2012/12/23

スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜

岩手めんこいテレビが制作したテレビ番組で、
伝記『新渡戸稲造ものがたり』(子ども〜おとな)が紹介されます。


『新渡戸稲造ものがたり』柴崎由紀・著 銀の鈴社・刊

放送日は、

スーツを着たサムライ 〜新渡戸稲造「武士道」伝説〜

12月23日(日)13時〜   岩手めんこいテレビ
12月27日(木)9時55分〜  UHB北海道文化放送

その後、全国各地での放送が続々と決定しています。 
新渡戸博士の出身地・岩手のテレビ局が、思いを込めて制作した力作です。
ぜひご覧ください。

新渡戸稲造博士生誕150年 / 国際協同組合年 記念出版

『新渡戸稲造ものがたり 真の国際人 江戸・明治・大正・昭和をかけぬける
柴崎 由紀・著
銀の鈴社・刊 

もくじは、こちら

判型:A5  ページ数:256
ISBN:978-4-87786-543-6

日本図書館協会選定図書
全国学校図書館協議会選定図書
国連が定める「2012 国際協同組合年」認定図書

170枚以上の写真、わかりやすい注を入れた伝記(子ども〜おとな)です。
全国の書店でご注文いただけるほか、
Amasonなど、インターネットでもご購入いただけます。





2012/12/20

第一回 もりおか武士道サミット 

2012年12月15日(土)
第一回 もりおか武士道サミットにパネリストの一人として
参加させていただきました。

主催:めんこいテレビ
共催:盛岡市、盛岡市教育委員会
後援:(財)新渡戸基金、(財)盛岡市文化振興事業団・盛岡市先人記念館、
   学校法人新渡戸文化学園、〈映画の力〉プロジェクト、岩手大学、岩手県立大学、
   盛岡大学
特別協賛:株式会社建設システム




新渡戸稲造・生誕150年記念
スーツを着たサムライ
〜第1回 もりおか武士道サミット〜

日時:2012年12月15日(土) 13:00〜16:30
場所:盛岡劇場(盛岡市松尾町3-1)
入場料無料、定員500人

会場の盛岡劇場入口

第一部は、

寺島実郎 氏
(財)日本総合研究所所長・多摩大学学長・(株)三井物産戦略研究所所長
の基調講演

演題「いまを生きる新渡戸稲造」



寺島さんは、当日の朝、札幌から飛行機で花巻に入る予定でしたが、
霧で着陸できないことから、急遽、仙台空港に到着し、新幹線で
いらっしゃいました。
国際ビジネスの現場でのご経験、そして、最近では、若い世代に向けた
教育のお仕事も精力的にされていて、内容の濃いお話を伺うことができました。

なんと、5万冊の蔵書をお持ちだそうで、ぜひ、寺島文庫にお伺いしたいと
思います。
寺島文庫オフシャルウェブサイトは、こちら
寺島さんが就職を控えた学生たちに贈る対談番組「就職を機に世界と人生を考える」
は、こちら


第二部は、パネルディスカッション
テーマ:新渡戸稲造「武士道」の可能性

コーディネーター 藤井 茂 氏(新渡戸基金事務局長)
パネリスト    柴崎 由紀 (ライター・エディター)
         大森 惠子 氏(東京国際大学非常勤講師)
         高橋 和の助 氏 (いおぎみんなの学校 主宰)
         佐藤 一進 氏 (京都精華大学講師)

撮影 めんこいテレビ 工藤哲人様

撮影 めんこいテレビ 工藤哲人様

2012/12/10

新渡戸稲造〜日本を世界に示した国際人〜 日比谷図書文化館

2012年12月8日(土)

「世界に伝えられた近代日本」展示解説セミナー
第4回 新渡戸稲造 〜日本を世界に示した国際人〜

千代田区立日比谷図書文化館


特別研究室の企画展示
「世界に伝えられた近代日本 開国から昭和戦前期まで
の展示解説セミナーとしておこなわれた5回シリーズの4回目。
前半は、新渡戸先生の略歴の紹介、
後半は、同館内にある内田嘉吉(1866年〜1933年)文庫が所蔵している
新渡戸稲造関連図書の紹介がありました。

両氏は、時期は異なりますが、台湾総督府で仕事をし、
また、勅撰議員でもありました。
そして、同じ1933年に亡くなっています。
二人の間に交流はあったようですが、内田文庫には書簡などは残っていない
そうです。

内田嘉吉肖像写真と新渡戸関連図書

新渡戸から内田への寄贈本に残る直筆サイン
1912年10月25日付けの著者(新渡戸稲造)の直筆サイン。

1911年から1912年にかけて、新渡戸博士は、日米交換教授として渡米。
数多くの講演をおこない、アメリカ人に日本を理解してもらおうと尽力します。
1912年、"Japanese Nation; Its Land, Its People, and Its Life"を出版(G.P.Putnam's Sons)。
同書を内田氏に寄贈したことがわかります。
当時、内田嘉吉は、台湾総督府民政長官(〜1915)、その後、1923年には、
台湾総督に就任することになります。

2012/10/11

国際協同組合年の認定

2012年10月吉日

今年は国連が定める「国際協同組合年」です。
世界各地で協同組合についてのさまざまな活動が展開されています。

新渡戸稲造博士は、ドイツ留学中に協同組合について研究し、
実際の活動を視察しました。
日本にも協同組合の「助け合いの精神」「共存共栄」を広めたいと
産業組合岩手支会長に就任したほか、日本で初めての医療利用組合病院の
設立を初代組合長として実現させました。
これは現在の保険医療の制度につながります。

すでに、国際連盟(現在の国際連合の前身)の事務次長として、
国際的に活躍していた新渡戸博士の指導理念は、

「地域の共存共栄の理念と、国際社会における理念は共通している」
というものでした。
「第一に協力し合うという心をもち、第二に親切にすべての問題に対応し、
第三に正直であること」

伝記『新渡戸稲造ものがたり』p.193より

日本でも、国際協同組合年の活動が各地で活発におこなわれています。

2012国際協同組合公式ホームページ
http://www.iyc2012japan.coop/

このたび、『新渡戸稲造ものがたり』(子ども〜おとな)は、
国際協同組合年の認定を受けることができました。

2012国際協同組合公式ホームページ 認定・後援事業一覧のページはこちら
http://www.iyc2012japan.coop/backup/index.html

関係者のみなさまに御礼申し上げます。

2012/10/08

音無川の別荘(鎌倉)再訪

2012年10月5日(金)

盛岡から新渡戸基金の事務局長 藤井茂さんが上京され、
鎌倉・稲村ケ崎の新渡戸稲造博士別荘(音無川の別荘)跡に、
ご一緒しました。
今回は、事前に聖路加看護大学から許可をいただき、
敷地の中に入ることができました。


新渡戸稲造博士別荘跡(現在は聖路加看護大学セミナーハウス)

別荘の敷地内から、音無橋と津田梅子先生別荘跡を望む


新渡戸基金の藤井さん(山の中腹に、津田梅子邸の跡が見える)

現在のセミナーハウス

新渡戸別荘の庭から音無橋と津田梅子邸跡を望む
当時の別荘の敷地は、もっと広かったそうです。
晩年、「鎌倉でのんびり暮らしたい」と望んでいた新渡戸博士ですが、
実際は非常に忙しく、太平洋の向こう、渡航先のカナダで最期を迎えました。

セミナーハウスの二階から太平洋を望む


2012/09/27

取材報告展終了しました

2012年9月25日(火)

おかげさまで、取材報告展も最終日を迎えることができました。
遠くから足を運んでくださった方もあり、また、
鎌倉ペンクラブ、ご近所の方々が関心をもってお立ち寄りくださり、
うれしい出会いもありました。ありがとうございました。


ジャーナリストの前坂俊之さん(逗子在住)が、取材にきてくださいました。
撮影をされながら、お話も。さすがです。
youtubeにアップしてくださいましたので、展示の様子もご覧いただけます。
(音が出ます)

http://www.youtube.com/watch?v=8m7Mo0TuxU8

前坂俊之さんのホームページ
http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/1537


最後になりましたが、
資料のご提供、写真の掲載許可をくださった下記の方々に心より御礼申し上げます。

拓殖大学様
妙本寺様
新渡戸基金様
河野孝稔様
伊藤玄二郎様
門田京蔵様

ありがとうございました。

2012/09/03

新渡戸稲造博士生誕150年 取材報告展

2012年9月1日(土)〜25日(火)10:00〜17:00  水曜定休 
銀の鈴ギャラリー(鎌倉) 入場無料

「近代日本に影響を及ぼした人々」
ジュネーブ(スイス)、札幌、盛岡、そして、別荘をもっていた鎌倉とのご縁など、
新渡戸稲造の生涯(1862年〜1933年)を取材写真とともに紹介しています。

取材報告展会場 鎌倉 銀の鈴ギャラリー
最愛の母の50回忌法要 鎌倉 妙本寺にて


そのほか、「新婦人協会」のメンバー・奥むめお、実業界の父・渋沢栄一、
小田原に暮らした北原白秋の伝記(子ども〜おとな)も紹介しています。

秋の鎌倉散策の際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。

主催:銀の鈴社
2012年 湘南邸園文化祭参加事業

2012/09/01

新渡戸稲造博士生誕150年 記念式典

2012年8月31日(金曜日)、新渡戸博士生誕の地、盛岡にて、
生誕150年記念式典がおこなわれました。
当日は、高円宮妃を迎え、明石康(元国連事務次長)氏がご講演をされました。

ご講演される明石康氏


主催:新渡戸稲造博士生誕150年祭実行委員会 会長 内川頴一郎
(岩手県/盛岡市/花巻市/岩手県議会/盛岡市議会/岩手大学/岩手医科大学/
東京女子大学/拓殖大学/新渡戸文化学園/岩手県日本カナダ協会/盛岡ビクトリア
友好協会/盛岡市文化振興事業団/岩手経済同友会/盛岡商工会議所/岩手県農協
中央会/盛岡信用金庫/岩手台湾懇話会/北東北・日本アメリカ協会/新渡戸稲造会/
新渡戸基金維持会/新渡戸基金)

2012/08/28

『新渡戸稲造ものがたり』を刊行しました

2012年9月1日の新渡戸稲造博士生誕150年を記念して、
伝記『新渡戸稲造ものがたり』(小学校中学年〜おとな)を
刊行しました。

「いまこそ、子どもたちに伝えたい、新渡戸稲造博士の生涯」

〈表紙カバー〉 肖像写真(1931年)・自筆英語(15歳)・英文『武士道』初版(1900年)表紙

2012/08/25

京都 飄亭

1933(昭和8)年の春、新渡戸博士は、京都へ向かいます。
旧友の佐伯理一郎博士、竹内栖鳳画伯も一緒に、南禅寺の
近くにある飄亭で食事をしました。

1933年、飄亭にて 左から佐伯、新渡戸、竹内
(同志社大学同志社社史資料センター所蔵)
『新渡戸稲造ものがたり』p.207より
2012年8月、その飄亭を訪ねました。
上の写真が撮られたと思われる中庭は、当時の風情を今に伝えています。

400年前に創業、飄亭

中庭 2012年8月撮影



2012/07/16

後藤新平の会@学士会館

2012年7月15日(日)
第六回後藤新平賞授賞式/
2012年度「後藤新平の会」シンポジウム
「チャールズ・ビーアドと後藤新平」
二十世紀を代表する歴史家ビーアドとの関係から見えるものはなにか

パネリスト
青山  佾(明治大学公共政策大学院教授)
阿川 尚之(慶應義塾常任理事 同大学教授)
小倉 和夫(青山学院大学特別招聘教授)
開米 潤(ジャーナリスト)
細谷 雄一(慶応義塾大学法学部教授)


後藤新平伯は、新渡戸稲造に大きな影響を及ぼした人物といえます。
ともに岩手出身の二人は、兄弟や師弟関係のようでもあり、
ともに外遊もしました。
新渡戸が、国際連盟の事務次長に就任することになった時も、
二人そろって、パリに滞在中でした。

後藤新平もまた、幅広い活躍をした大人物です。

今回のシンポジウムでは、ビーアド博士が、後藤と出会って、アジア観を
大きく転換したこと、後藤の要請で、関東大震災直後に緊急来日して、
後藤の片腕となって、復興計画に協力しました。
その著書 "President Roosevelt and the coming of the war"は
1941年にアメリカで出版され、大きな反響を呼びました。
(日本語版『ルーズベルトの責任』は、2011年〜2012年、藤原書店から刊行)

2012/07/15

賀川豊彦学会@明治学院大学

2012年7月14日 賀川豊彦学会@明治学院大学白金校舎
「国際的な平和運動における新渡戸稲造と賀川豊彦の役割」
広島大学大学院総合科学研究科 布川 弘

布川先生は、『平和の絆 新渡戸稲造と賀川豊彦、そして中国』
(平成23年 丸善)の著者であり、貴重な機会なので、出席させて
いただきました。
キリスト教の精神を共有していた新渡戸と賀川が、ともに平和のための
活動をおこなったことについて、太平洋問題調査会や日本友和会の活動、
さらに中国との関係など、興味深いお話でした。

二人は、ともに中国人と個人的な関わりやつながりをもっていました。
個人の信頼関係がありながら、それぞれの祖国が争うことになってしまった
ことは、本当に無念であったと心が傷みます。

新渡戸稲造博士のご令孫、加藤武子さんのお話を思い出します。
「小日向の家にいらした中国人の方たちは、本当に礼儀正しく、
本当に素晴らしい、立派な方ばかりでした」。

2012/07/06

渋沢栄一 社会企業家の先駆者

2012年7月5日 渋沢栄一記念財団会員総会@東京工業俱楽部

島田昌和(渋沢研究会代表・文京学院大学経営学部教授)

特に、渋沢栄一が考えていた経済全体の仕組みについての話が興味深かった。
大きな視点と長期的視野に立った考え方。

渋沢の構想した「合本(がっぽん)」資本主義社会
(つまり、民間に公共性をもたせる資本主義)
株式会社は、公共的(パブリック)なもの
会社組織は、一つの共和政体のようなもので、株主は国民のようなもの
民間パブリック(異なる利害を共有すること、共通の利害を見出す)
経営には、道理(論語)が大事

今回の話は、主に渋沢の構想した経済の仕組みとビジネスモデル。
スケールの大きな仕事を成し遂げながら、新渡戸稲造とは、
国際友好に関わることにも共に積極的に関わりをもった渋沢の功績は、
大きい。渋沢も新渡戸も、ともに、現在の社会に、いまなお、影響を
及ぼしている。

2012/06/02

近代日本のリーダー@早稲田大学

2012年5月31日(木)早稲田大学大隈小講堂
寄付講座 Trans-Pacific Leadership 記念シンポジウム
「近代日本のリーダー 渋沢栄一・福沢諭吉・大隈重信」

この講座は、太平洋を越えて日米両国のリーダーの育成を考える機会として
早稲田大学とポートランド州立大学(アメリカ)が協同で、渋沢栄一記念財団の
厚意で立ち上げられたもので、今回は、新渡戸稲造博士と同時代を生き、
また関わりのあった三人のリーダーたちについてのお話を伺うことができました。

パネリストは、
渋沢雅英(渋沢栄一記念財団理事長)、
北岡伸一(政策研究大学院大学教授)、
真辺将之(早稲田大学文学学術院准教授)、
討論者として、
五百旗頭 真(熊本県立大学理事長・復興庁復興推進委員会委員長)

「渋沢栄一の世界」渋沢雅英
1 没後80年、持続する社会的関心
2 伝記資料の電子化と解説
3 大隈、福沢、渋沢、そして岩崎弥太郎の出会い 明治11年春
4 スーパー経営者
5 抜群の説得力と粘り強さ
6 近代化推進のための枠組みの構築
7 470余の企業の設立と運営 ほか

「福沢諭吉」北岡伸一
1 『福翁自伝』の福沢
2 啓蒙の戦略
3 脱亜論
4 近代日本における福沢の位置

「世界に向き合う独立的青年 ー大隈重信のリーダー教育論」真辺将之
1 教育者としての大隈
2 アソシエーションの思想:自治の体現、「民」へのこだわり
3 世界的市民の育成
4 「世界の道は早稲田に通ず」

「新渡戸稲造」の名前は、全体を通して、一度だけしか出ませんでしたが、
同時代を生きた三人のリーダーたちの素顔など、大変興味深い話で、
勉強になりました。

2012/03/14

恵泉女学園(東京・経堂)

2012年3月13日(火)
東京・経堂、恵泉女学園を訪問しました。
この学校は、新渡戸稲造博士の教え子(札幌のスミス女学校、現在の北星学園)、
河井道先生が建学した学校です。
新渡戸博士は、かつて苦学をしていた学生に貸したお金の返済を断わり、かわりに
恵泉女学園へ寄付してもらうように頼んだほか、
創立認可をもらえるよう自分が保証人になるという文書を東京府あてに送っています。

住宅街にある環境がよく、施設も素晴らしい学校です。



史料室で、貴重な資料をたくさん見せていただいたほか、学園関係の方々から、興味深い
お話を伺うことができました。
お昼はきれいなカフェテリアでいただき、その後、翌日おこなわれる卒業式の予行練習を
見学しました。
創立者・河井先生の教育に対する姿勢を、いまも大切に引き継いでいることを実感しました。
ありがとうございました。

2012/03/12

羽田空港の「世界への架け橋」展

2012年3月11日(日)快晴
羽田空港第一ターミナルで、新渡戸稲造生誕150年「世界への架け橋」展が始まりました。
二階出発ロビーの二カ所に、展示があります。
稲造博士の父・十次郎氏の甲冑など十和田市新渡戸記念館の所蔵品のほか、日本ユネスコの
未来遺産に選ばれた青森県十和田市の三本木についての概要を見ることができます。
三本木は、稲造博士の祖父と父によっておこなわれた開拓事業で、その開拓によって初めて
稲が収穫された後に生まれた稲造博士は、「稲之助」(幼名)と名付けられました。


稲造博士の父・十次郎氏の甲冑(うしろに、新渡戸稲造博士夫妻の写真)

左に祖父、右に父の像の写真
開拓時に使われた道具のレプリカなど

この日は、東日本大震災からちょうど一年。
14時47分、空港内でも黙祷がおこなわれました。

4月中旬まで開催中。詳細は、こちら

2012/03/10

東京・湯島の「共慣義塾」

2012年3月
湯島天神からお茶の水に向かって歩いている時、偶然、文京区の「旧町名案内」に
新渡戸稲造博士のことが書いてあるのをみつけました。




新渡戸文化学園(東京・東高円寺)

2012年3月8日(木)と9日(金)の二日間、東京の東高円寺にある新渡戸文化学園を
訪問しました。
この学校は、新渡戸稲造博士の教え子の一人である森本厚吉先生が創立した学校です。
(女子経済専門学校)
稲造博士は、校長を引き受けました。



現在では、幼稚園から短期大学までの学園として、多くの生徒たちが学んでいます。

森本晴生様(創立者・森本厚吉先生のお孫様)が、いろいろなお話をしてくださいました。
図書室で貴重な資料を拝見することもできました。心より御礼を申し上げます。

2012/02/14

キリスト友会 Tokyo Friends Meeting

2012年2月12日(日)、開拓使仮学校跡から、車で10分ほどのところにあるキリスト友会へ
行ってみました。
ここは、日本におけるクエーカー教徒の本拠地です。
新渡戸稲造博士夫妻も、何度もここを訪れています。
(稲造博士は、日本人初のクエーカー教徒。メアリー夫人もクエーカー教徒)
1891(明治24)年、1月1日、二人はアメリカのフレンド・ミーティングハウスで結婚
しました。出席した175人のクエーカー教徒たちが、結婚証書にサインをしています。

日曜の午後、中では数人の方々が話し合いをされているようでした。





近くにある普連土女学園を訪問する時に、また訪れてみようと思います。

2012/02/12

「開拓使仮学校」跡(東京・芝公園)

今日は、2012年2月12日(日)
北日本では大雪、ヨーロッパに寒波がきているここ数日ですが、東京は快晴です。
東京・芝公園内にある、開拓使仮学校跡を探しに行きました。
芝公園は、徳川家の霊廟がある増上寺や東京タワーのある一帯に広がる都立の公園です。


新渡戸稲造博士も、札幌農学校に入学する前、東京に住んでいたころ、開拓使仮学校に
短期間ですが、通ったと思われます。
その後、仮学校は、全面的に札幌に移転し、その役割を終えました。


2012/02/06

音無川(鎌倉)の別荘

新渡戸稲造博士は、鎌倉に別荘をお持ちでした。
2012年2月5日(日曜日)、その別荘跡を訪ねました。

JR鎌倉駅から江の電に乗り換え、稲村ケ崎駅で降りて、海岸に向かって2,3分のところ、
素敵な家が立ち並ぶ一角、音無川のすぐ横です。
(建物はずいぶんリニューアルされていると思われます)



大正九年(1920年)秋から六ヵ月間、有島家がこの別荘を借りて生活しました。
新渡戸博士の教え子であった有島武郎の弟、画家・有島生馬(里見弴の兄)の一家です。

「新渡戸別荘の内部は、洋間ばかり、ベランダ、サロン、食堂と書斎にはマントル・ピース
があり、それに廊下続きの離れには使用人用の日本間が二部屋あり、(以下、略)」
(『松の屋敷 有島暁子遺稿集』より)

聖路加に売却され、その後、聖路加看護大学の施設「アリスハウス」になり、現在は、
セミナーハウスとして使用されているようです。



ジュネーブの国連古文書館に残っている帰国時の資料には、ジュネーブからの
引越荷物の一部は、鎌倉へ輸送されるように手配した文書が残っていました。

また、北海道大学図書館古文書室に保管されている書簡の中から、メアリー夫人が、
札幌の宮部金吾博士に書いた手紙も含まれていました。
その手紙の中で、夫人は、病気だった宮部博士に、温暖な鎌倉の別荘で療養するよう
勧めています。
「夫は、鎌倉には出向かないので、いつまでも好きなだけ滞在してくださるようにと
申しています」と書き、夫妻が親しい宮部博士を気遣っている様子が伝わってきます。


海側からの写真。南側に傾斜した高台にあります。
新渡戸博士の別荘だった当時は、三百坪の庭があり、裏門からすぐに海岸に出られた
ようです。
いまでは、別荘と海との間にはガソリンスタンドが立ち、国道が走り、当時とはずいぶん
趣きが変わってしまったのではないかと思います。