・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2021/03/16

新渡戸稲造を後藤新平に引き合わせた人物

 2021年3月16日

新渡戸稲造博士は、アメリカで『武士道』を出版した翌年、

後藤新平伯の熱心な説得を受けて、台湾に赴任しました。

1901(明治34)年、後藤新平が台湾総督府の民政長官だった時のことです。

共に岩手出身の二人ですが、それまで面識はなかったようです。

(その後、後藤、新渡戸の二人は親しくなります)

今回、本多静六博士の自伝を読んでいて、本多がドイツ留学時代から

後藤新平を知っていて交流があったこと、そして、新渡戸もまた、

本多の友人であったことがわかりました。さらに、その自伝には

次のように書かれています。

「後藤は、台湾の民政長官となるや、私に顧問として台湾へ出掛け、

いろいろ行政を手伝ってくれぬかと持ち込んで来た。

当時、私は多少の金もでき、仕事も忙しく、また学者としてそうした方面に

手をのばすのもいたずらに妬みの敵を多くするばかり、いわゆる明哲保身の術

ではないと考えたので、友人の新渡戸稲造、河合鈰太郎(かわいしたろう)

両君を推薦して、自分は両君にできない公園計画だけを引き受けることにした」

『本多静六自伝 体験八十五年』本多静六 実業之日本社 2016年 P.216


新渡戸は、台湾総督府の糖務局長として台湾の砂糖産業の発展を担い、

本多は、台湾の北投や亀山一帯の温泉、台北や台南などの公園を設計、

河合は、阿里山鉄道の建設に尽力、「阿里山開発の父」と呼ばれました。