・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2013/03/16

『はりす夫人 伝記F L B ハリス』



2013年3月13日 横浜開港資料館図書室にて

『はりす夫人 伝記F L B ハリス』 Life of Mrs. Flora Best Harris
明治四十四年十一月二十日発行 山鹿 旗之進 編 教文館

伝記叢書182
19951022日発行
山鹿 旗之進 編
大空社

上記の書籍をみつけました。

新渡戸博士は、札幌農学校の学生だった1878(明治11)年6月2日、
宣教師ハリスから洗礼を受けています。
(伝記『新渡戸稲造ものがたり』p.47)

思い悩んでいたころの稲造青年が出会ったのが、イギリスのトーマス・カーライル
(Thomas Carlyle)の書いた言葉です。
そして、宣教師ハリスのおかげで、生涯の愛読書を手にするのです。

〈 稲造は、故郷から札幌へ戻る前に、東京へ行きました。ちょうど、宣教師
 ハリスが帰国を前に本を処分しようとしていると聞き、お別れのあいさつに
 行ってみると、たくさんの本の中から一冊だけカーライルの著書『サーター・
 リザーダス(衣服哲学)』をみつけました。・・・「衣服哲学」という題名が
 ついていますが、洋服や洋裁について書いた本ではありません。
 「人間の身体は、その内にひそむ霊を包む衣服である」とする、
 ユニークな哲学の本だったのです。・・・この一冊こそ、稲造が探し求めていた
 ものでした。稲造はこの本を、「飢えた男が何日もしてやっと手に入れた最初の
 食べものをむさぶり食うように」読みました。そして、ずっと心にあった悩みが
 あたかも氷が解けるように消えていったのです。〉
 (『新渡戸稲造ものがたり』p.53-54)

また、アメリカ留学のため渡米した際、最初はハリス夫人の親族を頼って、
アレゲニー大学に入学しました。

そのハリス夫人は、実は大の親日家で、日本文化と日本語に詳しく、
日本に非常な愛着をもっていたことが、この本によってわかりました。

ある時、偶然、新渡戸博士はハリス夫人に会いました。

稲造「はちす葉の濁りにしまぬ心もて・・・」

と口ずさむと、ハリス夫人はすかさず返しました。

ハリス夫人「・・・なにかは露を玉とあざむく」

『はりす夫人 伝記F L B ハリス』の序文
大隈重信 明治四十四年九月
新渡戸稲造 明治四十四年八月十五日 信州軽井沢にて

病弱な夫人は、アメリカなら10年生きるところを、6,7年となっても日本に行きたい
(実家の父は医者)、ただ一人の愛児が眠る日本で骨を埋めたい、
と実家にて家事を終える。
明治三十八年の初秋、「美はしの大和の国」に上陸を果たす

明治三十七、八年 日露戦争 p.120
桑港 母国の一大事と帰国する日本の若者3000
病身で、医者からなるべく外出を控えるように言われていたのにもかかわらず、
日本への船があると聞くと、雨が降っても、風が吹いてもほとんど毎船のように
見送り激励。そのつど、小さな日章旗をもって。
「天の神様はもともと戦争を好みません。けれども、今度の日露戦争は、
日本が国家の存在のためにやむを得ず剣をぬいて起きたのであるから、
神さまは、きっと日本をお助けなさるに違いないと信じます。
しかし、戦争とあれば負傷することもあろうし、また討ち死にすることもありましょう。されば、病院にあって眠る時、海のかなたにある米国の一婦人が『あなたのために
真心こめて神さまに祈っていることを記憶しておいてください。』
わが愛する若き友よ、行けよ。勇ましく行けよ」と小さき国旗を降りかざして、
その行をさかんならしめた。


明治三十九年、東北の飢饉。
赤十字社員のハリス夫人は、詳細を調べ、太平洋沿岸の赤十字社に訴えたところが、
本部のあるワシントンにハリス夫人の投書が届けられ、大統領はこれを読み
大いに感動し、これでは一刻も待ってられないと、あらためて、本部からハリス夫人の
陳情書を合衆国全体の赤十字社に回文した。こうして、ついに数十万円の義捐金が
寄贈された。


病中でも喜んで日本人には面会した。

明治四十年四月、皇后陛下に拝謁
明治四十一年春頃、久しく鎌倉で静養
日本語堪能
「ありが十匹に、さる五匹」→「ありがとうござる」
明治十四年十月〜翌年三月、『土佐日記』の翻訳

九月十日青山学院講堂における葬儀
友人総代 内村鑑三「理想の友人 故ハリス夫人」
佐藤昌介
新渡戸稲造(十月一日 実業之日本)


2013/03/14

『はりす夫人 伝記F L B ハリス』

2013年3月13日 横浜開港資料館図書室にて


『はりす夫人 伝記F L B ハリス』 Life of Mrs. Flora Best Harris
明治四十四年十一月二十日発行 山鹿 旗之進 編 教文館

伝記叢書182
19951022日発行
山鹿 旗之進 編
大空社

上記の書籍をみつけました。

新渡戸博士は、札幌農学校の学生だった1878(明治11)年6月2日、
宣教師ハリスから洗礼を受けています。
(伝記『新渡戸稲造ものがたり』p.47)

思い悩んでいたころの稲造青年が出会ったのが、イギリスのトーマス・カーライル
(Thomas Carlyle)の書いた言葉です。
そして、宣教師ハリスのおかげで、生涯の愛読書を手にするのです。

〈 稲造は、故郷から札幌へ戻る前に、東京へ行きました。ちょうど、宣教師
 ハリスが帰国を前に本を処分しようとしていると聞き、お別れのあいさつに
 行ってみると、たくさんの本の中から一冊だけカーライルの著書『サーター・
 リザーダス(衣服哲学)』をみつけました。・・・「衣服哲学」という題名が
 ついていますが、洋服や洋裁について書いた本ではありません。
 「人間の身体は、その内にひそむ霊を包む衣服である」とする、
 ユニークな哲学の本だったのです。・・・この一冊こそ、稲造が探し求めていた
 ものでした。稲造はこの本を、「飢えた男が何日もしてやっと手に入れた最初の
 食べものをむさぶり食うように」読みました。そして、ずっと心にあった悩みが
 あたかも氷が解けるように消えていったのです。〉
 (『新渡戸稲造ものがたり』p.53-54)

また、アメリカ留学のため渡米した際、最初はハリス夫人の親族を頼って、
アレゲニー大学に入学しました。

そのハリス夫人は、実は大の親日家で、日本文化と日本語に詳しく、
日本に非常な愛着をもっていたことが、この本によってわかりました。

ある時、偶然、新渡戸博士はハリス夫人に会いました。

稲造「はちす葉の濁りにしまぬ心もて・・・」

と口ずさむと、ハリス夫人はすかさず返しました。

ハリス夫人「・・・なにかは露を玉とあざむく」

『はりす夫人 伝記F L B ハリス』の序文
大隈重信 明治四十四年九月
新渡戸稲造 明治四十四年八月十五日 信州軽井沢にて

病弱な夫人は、アメリカなら10年生きるところを、6,7年となっても日本に行きたい
(実家の父は医者)、ただ一人の愛児が眠る日本で骨を埋めたい、
と実家にて家事を終える。
明治三十八年の初秋、「美はしの大和の国」に上陸を果たす

明治三十七、八年 日露戦争 p.120
桑港 母国の一大事と帰国する日本の若者3000
病身で、医者からなるべく外出を控えるように言われていたのにもかかわらず、
日本への船があると聞くと、雨が降っても、風が吹いてもほとんど毎船のように
見送り激励。そのつど、小さな日章旗をもって。
「天の神様はもともと戦争を好みません。けれども、今度の日露戦争は、
日本が国家の存在のためにやむを得ず剣をぬいて起きたのであるから、
神さまは、きっと日本をお助けなさるに違いないと信じます。
しかし、戦争とあれば負傷することもあろうし、また討ち死にすることもありましょう。されば、病院にあって眠る時、海のかなたにある米国の一婦人が『あなたのために
真心こめて神さまに祈っていることを記憶しておいてください。』
わが愛する若き友よ、行けよ。勇ましく行けよ」と小さき国旗を降りかざして、
その行をさかんならしめた。


明治三十九年、東北の飢饉。
赤十字社員のハリス夫人は、詳細を調べ、太平洋沿岸の赤十字社に訴えたところが、
本部のあるワシントンにハリス夫人の投書が届けられ、大統領はこれを読み
大いに感動し、これでは一刻も待ってられないと、あらためて、本部からハリス夫人の
陳情書を合衆国全体の赤十字社に回文した。こうして、ついに数十万円の義捐金が
寄贈された。


病中でも喜んで日本人には面会した。

明治四十年四月、皇后陛下に拝謁
明治四十一年春頃、久しく鎌倉で静養
日本語堪能
「ありが十匹に、さる五匹」→「ありがとうござる」
明治十四年十月〜翌年三月、『土佐日記』の翻訳

九月十日青山学院講堂における葬儀
友人総代 内村鑑三「理想の友人 故ハリス夫人」
佐藤昌介
新渡戸稲造(十月一日 実業之日本)





2013/03/08

近江 石山寺

1933(昭和8)年の春、新渡戸先生は、久しぶりに、そして、
最後の京都への旅に出ます。
亡くなる半年前のことです。
理事を務めていた同志社大学で講演をするためでしたが、
旧知の佐伯理一郎博士、日本画家 竹内栖鳳画伯との会食を
楽しんだりしました。
そして、石山寺に足を延ばしたとされています。



2013年3月、石山寺(滋賀県大津市)を訪ねました。
新渡戸先生の訪問から、ちょうど80年後にあたります。


多宝塔(国宝)
本堂(国宝)

石山寺から瀬田川、遠く琵琶湖を望む

新渡戸先生もこの風景をご覧になったでしょうか。



2013/02/20

テレビ番組「スーツを着たサムライ」追加放送


【 テレビ番組 】
スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜
(岩手めんこいテレビ 制作)


下記のように、追加放送が決まりました。

福島テレビ
2013年03月03日(日)25:10‐26:05(夜中1時10分〜)


ぜひご覧くださいますようご案内申し上げます。

2013/02/02

成城学園と新渡戸稲造博士 その1

母校・成城学園同窓会のホームページで、
著書『新渡戸稲造ものがたり』を紹介していただきました。
掲載ページは、こちら
関係者のみなさま、ありがとうございます。

成城学園と新渡戸稲造博士は、少なからずご縁があります。
以下、現在までにわかった関わりについて簡単に紹介いたします。


1 成城学園創立者 澤柳政太郎先生と新渡戸博士

澤柳政太郎先生(1865年〜1927年)は、文部官僚、教育者として、
大正自由主義教育運動の中心的な役割を果たしました。

1909(明治42)年、新渡戸博士の「実業之日本」編集顧問就任に際して、
澤柳先生は、次のように書いています。
〈その精神の純潔なる、その思想の穏健豊富なる、口を衝いて出づるものは、
金玉の論、適切の教訓でないものはなかろう(略)。
同君が熱心に尽力されるならば、「実業之日本」が新渡戸博士を得たのは、
天下の名士を網羅してその名前を賛助者として掲ぐるよりも満足すべきであると思う。
予は将来「実業之日本」は新渡戸流の思想を鼓吹する雑誌とならんことを希望する、
これやがて我国の青年に対する健全なる指導者たるを以て任ずるに外ならぬ〉。
(「実業之日本」明治42年1月15日号より抜粋)

1917(大正6)年、澤柳先生は、「本当の教育」をめざして、
私立成城小学校を設立。大正自由教育の中心として全国から注目され、
学園として成長していきます。
さらに、澤柳先生は、第一次世界大戦後の欧米教育を視察後、
のちに新渡戸博士が理事長を務める「太平洋問題調査会(IPR)」
日本支部の理事にも就任しています。


2 小林宗作先生のリトミックと新渡戸博士のご令孫

新渡戸博士がスイスのジュネーブで国際連盟事務次長として活躍していたころ、
スイス、ドイツ、アメリカでは、エミール・ジャック=ダルクローズ(Émile Jaques-Dalcrozeのリトミックrythmique=運動によって音楽を学び経験するという
音楽教育の方法)が高く評価されていました。
成城学園幼稚園創設時の主任だった小林宗作先生(1893年〜1962年)は、
1922(大正11)年7月、ジュネーブで新渡戸博士に勧められ、
初めてリトミックに出会います。
小林先生は、一年間、ジャック=ダルクローズに直接学んだ後に帰国。
1925(大正14)年、澤柳校長を説得して、成城学園幼稚園を創設し、
リトミックを幼児教育に導入して、従来の型にとらわれず、
自由・個性を重視した保育をおこないました。
新渡戸博士は、「音楽教育でなすべきことは、演奏技術や技巧の訓練ではなく、
心情の育成である」という教育観をもち、小林先生は、成城学園で「心で音を聴く」
という感性の教育を実践され、日本におけるリトミックの基礎を築きました。

小林先生は、黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」の先生(トモエ学園校長)
です。

新渡戸博士には、成城学園に通われた二人のお孫さんがいらっしゃいます。
故 新渡戸誠さん(10文甲)と加藤武子さん(6百合)のごきょうだいです。
ジュネーブ郊外の邸宅で新渡戸博士夫妻と同居されていた二人は、夫妻の薦めで、
リトミックの教室に通われたそうです。
ジュネーブから帰国後、二人は成城学園に入ります。
その入学に際しては、新渡戸博士が直接学園にでかけて話をされたのであろう、
と加藤武子さんは回想しています。

3 柳田国男先生と新渡戸博士

日本民俗学の創始者 柳田国男先生(1875年〜1962年)は、
成城学園との関わりが深く、成城大学正門近くに住みました。
成城学園には、「日本民俗学の祖」柳田国男先生の柳田文庫、
民俗学研究所があります。

柳田先生は、日本の農政学の先駆者だった新渡戸博士の影響を強く受けています。
1903(明治43)年、東京・小日向の新渡戸稲造邸で、
新渡戸博士とともに「郷土会」を催します。
貧困に苦しむ農民の救済と自立という共通の問題意識をもった二人が中心となり、
日本の農村のありかたや地方の保護について広く話し合う場でした。

1920(大正10)年から1922(大正12)年、
柳田先生は、欧米を視察し、新渡戸博士の推薦によって、国際連盟委任統治委員に
就任してジュネーブに滞在しました。
柳田先生は、当時、国際連盟事務次長としてジュネーブに赴任中の新渡戸博士から、
大学での聴講やヨーロッパ各地への旅行、文献購入を促され、
後年の活動の基礎を築きました。
また、二人は、ジュネーブで、エスペラント(特定の民族が有利または不利にならない
ように考えられた世界共通語)の普及にも力を尽します。
柳田先生は、後年、日本エスペラント学会の理事に就任しています。

柳田先生のご長男、為正氏も成城学園の卒業生です。
お茶の水大学教授(生物学)。



2013/01/14

「素晴らしい生き方を示してくれた人」

めんこいテレビ制作
「スーツを着たサムライ 新渡戸稲造 『武士道』伝説」のDVDを
視聴しました。

新渡戸基金(盛岡)の藤井さんの言葉が印象的でした。

「新渡戸は、農学者、国際人、教育者など、さまざまな専門家として、
それぞれの分野で立派な仕事をした人でしたが、一言でいうと、
素晴らしい生涯を演じた人、なのだと思います。
彼の生き方が広まり、多くの人が考え、行動するようになれば、
きっといい世の中になり、世界平和につながっていくという思いです」

伝記『新渡戸稲造ものがたり』がきっかけになり、
世代を越えて、日本の多くの方々が、
「素晴らしい生き方を示してくれた人」、新渡戸稲造博士に出会って
もらえたらと願っています。

雪の成人式の日に。


2013/01/09

【更新】放送日 スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜

【 テレビ番組 】
スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜
(岩手めんこいテレビ 制作)

制作に協力しました特別番組の放送予定が、下記のように決まっています。
ぜひご覧ください。
(そのほかの地方についても、放送日時が決まりましたら、お知らせいたします)


UHB   北海道文化放送
12/27(木)9時55分〜10時50分

AKT 秋田テレビ
12/29(土)15時30分〜16時25分

TKU テレビ熊本
 12/30(日)4時40分〜5時40分

KTS 鹿児島テレビ
1/3(木)5時00分〜5時55分

UMK テレビ宮﨑
1/7(月)15時56分〜16時50分

NST 新潟総合テレビ
1/7(月)26時15分〜27時10分 (深夜 2時15分〜3時10分)

KSS 高知さんさんテレビ
1/13(日)24時30分〜25時25分 (深夜 0時30分〜1時25分)

OTV 沖縄テレビ
 1/13(日)24時55分〜25時50分 (深夜 0時55分〜1時50分)


THK 東海テレビ
 1/14(月)26時11分〜 (深夜 2時11分〜)

FTB 福井テレビ
1/15(月・祝)25時30分〜 (深夜1時30分〜)

TOS テレビ大分
1/30(水)9時55分〜10時55分


SUT テレビ静岡
2/12(火)25時10分〜 (深夜1時10分〜)




2013/01/08

朝日新聞 社説「アジアの国境 繁栄わかちあう知恵を」

2013年1月6日(日曜日) 朝日新聞朝刊 8面 
社説「アジアの国境 繁栄わかちあう知恵を」

この記事に、「新渡戸裁定」のことが引用されていましたので、
紹介します。(以下一部を抜粋)

今から100年近く前、北欧を舞台に始まった話である。
バルト海の北方に浮かぶオーランド諸島。小さな島を全部あわせれば、
沖縄本島をひとまわり大きくした広さになる。
この島々の領有権をめぐってフィンランドと隣国スウェーデンとの間で
争いがおきた。フィンランドは古くからの統治の実績を言い、
スウェーデンは自国語を日常生活で使う住民の思いを理由にあげた。
両国の対立は国際連盟に持ち込まれた。

北欧の「非武の島」
1921年6月、連盟の裁定が下った。フィンランドへの帰属を認めるかわりに、
島を非武装中立とし、住民の自治を認めるべし。
両国はこれを受け入れ、オーランドを「非武の島」とする国際協定が結ばれた。
当時の国際連盟事務次長、新渡戸稲造は「将来、諸国民の友好関係を妨げる
類似の問題が生じた場合、大小にかかわらずその処置の先例を確立することに
なる」と語った。だが裁定の意義はそれにとどまらない。
国境はもともと、国と国、人と人を隔てる。しかし2万8千人の住民にとって、
いまや国境はあってなきごとき存在だ。
むしろ国と国、人と人をつなぐものにさえなっている。
海を渡るフェリーの乗客にパスポートは必要ない。島の高校を出た若者の
7割が隣国スウェーデンの大学に進む。自治政府のカミラ・グネル首相は
「国境を越える人が増えれば島の経済も潤う。あの裁定が私たちを
豊かにしてくれた」と話す。

(以下、略)

日本は、現在、隣国との国境問題に揺れています。
オーランド諸島問題を解決した新渡戸裁定が、そのままあてはまる事例
ではないですが、平和と繁栄を共有する思想は受け継いでいきたい。

2012/12/23

スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜

岩手めんこいテレビが制作したテレビ番組で、
伝記『新渡戸稲造ものがたり』(子ども〜おとな)が紹介されます。


『新渡戸稲造ものがたり』柴崎由紀・著 銀の鈴社・刊

放送日は、

スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜

12月23日(日)13時〜   岩手めんこいテレビ
12月27日(木)9時55分〜  UHB北海道文化放送

その後、全国各地での放送が続々と決定しています。 
新渡戸博士の出身地・岩手のテレビ局が、思いを込めて制作した力作です。
ぜひご覧ください。

新渡戸稲造博士生誕150年 / 国際協同組合年 記念出版

『新渡戸稲造ものがたり 真の国際人 江戸・明治・大正・昭和をかけぬける
柴崎 由紀・著
銀の鈴社・刊 

もくじは、こちら

判型:A5  ページ数:256
ISBN:978-4-87786-543-6

日本図書館協会選定図書
全国学校図書館協議会選定図書
国連が定める「2012 国際協同組合年」認定図書

170枚以上の写真、わかりやすい注を入れた伝記(子ども〜おとな)です。
全国の書店でご注文いただけるほか、
Amasonなど、インターネットでもご購入いただけます。





2012/12/20

第一回 もりおか武士道サミット 

2012年12月15日(土)
第一回 もりおか武士道サミットにパネリストの一人として
参加させていただきました。

主催:めんこいテレビ
共催:盛岡市、盛岡市教育委員会
後援:(財)新渡戸基金、(財)盛岡市文化振興事業団・盛岡市先人記念館、
   学校法人新渡戸文化学園、〈映画の力〉プロジェクト、岩手大学、岩手県立大学、
   盛岡大学
特別協賛:株式会社建設システム




新渡戸稲造・生誕150年記念
スーツを着たサムライ
〜第1回 もりおか武士道サミット〜

日時:2012年12月15日(土) 13:00〜16:30
場所:盛岡劇場(盛岡市松尾町3-1)
入場料無料、定員500人

会場の盛岡劇場入口

第一部は、

寺島実郎 氏
(財)日本総合研究所所長・多摩大学学長・(株)三井物産戦略研究所所長
の基調講演

演題「いまを生きる新渡戸稲造」



寺島さんは、当日の朝、札幌から飛行機で花巻に入る予定でしたが、
霧で着陸できないことから、急遽、仙台空港に到着し、新幹線で
いらっしゃいました。
国際ビジネスの現場でのご経験、そして、最近では、若い世代に向けた
教育のお仕事も精力的にされていて、内容の濃いお話を伺うことができました。

なんと、5万冊の蔵書をお持ちだそうで、ぜひ、寺島文庫にお伺いしたいと
思います。
寺島文庫オフシャルウェブサイトは、こちら
寺島さんが就職を控えた学生たちに贈る対談番組「就職を機に世界と人生を考える」
は、こちら


第二部は、パネルディスカッション
テーマ:新渡戸稲造「武士道」の可能性

コーディネーター 藤井 茂 氏(新渡戸基金事務局長)
パネリスト    柴崎 由紀 (ライター・エディター)
         大森 惠子 氏(東京国際大学非常勤講師)
         高橋 和の助 氏 (いおぎみんなの学校 主宰)
         佐藤 一進 氏 (京都精華大学講師)

撮影 めんこいテレビ 工藤哲人様

撮影 めんこいテレビ 工藤哲人様

2012/12/10

新渡戸稲造〜日本を世界に示した国際人〜 日比谷図書文化館

2012年12月8日(土)

「世界に伝えられた近代日本」展示解説セミナー
第4回 新渡戸稲造 〜日本を世界に示した国際人〜

千代田区立日比谷図書文化館


特別研究室の企画展示
「世界に伝えられた近代日本 開国から昭和戦前期まで
の展示解説セミナーとしておこなわれた5回シリーズの4回目。
前半は、新渡戸先生の略歴の紹介、
後半は、同館内にある内田嘉吉(1866年〜1933年)文庫が所蔵している
新渡戸稲造関連図書の紹介がありました。

両氏は、時期は異なりますが、台湾総督府で仕事をし、
また、勅撰議員でもありました。
そして、同じ1933年に亡くなっています。
二人の間に交流はあったようですが、内田文庫には書簡などは残っていない
そうです。

内田嘉吉肖像写真と新渡戸関連図書

新渡戸から内田への寄贈本に残る直筆サイン
1912年10月25日付けの著者(新渡戸稲造)の直筆サイン。

1911年から1912年にかけて、新渡戸博士は、日米交換教授として渡米。
数多くの講演をおこない、アメリカ人に日本を理解してもらおうと尽力します。
1912年、"Japanese Nation; Its Land, Its People, and Its Life"を出版(G.P.Putnam's Sons)。
同書を内田氏に寄贈したことがわかります。
当時、内田嘉吉は、台湾総督府民政長官(〜1915)、その後、1923年には、
台湾総督に就任することになります。