・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2011/10/04

東京外国語学校


念願の上京を果たした稲造博士(当時は、叔父・太田時敏の養子)は、元南部藩主による
共慣義塾に入学、そして、1875年(明治8年)、東京外国語学校の入学試験に合格しました。
東京外国語学校は、現在の東京外国語大学の前身で、現在の千代田区一ツ橋二丁目に
ありました。

皇居のお堀からもすぐ近く、まだ、12,3歳だった稲造少年は、ここで、どのような日々を
送ったのでしょうか。

この場所は、現在、如水会館(一橋大学)、学術センター、共立大学講堂などに
なっています。
高層ビルが立ち並び、舗装した広い道路には、多くの車が行き交っています。

学術センターの敷地に、碑が立っています。
当時を偲ぶことのできる唯一の目印となっています。