2013/05/01

唐人お吉と新渡戸稲造博士 東府や

2013年4月20日(土)早朝、東京の自宅から伊豆下田へ向かいました。

新渡戸稲造博士は、亡くなる年、1933(昭和8)年の夏、太平洋問題調査会の
バンフ会議(カナダ)に日本代表として出席するために、
健康の不安をかかえながら、最後の旅に出ます。

その直前、多忙の中、7月にわざわざ下田を訪れています。
「唐人お吉」と呼ばれた日本人女性「お吉さん(斎藤きち)」を偲ぶためでした。

多忙なこの時期に、新渡戸博士はなぜ下田まで足を延ばしたのでしょうか、
それがずっと気になっていました。

途中、まず訪れたのは、伊豆古奈温泉「東府や(とうふや)」さんの中にある、
「唐人お吉館」です。


東府や「唐人お吉館」内の展示(一階)
「唐人お吉館」内に展示されている新渡戸博士の詠んだ歌
かつて、アメリカ総領事館初代領事タウンゼント・ハリスに仕え、
その後、不幸な人生を歩んだお吉さんに新渡戸博士は深く同情していたのです。

唐くさ(からくさ)(から竹)の
浮き名の下に枯れはてし
君が心は大和撫子

新渡戸稲造

お吉さんは、47歳の時に、伊豆最古の温泉、古奈温泉にて療養します。
心身ともに癒されたお吉さんを、東府やは、駕篭で下田まで送り届けます。
その時、天城越えで使った駕篭が、「唐人お吉館」二階に展示されています。


ここ古奈温泉は、徳川家康の側室「お万の方」が滞在したところです。
それまで子宝に恵まれませんでしたが、二人の子を授かりました。
(徳川頼宣・・・紀州徳川家の祖、および、徳川頼房・・・水戸徳川家の祖)

そのことから、古奈温泉は子宝の湯として広く知られています。