2015/12/18

聖路加国際病院と新渡戸稲造博士

2015年12月

聖路加国際病院は、歴史のある都内有数の総合病院です。
104歳の日野原重明先生が、名誉病院長をされていることでも
よく知られています。


聖路加病院旧館(現在の聖路加国際大学)



新渡戸稲造博士は、この病院の設立にも関わっており、
病院と看護大学の評議員を務めました。
現在も旧館の正面玄関にその足跡を確認することができます。
この写真は、設立当時に建てられた石碑。
12ある穴(釘跡)は、戦時中に「神の栄光」と刻まれた礎石を
憲兵隊によって隠すよう命令され、御影石で覆っていた跡と
説明されています。



「この基礎石は、建物(旧館)が、1928年(昭和3年)1月に着工し、
 その後、1930年(昭和5年)3月28日に行われた定礎式で披露され、
 約67年間、旧館東口玄関に設置されていました。
 ・・・中略
 定礎式には、秩父宮両殿下を始め、各大臣、東京府知事、
 警視総監、各国大公使、新渡戸稲造の署名士たち400名が出席
 されました。
 ・・・後略」

 定礎式の当日は、内村鑑三が亡くなった日でもありました。

新渡戸博士の鎌倉の別荘は、新渡戸の没後、メアリー夫人によって
聖路加看護大学(現在の聖路加国際大学)に売却されています。
鎌倉の別荘跡の訪問については、こちら

今回、大学史編纂資料室のご厚意で、関連資料を閲覧させて
いただくことができました。
松山事件の後、新渡戸博士がこの病院に入院されていたことなども
確認できました。

旧館内部

旧館内部


この病院のある明石町(東京都中央区)は、かつて外国人居留地
でした。


中庭には、設立者トイスラー博士(Dr. Teusler)の旧宅(洋館)も保存されています。

また、同地には、「芥川龍之介生誕の地」と書かれた案内版も。


芥川もまた、新渡戸校長時代の旧制一高の生徒でした。
(このあたりで幼少時代を過ごした谷崎潤一郎については、こちら。)