2014年6月17日(火)沼津
沼津は、新渡戸博士が、札幌農学校教授時代、多忙を極めて病気になり、
転地療養した場所の一つです。
1898(明治31)年 36歳
1月13日、静岡県の沼津に移転する(5月末まで三島館に滞在。・・・)
と、『新渡戸稲造事典』(教文館 2013年)p.424の年表にあります。
三島館とは、沼津御用邸のすぐ近く、牛臥山(うしぶせやま)にあった、
明治21年開業の高級旅館で、御用邸を訪れた政府高官がよく利用していたようです。
(沼津市観光WEBより)
現在の牛臥山を御用邸から望む |
離職し、その後、伊香保や軽井沢を経て、渡米。『武士道』の執筆にとりかかることに
なります。
新渡戸博士に転地療養を勧めたのは、ドイツ人医師ベルツ先生です。
エルヴィン・フォン・ベルツ(1849年〜1913年)博士は、「お雇い外国人」の一人で、
実に29年間も日本に滞在し、日本の医学の発展に尽くしました。
ベルツ博士は、当時の宮内省侍医も務め、皇太子時代の大正天皇をはじめ、
皇族方の健康管理に力を注ぎました。
ここ沼津の御用邸の設置を進言した一人でもあります。
正門(ベルツ博士の縁でドイツ・ゾーリンゲンで特注) |
ここは、明治、大正、昭和と、長期にわたり、皇室の御用邸として使われました。
(昭和44年12月に廃止)
西附属邸は、もともと明治天皇の皇孫殿下(のちの昭和天皇や秩父宮殿下)のために
建てられ、のちに本邸として使用された建物で、現在、内部を見学できます。
西附属邸 入口 |
昭和天皇 学習院初等科時代の自転車(複製) |
1907(明治40)年1月、乃木院長は、当時、新渡戸博士が校長だった旧制一高に
来校。その後、乃木は新渡戸の自宅を訪れたり、
新渡戸校長が学習院で講演したりするなど、交流がありました。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.128より)
西附属邸 外観 |
1926(大正15)年9月12日、ジュネーブの国際連盟事務次長だった新渡戸博士は、
訪欧中の秩父宮殿下を迎え、事務局前で写真におさまっています。
また、新渡戸博士は、昭和天皇に、数回お目にかかり、ご進講もされています。
また、新渡戸博士は、昭和天皇に、数回お目にかかり、ご進講もされています。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.173に掲載)
沼津御用邸記念公園のホームページは、こちら。