2013/11/23

『新渡戸稲造博士と安井てつ先生の出会い』

2013年11月22日(金) 東京 学士会館

東京女子大学同窓会 山田純子会長講演会
『新渡戸稲造博士と安井てつ先生の出会い』
ー東京女子大学卒業生が語るおふたりの精神ー

主催:武士道講演会
後援:北海道大学東京同窓会、東京女子大学同窓会、(社)札幌農学同窓会東京支部
協賛:エルム27会東京

講演会
1 開会 18時 司会 武士道購読会      三原晃一 氏
  主催者挨拶    武士道購読会主宰    齊藤昇三 氏
  講師紹介     東京女子大学前学長   湊 晶子 氏

2 ご講演

3 懇親会   司会 武士道購読会      桜庭慎吾 氏
  ご挨拶      東京女子大学前学長   湊 晶子 氏
           東京女子大学名誉教授  鳥山英雄 氏
  乾杯       北大東京同窓会副理事長
           国立保健医療科学院院長 松谷有希雄 氏
4 歓談
  スピーチ     恵泉女学園短期大学元学長 
           今井館教友会理事長   大山綱夫 氏
           東京女子大学同窓会理事 小尾充子 氏
           新渡戸稲造と遠友夜学校
           を考える会(札幌)   三上節子 氏
           同           中川厚雄 氏
           東京女子大学同窓会元理事
           日本翻訳家協会常務理事 叶谷渥子 氏

5 両校の校歌・寮歌斉唱



このたび、新渡戸先生と関わりの深い両大学の同窓会合同の催しに、
出席させていただくことができました。

東京女子大学同窓会会長の山田純子様より、新渡戸先生と安井先生の出会いに
ついてのご講演がありました。
お二人の生涯の共通点・相違点、信仰、職業・活動歴、そして、
1900年、パリでの出会い(新渡戸37歳、安井30歳)、
1918年、東京にて東京女子大学創立時の出会い(新渡戸55歳、安井48歳)。
さらに、東京女子大学の卒業生が語るお二人の人物像の分析など、
大変興味深いご講演内容でした。

その後の懇親会では、両大学同窓会の方々のご挨拶と乾杯、スピーチが
続き、「新渡戸稲造と遠友夜学校を考える会」の活動報告がありました。
札幌の遠友夜学校跡は、現在、その土地利用の方法について活動が始まって
います。(会長 秋山孝二 氏)

最後に、両大学の校歌・寮歌が披露されました。
東京女子大学の校歌は、同大学の同窓生の方々(女性)によって、
まるで賛美歌のような美しい歌声。
続いて、北大の「都ぞ弥生」(明治45年寮歌)を、北大の同窓生
の皆様(男性)が肩を組んで勇ましく歌いました。

「都ぞ弥生」を歌う北大組/聞き入る東女大組

対照的な二大学の校歌・寮歌を思いがけず楽しませていただきました。
ただ一人の傍観者となった私ですが、「新渡戸先生がここにいらしたら、
さぞ感慨深いことでしょう」と思いました。

このたびの講演会・懇親会に出席させていただきまして、ありがとう
ございました。関係者の皆様に御礼申し上げます。



2013/11/22

新渡戸博士のテレビ番組が「優秀賞」を受賞!

番組制作に協力させていただきました、新渡戸博士の特集番組が、
東北映像フェアでの受賞に続き、
全国地域映像団体協議会でも優秀賞を受賞!
めんこいテレビのみなさま、ご一緒に出演させていただきました
草原様、大森様に、あらためてお祝いを申し上げます。

尚、この番組は、先月、銀座教文館でおこなわれました、
没後80年展「新渡戸稲造を知っていますか」の会場でも放映させていただき、
来場者アンケートの結果でも、大変好評だった番組です。

2013年11月21日付け 「MSN産経ニュース」サイトより引用 ↓

めんこいテレビの特番が優秀賞 岩手
岩手めんこいテレビは昨年12月23日に放送した特番「スーツを着たサムライ
〜新渡戸稲造『武士道』伝説」が、全国地域映像団体協議会の今年度グランプリで
優秀賞に輝いた。
番組部門(放送番組)での受賞で、優秀賞は準グランプリにあたる。
番組は新渡戸の生誕150年を記念し、新渡戸の足跡を振り返る内容。
同局の番組審議会でも「緻密に取材している」「新渡戸を知る入門番組として
最適だ」など評価が高かった。今年6月には、第1回東北映像フェア2013の
番組部門で大賞を受賞している。
企画、脚本、プロデューサーを務めた工藤哲人(てつと)さん(35)は
「武士道を心の支柱に国際社会で活躍した新渡戸の魅力が少しでも伝わったと
思うとうれしい」と話した。
来年夏の新渡戸関連第2作製作に向け準備を進めているという。
///

MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/smp/region/news/131121/iwt13112102020000-s.htm

全国地域映像団体協議会(全映協)のサイトは、こちら
前回の東北映像フェアの受賞については、こちら

2013/11/07

少年よ大志を抱け!クラーク博士と教え子たちの北海道物語

NHK 歴史秘話ヒストリア(2013年10月30日放送)
「少年よ大志を抱け!クラーク博士と教え子たちの北海道物語」

【番組の内容(抜粋)】


クラーク博士は、1926年、マサチューセッツ州の裕福な医師の家に生まれる。
エリート校である、アマースト大学へ進学。その後、26歳で教授に抜擢され、
化学、植物学、動物学を教えた。
1867年(40歳)、マサチューセッツ農科大学を設立して学長に就任。
牛を育て、酪農に力を注ぐ。酪農は、このころ欧米でも最先端の分野だった。

1876年、日本から使者がやってきて「日本で酪農を教えていただきたい」と頼まれる。
当時の日本は戊辰戦争後で、多くの若者が傷つき、復興には、若者を教育することが
必要だった。しかし、学長が2年間留守にすることはできないと反対の声があがる。
クラークは、日本の置かれた状況に同情した。南北戦争で多くの教え子を
失った経験から(戦死者はアメリカ全土で62万人)、ぜひ未来ある若者たちに農業を
教えたいと考えたからである。
クラークは、「私は日本に行く。2年分の仕事を1年で終わらせて戻ってきます」
と宣言。愛する妻子を残し、日本の復興のために、遠く日本へ渡った。

1876(明治9)年、横浜に到着。24人の第一期生が札幌農学校に入学。
クラークは、「将来の日本を支える立派な技術者にしてみせる」と誓った。

当時、札幌農学校の入学生は、元武士の次男や三男。戊辰戦争の敗戦組が
ほとんど。農民と同じ仕事をすることに抵抗を感じていた子どももいた。
中には、連日のように酒を飲んで荒れる生徒もいて、授業もままならなかった。
開校から一ヵ月で5人が退学処分。多くの規則が作られた。

さらに、
アメリカの牧草を育てることに対し、酪農の経験のない農家の賛同を得られない。

クラークは生徒を集めると、大好きなワインを投げ捨て、禁酒を宣言したので、
生徒たちにも酒を禁止した。
クラークは、「Be gentleman!」だけを規則とした。

生徒たちは、「イエスを信ずるものの誓約書」に署名。

クラークの体当たりの熱血指導
野外学習で、めずらしい苔を発見すると、クラークは、自ら四つん這いになり、
「自分の背に乗って、苔を取れ」と主張し、日本人生徒たちを驚かせた。
次第に、教師と生徒という立場を越えて、強い絆で結ばれるようになった。
「教師と生徒との距離が近いこと」がクラークの魅力。

クラークが構想したモデルバーン(現在も北大構内に残る)は、
北海道全域で建設された。

現在の札幌市時計台は、もともと札幌農学校の「演武場」。
1877(明治10)年、クラーク博士の帰国が近づいたころ、西南戦争が始まる。
生徒たちのために、演武場を作り、自ら身を守る術を学ばせたかったのである。
南北戦争で、多くの学生たちを戦場で死なせてしまった後悔があったからだった。

別れの日。生徒たちは父を失うような思いだった。
馬上のクラークは、
「Boys, be ambitious, like this old man」
少年を大志を抱け、この老人(クラーク)のごとく。
と言い残して去っていった。教え子たちに残した最後のメッセージである。
(ここで、藤田先生が登場されていました)

アメリカに帰国後も文通を続け、教え子たちの教師であり続けた。

1885(明治18)年、58歳。体調をくずしていたクラークを新島襄が訪問。
(新島襄は、クラークの最初の日本人学生)
新島は、「先生は日本を深く愛していた」と書き残している。

翌年、クラークは亡くなった。(59歳)
「日本で生徒たちと過ごした日々が、私の人生において最良の時間だった」と
クラークは書き残している。札幌農学校ではその日の授業を取りやめ、
演武場で、教え子たちは、次々にクラークに感謝の言葉を述べた。
生徒たちは、「毎晩先生のところを訪ね、人生のさまざまなことを語った」
などと回想している。

その後、北海道の酪農は大きく発展した。
「少年よ、大志を抱け」のメッセージもいまに続いている。
(終わり)

新渡戸稲造は、札幌農学校第二期生。
クラークの指導は直接受けていませんが、クラークの後継者として来日した
アメリカ人教師たちによって、英語で教育を受けました。
「教師と生徒との距離が近いこと」。新渡戸博士は、これを札幌農学校で経験し、
その後、欧米の留学で実感し、その恩恵を受けたからこそ、自らの教育姿勢と
なっていったのではないでしょうか。





マサチューセッツ大学創立150年記念シンポジウム

このほど、藤田正一先生(北海道大学 元副学長、同名誉教授)が、
マサチューセッツ大学の創立150年記念シンポジウムで基調講演をおこない、
帰国されました。

マサチューセッツ大学The University of Massachusetts)

1863年創立のマサチューセッツ農科大学(Massachusetts Agriculture College)は、
現在のマサチューセッツ大学アマースト校の前身で、
第三代学長を務めたのが、ウィリアム・クラーク博士です。

クラーク博士は、マサチューセッツ農科大学の学長の時、日本政府からの要請を受け、

札幌に約8ヵ月滞在し、札幌農学校(現在の北海道大学)の基礎を築きました。
クラーク博士から直接指導を受けた札幌農学校第一期生(新渡戸博士と同郷の先輩、
佐藤昌介ら)そして、クラークのアメリカ人の教え子たちから教育を受けた、
第二期生(内村鑑三、宮部金吾、新渡戸稲造ら)以降の学生たちに、
その教育精神が受け継がれていきました。

マサチューセッツ大学のホームページは、こちらへ。(英語)

創立150年記念サイトは、こちら。(英語)

以下、藤田先生からの報告文をご本人の許可を得て掲載します。



演題は「Dr. W. S. Clark: Influence of His Educational Philosophy on Japanese Education
(クラーク博士の教育精神が日本の教育に及ぼした影響)」。
クラーク博士が日本を去った後、クラーク博士の精神がどのように札幌農学校に
受け入れられ、継承され、新渡戸稲造や内村鑑三を生み、
戦後、彼らの教え子たちが制定した教育基本法に影響を与えたかについて述べた。
これらはマサチュセッツ大学の人々にとって,初めて聞く話で、
非常に興味深かったようで、「論文に纏めてくれ」と言う申し出が何人からかあった。