・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2021/03/02

安倍能成(あべよししげ)先生のこと

 2021年3月1日

安倍能成先生は、新渡戸先生の一高の教え子で、のちに一高校長や

学習院院長を歴任しています。

一高のリベラルな思想が戦中、戦後にも引き継がれていたことがわかる

エピソードとして、宇沢弘文先生のご著書より抜粋して紹介します。

↓ 

『人間の経済』宇沢弘文 著 新潮新書 2017年4月

p.84

三 教育とリベラリズム

安倍能成先生のこと

社会的共通資本としての教育について考えるとき、

私にとって忘れられない光景があります。

東京大空襲後の1945年、旧制一高に入学した年の出来事でした。

・・・マッカーサーが厚木の飛行場に降り立つと同時に、

過酷な占領政策が始まります。あたり一面は焼け野原と化していて、

占領軍は、めぼしい建物はみな接収して占領のために使うことにしたのです。

たしか9月半ば、軍隊の施設とみなされていた一高にもジープに乗った占領軍の

将校団が接収にやってきました。当時の一高にも校長は安倍能成先生で、

戦前の日本では最も優れたカント哲学者で、すぐれたリベラリストでも

ありました。ずっと後になって知ったことですが、安倍先生は、戦争中から、

近衛文麿を中心とした敗戦処理を考えるグループの一員だったそうです。

(筆者注:近衛文麿も新渡戸校長時代の一高の生徒)

その安倍先生は占領軍の将校たちを前にして、英語できっぱりとおっしゃいました。

「この一高は、Liberal Arts(リベラルアーツ)のCollege(カレッジ)です。

ここはsacred place(聖なる場所)であり、占領というvulgar(世俗的)な目的の

ためには使わせない」

リベラルアーツというのは、教育の仕上げの段階で重要な役割を果たすものです。

つまり、学問や芸術、知識であれ文学であれ、専門を問わず、先祖が残した貴重な

遺産をひたすら学び吸収し、同時にそれらを次の世代へ受け渡すという営為を

する場所だということです。一人ひとりの学生の人間的な成長を図るとともに、

それを時代へと継承する役割がある。安倍先生はそのことを繰り返し、それを聞いた

占領軍の将校たちは、黙ってそのまま帰っていきました。

占領軍に楯突くなど逮捕されて当たり前、という時代にきわめて珍しい

エピソードのはずなのに、新聞はもちろん一高の記録にもいっさい残っていません。

しかし、その場に居合わせた私は心の奥底で、われわれは先祖が残した貴重な遺産を

できる限り吸収して次世代に残すという仕事をしている、

それが大学あるいは学校なのだという思いを強くしました。いまになって考えると

私の心の中で「社会的共通資本としての教育」という考え方が芽生えた原点

だったように思うのです。