名士たち400名が出席
されました。
・・・後略」
定礎式の当日は、内村鑑三が亡くなった日でもありました。
新渡戸博士の鎌倉の別荘は、新渡戸の没後、メアリー夫人によって
聖路加看護大学(現在の聖路加国際大学)に売却されています。
鎌倉の別荘跡の訪問については、こちら。
今回、大学史編纂資料室のご厚意で、関連資料を閲覧させて
いただくことができました。
松山事件の後、新渡戸博士がこの病院に入院されていたことなども
確認できました。
旧館内部 |
旧館内部 |
この病院のある明石町(東京都中央区)は、かつて外国人居留地
でした。
中庭には、設立者トイスラー博士(Dr. Teusler)の旧宅(洋館)も保存されています。
また、同地には、「芥川龍之介生誕の地」と書かれた案内版も。
芥川もまた、新渡戸校長時代の旧制一高の生徒でした。
(このあたりで幼少時代を過ごした谷崎潤一郎については、こちら。)