2021年3月1日
安倍能成先生は、新渡戸先生の一高の教え子で、のちに一高校長や
学習院院長を歴任しています。
一高のリベラルな思想が戦中、戦後にも引き継がれていたことがわかる
エピソードとして、宇沢弘文先生のご著書より抜粋して紹介します。
↓
『人間の経済』宇沢弘文 著 新潮新書 2017年4月
p.84
三 教育とリベラリズム
安倍能成先生のこと
社会的共通資本としての教育について考えるとき、
私にとって忘れられない光景があります。
東京大空襲後の1945年、旧制一高に入学した年の出来事でした。
・・・マッカーサーが厚木の飛行場に降り立つと同時に、
過酷な占領政策が始まります。あたり一面は焼け野原と化していて、
占領軍は、めぼしい建物はみな接収して占領のために使うことにしたのです。
たしか9月半ば、軍隊の施設とみなされていた一高にもジープに乗った占領軍の
将校団が接収にやってきました。当時の一高にも校長は安倍能成先生で、
戦前の日本では最も優れたカント哲学者で、すぐれたリベラリストでも
ありました。ずっと後になって知ったことですが、安倍先生は、戦争中から、
近衛文麿を中心とした敗戦処理を考えるグループの一員だったそうです。
(筆者注:近衛文麿も新渡戸校長時代の一高の生徒)
その安倍先生は占領軍の将校たちを前にして、英語できっぱりとおっしゃいました。
「この一高は、Liberal Arts(リベラルアーツ)のCollege(カレッジ)です。
ここはsacred place(聖なる場所)であり、占領というvulgar(世俗的)な目的の
ためには使わせない」
リベラルアーツというのは、教育の仕上げの段階で重要な役割を果たすものです。
つまり、学問や芸術、知識であれ文学であれ、専門を問わず、先祖が残した貴重な
遺産をひたすら学び吸収し、同時にそれらを次の世代へ受け渡すという営為を
する場所だということです。一人ひとりの学生の人間的な成長を図るとともに、
それを時代へと継承する役割がある。安倍先生はそのことを繰り返し、それを聞いた
占領軍の将校たちは、黙ってそのまま帰っていきました。
占領軍に楯突くなど逮捕されて当たり前、という時代にきわめて珍しい
エピソードのはずなのに、新聞はもちろん一高の記録にもいっさい残っていません。
しかし、その場に居合わせた私は心の奥底で、われわれは先祖が残した貴重な遺産を
できる限り吸収して次世代に残すという仕事をしている、
それが大学あるいは学校なのだという思いを強くしました。いまになって考えると
私の心の中で「社会的共通資本としての教育」という考え方が芽生えた原点
だったように思うのです。