2013/12/25

同友クラブ「サロン講座/話題の本 ー著者に聞くシリーズ」

2013年12月24日(火曜日)
同友クラブ「サロン講座/話題の本 −著者に聞くシリーズ」
『新渡戸稲造ものがたり』       著者 柴崎 由紀

このたび、経済同友会の会員組織「同友クラブ」(パレスビル)にて
お話する機会をいただきました。
お天気に恵まれたクリスマスイブのこの日、緊張して会場に向かいました。

15時に予定通り始まり、下記のような内容で70分ほどお話しさせて
いただきました。

1 新渡戸稲造博士の生涯 2012年 生誕150年/2013年 没後80年  

  「ちょんまげに洋服を着せたような男」------------------------------
  世界初の国際平和機構「国際連盟」(いまの国連の前身)事務次長として、
  ユネスコの土台づくりなど、世界の平和と協調に大きく貢献、世界の人々
  の尊敬を集めた。国内では、多くの学校に関わり、人々を啓蒙したほか、
  男女協同参画(女子教育の重要性)、協同組合(助け合い精神)、生涯学習
  (学び続けることの大切さ)を広め、私たちの社会に、いまなお大きな
  影響を及ぼしている。
  
2 伝記『新渡戸稲造ものがたり 真の国際人 江戸、明治、大正、昭和を
  かけぬける- 』の出版 / 展覧会(鎌倉・銀座)

3 伝記の効用「一人の人物の生涯を通じて学ぶこと」
  日本の子どもたちへの思い

4 小さな旅へ「新渡戸博士の足跡を訪ねて」(ゆかりの地を写真でご案内)

最後に、国内外の写真を20枚ほどご覧いただき、質疑応答がありました。

このような機会をいただきました、加藤丈夫様(国立公文書館 館長)、
同友会の皆様、配布資料などをご準備くださいました事務局の方々に
心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。






2013/12/16

藤田正一著 『日本のオールターナティブ』

このたび、北大の元副学長、藤田正一先生の新著、
『日本のオールターナティブ ---クラーク博士が種を蒔き、
 北大の前身・札幌農学校で育まれた清き精神---』(銀の鈴社刊)が
刊行されることになりました。

『日本のオールターナティブ 
 ---クラーク博士が種を蒔き、
  北大の前身・札幌農学校で育まれた清き精神---』
 
藤田 正一 著

 A5判、並製、360ページ / 本体価格2,400円+税
    2013年12月25日 発行

日本の進む道はこれで良いのか、他に道は無いのか。
日本の進むべきもう一つの道への道標がここにあった。

「明治の初年、当時の日本の北辺の地、人口2千人足らずの街、札幌に
アメリカ流の自由と民主主義を基調とした教育を行う学校、札幌農学校が設立された。
一方、首都東京には東京帝国大学が国の国家主義政策のもとに設立された
主流となったのは国家主義教育であった。が、オールターナティブ(もう一つの選択肢)
として札幌農学校の教育が圧力を受けながらも札幌の地に存続し続けた。
そこに植え付けられたピューリタン精神の理想主義は、伝統的な武士道精神と融和して
一つの精神となり、以降、この農学校精神が近代日本の国のあり方や人の生き方に、
常に、清きオールターナティブを提案し続けた。」(本文より)


表紙(北大のポプラ並木/撮影 藤田正一)





2013/12/15

講演「初代校長 新渡戸稲造先生の生涯から学ぶ」

2013年12月14日(金)13時30分〜
新渡戸文化中学・高等学校 講堂にて

「初代校長 新渡戸稲造先生の生涯から学ぶ」

新渡戸文化学園の生徒さんの前で、お話させていただきました。
学園長の森本晴生先生にご紹介いただいた後、自己紹介や伝記のお話、
途中で、「新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて」撮影した国内外の
写真もご覧いただきました。
貴重な機会をいただきました、新渡戸文化中学・高等学校の佐藤善一
校長先生、佐藤均教頭先生に、心より御礼を申し上げます。




概要
1 自己紹介
2 一人の人物の一生を学んでわかること
3 新渡戸稲造先生の足跡を訪ねて
  (写真による小さな旅)
4 新渡戸先生が教えてくれること

初代校長 新渡戸先生胸像(新渡戸文化学園)

とても緊張しましたが、よい経験になりました。
たとえ一人の生徒さんにとってでも、なにかヒントになる部分があったなら、
うれしいのですが・・・。
本日は、ありがとうございました。 

創立者 森本厚吉先生像
新渡戸文化学園(東京文化学園)は、女子経済専門学校として、
新渡戸博士の教え子、森本厚吉先生によって創立。
1928(昭和3)年4月、新渡戸博士は、初代校長になりました。
現在では、小学校から短期大学までの学園になっています。
新渡戸文化学園のホームページは、こちら




2013/12/01

「柳田國男の世界(二)ー日本人の心を探す旅ー」成城学園

2013年11月2,3日(文化祭)5〜30日(日曜/祝日 休館)
民俗学研究所創設40周年記念特別展
「柳田國男の世界(二)ー日本人の心を探す旅ー」
民俗学研究所展示ホール(成城大学4号館3階)
主催:成城大学民俗学研究所

昨年の11月におこなわれました「柳田國男(一)」では、
新渡戸稲造博士と柳田國男博士の関係なども紹介されていました。
今年度の展示では、主に後半生の功績などが展示されていました。


民俗学研究所 展示ホール
柳田國男先生 ブロンズ彫像(西常雄 作)

新渡戸博士と柳田博士の関わりについては、今年度の『新渡戸稲造の世界』
(新渡戸基金)に寄稿させていただきました「成城学園と新渡戸稲造博士」の中で
次のように紹介しました。

「 三 柳田國男先生と新渡戸博士

 日本民俗学の創始者といわれている柳田國男先生(一八七五年〜一九六二年)は、
日本の農政学の先駆者だった新渡戸博士の影響を強く受けています。
一九一〇(明治四十三)年、東京小日向の新渡戸稲造邸で、
新渡戸博士とともに「郷土会」を発足させます。
貧困に苦しむ農民の救済と自立という共通の問題意識をもった二人が中心となり、
日本の農村のありかたや地方の保護について広く話し合う場でした。
ほぼ毎月一回、さまざまな顔ぶれが集まり、新渡戸博士は、よきホスト役を務めました。
ゲストスピーカーを招いて新しい話を聞けるように取り計らったり、
少しばかりの会費を徴収してごちそうをふるまったりしたようです。

 一九二〇(大正十)年から一九二二(大正十二)年、
柳田先生は、欧米を視察し、新渡戸博士の推薦によって、
国際連盟委任統治委員に就任してジュネーブに滞在しました。
当時、国際連盟事務次長としてジュネーブに赴任中の新渡戸博士から、
大学での聴講やヨーロッパ各地への旅行、文献購入を促され、
柳田先生は後年の活動の基礎を築きました。
また、二人は、ジュネーブで、エスペラント(特定の民族が有利または不利にならない
ように考えられた世界共通語)の普及にも共に力を尽します。
柳田先生は、後年、日本エスペラント学会の理事に就任しています。


柳田先生のご長男の為正氏は、開校当時、新宿にあった成城小学校に入学。
その後、学園が現在の成城の地に移転した際、
ご一家は、父兄に分譲された土地を求めて、成城に移り住みました。
のちに、「日本の民俗学」確立の拠点となった柳田邸は、建て直されていますが、
現在も成城大学正門近くにあります。
最晩年まで研究の情熱を持ち続けた柳田國男先生は、
一九六二(昭和三十七)年八月八日、数え年八十八歳、成城で生涯を閉じました。
遺言により、成城大学に委託されていた蔵書はそのまま寄贈され、
「柳田文庫」が誕生しました。


 二〇一二(平成二十四)年十一月、成城大学民俗学研究所では、
柳田國男先生没後五十年、「柳田文庫」誕生五十年を記念して、
民俗学研究所特別展「柳田國男の世界」が開催されました。
柳田先生が成城に居を移され民俗学の創始へと向かう前半生を取り上げ、
新渡戸稲造博士との出会いや関わりなどについての展示もおこなわれました。
今年度は、民俗学研究所創設四十年特別展が開催され、
残りの後半生が紹介される予定です。」(おわり)

上記の記事については、成城大学民俗学研究所にご協力いただきました。
ありがとうございました。
成城大学民俗学研究所のホームページは、こちら