・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2018/10/10

小泉八雲の文学とその背景

カルチャーラジオ 文学の世界
NHKラジオ第2毎週木曜 午後8時30分 | 再放送 毎週木曜 午前10時

文化講演会「小泉八雲の文学とその背景」

小泉八雲記念館館長、島根県立大学短期大学部名誉教授…小泉凡

小泉八雲さんのひ孫さん・小泉凡さんのお話が放送されている中、
第11回では、ボナ・フェラーズが取り上げられています。

『新渡戸稲造ものがたり』p.222~

新渡戸稲造博士の「精神的子孫(spiritual descendants)より

 日本は敗戦し、連合国の占領下になりました。連合国最高司令官
総司令部の最高司令官マッカーサーとともに、軍事秘書官ボナー・
F・フェラーズが来日しました。フェラーズはカーライルを学び、
稲造の『武士道』を読んで日本人の名誉を重んじる精神をよく理解して
いるクエーカーで、稲造の教え子である河井道と、その弟子の一色ゆり
(旧姓・渡辺)の友人でもありました。(引用終わり)

フェラーズは、河井道と一色ゆりの二人からの意見も参考にして、
報告書を作成し、天皇陛下を裁くのではなく、
日本国民の天皇陛下への尊敬心を、むしろ日本統治にいかすことを
提案したのです。
フェラーズは、戦前から、小泉八雲の著書を読み、日本人の精神性を
理解していました。そして、小泉家とも親交がありました。

小泉凡さんの「ボン」という名前は、ボナー・フェラーズの名前から
付けられています。
凡さんは、この回の最後に、
「人との出会い、書物との出会いが、歴史を作るときがある」
と述べています。

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