明治神宮の参道でおこなわれています。6月30日まで
新渡戸稲造博士は、幕末に生まれました。
明治の時代になって天皇陛下が東北巡幸をされた折に、
十和田(青森県)の新渡戸家を訪問されています。
そのことが、新渡戸博士のその後を決定づける大きな出来事になりました。
「一八七六(明治九)年の六月から七月、天皇陛下(明治天皇)が
初めて東北と北海道をお巡りになりました。
その途中、稲造の祖父が開拓事業をおこなった三本木を訪れ、
広大な水田をご覧になり、大変喜ばれました。
そして、その功績をほめて、
『今後も、家族、子孫たちは、その志を継ぎ、ますます農業にはげむように』
というお言葉をくださいました。
(中略)
東京にいた稲造は、母からの手紙で、このことを知りました。
そして、天皇陛下の訪問が新聞に載っているのを見た時、
稲造は、自分の家族の歴史と、今後の自分の責任の重さを実感して、
胸が高鳴りました。」
『新渡戸稲造ものがたり』p.38-39より
また、新渡戸博士とメアリー夫人が発起人になり、
日本の動物愛護運動の先駆けとなった日本人道会に対し、
動物を深く愛した昭憲皇太后のお名前で、当時の皇后陛下から
活動資金の援助を賜っています。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.147より抜粋)
昭憲皇太后は、皇后としてさまざまな社会活動をされました。
今回、明治神宮の森の中で、その業績を知る機会に恵まれました。
1912(明治45)年、昭憲皇太后は、世界の人々のために、
十万円(現在の三億五千万円相当)を下賜しました。
戦時中に留まらず、災害や感染症に苦しむ世界中の人々のために、
平時の国際救援活動を奨励するためでした。(展示解説文より抜粋)
「1921(大正10)年、ジュネーブでおこなわれた第十回赤十字国際会議
昭憲皇太后基金の定款が正式に採択され、基金管理は、赤十字国際委員会
(ICRC)がおこなうこととなりました。」(展示解説文より)
この採択がおこなわれた1921年は、ちょうど新渡戸稲造博士が、
国際連盟の事務次長として、同地ジュネーブに滞在中でした。
常任理事国だった日本を代表する、世界のリーダーの一人として、
国際機関の仕事に従事していた新渡戸博士にとって、
どんなに感慨深い出来事だったでしょうか。
支援のあり方は、時代を先取りしたものとして、今日、世界的に大きな
評価を得ています。」(展示解説文より)