・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2015/02/19

『李登輝より日本へ 贈る言葉』

台湾訪問を前に、李登輝(り・とうき、Lee Teng-hui)氏のご著書、
『李登輝より日本へ 贈る言葉』(2014年 ウェッジ)を読みました。



李登輝氏には、『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』など
多くのご著書があります。
ご自身の人生がそのまま祖国台湾の現代史に重なり、台湾総統として
長期にわたり祖国に尽くし、いまなお台湾、日本、アジアについて、
幅広いご見識とご経験から論じておられます。

『李登輝より日本へ 贈る言葉』の中では、
後藤新平伯、新渡戸稲造博士、八田輿一技師など、
台湾における日本人の功績についても触れています。

いままであまり知ることのなかった台湾の歴史と、いまなお続く
困難な状況、そして、日本に対する進言など、大変勉強になる内容
です。

日本の若者や子どもたちにぜひ新渡戸稲造博士の生涯を紹介したいと
伝記『新渡戸稲造ものがたり』を出版した自分の思いを
あらためて確認しました。
今後の台湾と日本の関係、そして、日本のあるべき姿について
次世代に向けて自分ができることを一つ一つ実現していきたいと
考えています。




2015/02/13

『武士道』をめぐる書評エピソード

1899年、新渡戸稲造博士は、アメリカで『Bushido(武士道)』を
英語で出版しました。
のちに多言語で翻訳出版され、世界中で今日でも販売されている
世界的なロングセラーです。

この書籍については、その後、新渡戸博士の弟子、矢内原忠雄博士の
日本語訳が岩波書店から出版され、その後も数々の訳書や解説書の
刊行が続いています。当時も多くの書評が発表になりました。

太田愛人様が、ご著書『『武士道』を読む 新渡戸稲造と「敗者」の精神史』
の中で、新渡戸博士自身の最も意にかなった書評として、
台湾でのエピソードを書かれていますので、その一部を抜粋し紹介します。

「床間の武士道」という批判(同書 p.168)
(当時、台湾総督府の土木事業責任者に長尾半平(1865年〜1935年)氏がいた。
 クリスチャンの長尾は、これを機会に新渡戸との交際が始まる。
 長尾が台湾に在任中、植村正久が台湾伝道のため訪れたので、
 長尾は、後藤、新渡戸に植村を紹介するため席を準備した。)

その座談は、民政長官後藤新平、同夫人の招待で長官邸でおこなわれた。

新渡戸稲造
「自分は日本の『武士道』を書いたが、之に対して、英文と邦文の批評が
 たくさんあった。けれどもその中で植村先生の批評こそ、最も自分の意を
 得たものである」。(中略)
「その中にこんな事が書いてありました。
 西洋人のところへ客に行くと、ここはあなたの寝室、ここは居室、
 ここは台所と皆家中の座敷を示して自由にお使いなさいという。
 ところが、日本人のところに行くと、床間以外に客に来られては
 困る。それと同様に新渡戸君の武士道は床間付きの部屋を外国人に
 紹介したものだ」。

植村正久
「どうです。日本の台所も書いては」。

後藤新平
「一体、表より裏のいいのは羽織よりないですね」。

といって、一座大笑におちた。

(『植村正久と其の時代』第一巻)
富士見町教会の月報『路之光』に掲載





2015/02/12

展示「日本統治期の台湾」

2015年2月10日(火)日比谷図書文化館(東京都千代田区)4階 特別研究室
内田嘉吉文庫が伝える「日本統治期の台湾」

内田嘉吉(1866年〜1933年)は、新渡戸と同年代で、
時期は少し異なりますが、台湾総督府民政長官および総督を歴任しました。
新渡戸博士との関わりなどについて、過去の記事は、こちら

このたび、内田嘉吉文庫(日比谷図書文化館4階)にて開催中の
「日本統治期の台湾」を訪問しました。

特別研究室企画展の案内

当時の台湾を知る貴重な蔵書が展示され、自由に閲覧することができます。

内田嘉吉文庫内の展示



台湾総督官邸(左)と民政長官官邸(右)
『台湾拓殖書帖』大正7年1月発行より


児玉総督 後藤民政長官 記念博物館
『児玉総督 後藤民政長官 記念博物館 写真帖』1915年より

台湾総督時代の児玉総督(右)と後藤民政長官
『児玉藤園将軍』より

児玉総督と後藤民政長官は、長期にわたり台湾の発展に貢献したことにより
台湾でも恩人として慕われ、二人を顕彰して記念博物館建立が計画されました。

現在(2015年3月)の記念博物館(国立台湾博物館)については、こちらへ。

新渡戸稲造博士は、『武士道』執筆後、児玉総督と後藤長官の二人の依頼を受け、
1901年から1903年、農学の専門家として台湾の糖業発展に尽くしました。

新渡戸博士は、また、のちの内田民政長官の著書の序文を著しています。



この展示は、3月15日(日)まで。
千代田区立日比谷図書文化館のホームページは、こちら

2015/02/09

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」

2015年2月8日(日)

2014年、台湾で空前の大ヒットを記録した映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』を
見ました。
KANO(カノ)とは、台湾の嘉義(かぎ)農林高校のこと。
日本統治時代の台湾で、一勝もしたことがなかった野球部が、ついに、
台湾全島の代表校になり、甲子園で旋風を巻き起こす感動物語。
実話に基づいたストーリーで、当時、台湾で東洋最大のダム建築を実現した
八田與一(はったよいち)氏も登場します。
八田氏は、台湾の教科書でも掲載されているそうで、台湾ではよく知られた
日本人の一人です。
八田技師についての記事は、こちら

当時の台湾の様子、日本人と台湾の人々との交流など、
新渡戸博士が台湾で農業専門家として後藤新平民政長官に呼ばれて
尽力した期間(1901年〜1903年)より、少し後の時代になりますが、
大変興味深く、統治時代の一端を垣間みることができました。

180分(3時間)の長編ですが、あっという間の、オススメ映画です!

映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』公式サイトは、こちら
http://kano1931.com

偶然ですが、来月、嘉義や八田記念公園を訪問する予定です。