アメリカ初代総領事ハリスのもとで奉仕することを命じられ、
恋人とも引き離されたお吉(斎藤きち)さんでしたが、大金の契約金を得たこともあり、
下田の人々から嫉妬と偏見の目で見られてしまいます。
斎藤きち(17歳のころ) |
「安直楼」(建物は現存)を開きましたが、数年で店をたたみました。
(お吉さんの没後、寿司屋として三代108年続き、現在は下田市歴史建造物)
史蹟 安直楼 |
お吉さんは下田川(稲生沢川)の上流で投身し、はかない生涯を閉じました。
どこも引き取りを拒んでいたところ、宝福寺住職の竹岡大乗師が快く引き受け、
お墓に葬りました。
宝福寺 入り口 |
宝福寺さんには、お吉さんのお墓と記念館があります。
記念館には、前田青邨画伯(1885年〜1977年、鎌倉にて没)が描いた「お吉の生涯」、
お吉の着物などが展示されています。
前田青邨画伯「お吉の生涯」の中の一枚 |
1933(昭和8)年7月、新渡戸稲造博士は、下田を訪れ、当時旅館だった
平野屋さんに宿泊し、次のように書き残しています。