2018/06/25

渋沢栄一の孫「鮫島純子」様と新渡戸博士

2018年6月25日

最近の読書記録メモ

鮫島純子(渋沢栄一 孫)著
『祖父・渋沢栄一に学んだこと』
2010年10月15日 文藝春秋

P.86〜88「新渡戸稲造先生」より抜粋

あれは、私が小学校低学年の頃でした。
その日は記者で名古屋に向かいましたが、・・・
父(渋沢栄一の四男 正雄)は、車内に落ち着くやいなや
向かい合わせの席に書類を広げ、社用を片付けていました。
列車が浜松にさしかかる頃、さすがに飽きた私は、
背中合わせに座っておられる上品な白髪のご老人と目が合い、
ニコッと笑いかけました。
これがきっかけで、このご老人との車内文通が始まりました。
はじめ彼はノートの切れ端に
「お名前は何といわれますか?」と書いて渡されました。
「純子と申します」
「どこまでゆかれますか?」
「名古屋でございます」
「お年はいくつですか?」
飽きもせず、背中合わせのたどたどしい文字のやりとりは
エスカレートし、ご老人のボックス席に入り込んでお話を
うかがうことになりました。

「ご家族と一緒に楽しい旅ができるということは、
 なんとお幸せなことでしょうね」
と言われ、それにはたくさんの方々のご恩を受けてこそですね
と説明されてから、私の指をとって一本一本折り曲げながら、
誰のお陰でこうして旅に出られたかを考えるように促されました。
「お父様、それから?」というように、留守番の人々から、
旅に出る服を調(ととの)えた人、列車を運転している運転手さん
に至るまで・・・。

そしてそれも種が尽きる頃、「お天道様や空気や雨もなくては
なりませんね。それはどなたがくださったのでしょう?」と
誘導して、神の大いなる恵みの中にわれわれは生きているので、
誰ひとりとして自分だけの力や働きで生きていられるのではないことを
話されました。

そろそろ名古屋に着くので、降りる支度を始めるようにと、
立ち上がって私たちのほうを見た父が、
「おや、先生じゃいらっしゃいませんか」と進み出て、
丁寧にご挨拶しました。

このご老人こそは、一高時代の恩師でもあった新渡戸稲造博士だったのです。
新渡戸先生は、栄一とご一緒の写真がいくつか残っています。
日米交流に尽くした御両者ですので、交流も深かったことでしょう。
私はあの優しいご老人が、読書の邪魔をした見知らぬ少女の心にさえ、
神の恩寵に気づくよう促されたのを折に触れ思い出し、
感激しつつ、心に蘇らせています。

(以上、抜粋終わり)

〈補記〉 同書 「鈴木貫太郎大将」p.117より
昭和17年4月、鮫島員重氏と結婚
帝国ホテルと華族会館で披露宴
仲人は、鈴木貫太郎・たか夫妻