2014/10/14

東京医療生活協同組合 中野総合病院を訪問

2014年10月9日(木曜日)
東京医療生活協同組合 中野総合病院を訪問し、
池澤康郎 理事長様、入江徹也 副院長様にお目にかかりました。



中野総合病院(東京都中野区)は、

「新渡戸博士が、東京医療利用組合の初代組合長として設立に尽力し、
1932(昭和7)年に認可された、日本で初めての組合病院です。
当時は、まだ医療制度が不十分で、医療費は驚くほど高額、
病気の治療を受けられる人は限られていました。
稲造たちが提案した協同組合の病院は、多くの人々がお金を出し合って設立し、
治療を受ける人の負担をできるだけ少なくしました。(中略)
その後は、全国各地で医療組合の活動がさかんになり、
多くの人々が、安心して医療を受けられるようになりました。
これは、現在の保険医療の制度につながっていきました。」
(『新渡戸稲造ものがたり』p.194〜より抜粋)

現在も、地域の医療に大きく貢献している総合病院です。
池澤理事長と入江副院長は、この病院の設立精神をいま一度確認し、
今後の病院経営と改革に挑んでいくと、その意気込みを語ってくださいました。

病院訪問に先立ち、入江副院長様が、下記のようなメールをくださり、
感激してしまいました。
ご本人の許可を得て、その一部を紹介させていただきます。

(入江先生からのお便り)

御著書から多くを学ばせて頂きました。
児玉源太郎、後藤新平との出会い、藤沼庄平による東京医療利用組合の認可等、
大変勉強になりました

お会いした時にもお話ししましたが、
最後のページの”読書のみなさんへ”と最後の段落の
この世に生まれた大きな目的は、人のために尽くすことにある。
自分の名誉や利益のためではない。自分が生まれた時からこの世を去るまで、
まわりの人々が少しでもよくなれば、それで生まれた甲斐があるというものである」
という新渡戸稲造博士のメッセージに感激した次第です。

今日も病院の若い事務職員に
”武士道を読もうよ。それと新渡戸稲造物語は読んだ方が良い”
話したところでした。

私は昨年8月に副院長になり、初めて病院の歴史に向き合うことになりました。
それまでは、日常臨床にのみ専念し、
病院の存在意義に目を向けてはいなかったと思います。
当院の設立に新渡戸博士が関わっていたことは薄々は知っていたのですが、
今の立場になり初めて意識しました。
まず、武士道を読み、圧倒されて、それから順天堂の樋野興夫先生と
同じ道を辿っているところです。
内村鑑三、矢内原忠雄、を読み、今は南原繁を調べ始めようと
しているところです。

現在医療の現場は非常に厳しい状況です。
大学病院やセンター病院は世界に誇るレベルを目指しているのですが、
それ以外は、将来、療養病院や、
急性期患者を診てもよい地域の病院”(主体は療養病院)だけになるのではという状況です。
大学病院の対象にならない”普通の”病気になった人が、
高いレベルの医療を受けられなくなってしまう可能性があります。

今こそ、新渡戸博士が創立した、営利を目的としない、貧しい人でも診療を受けられる、
東京医療生活協同組合(東京医療利用組合)が頑張らねばならないと
決意を新たにしているところです。

御著書に出会い本当に感謝しております。

(入江先生からのお便りは、ここまで)

また、池澤理事長は、「病跡学と新渡戸稲造博士」についての興味深いお話も

してくださいました。

「病跡学(Pathography)」とは、突出した人物の生涯や業績を、
精神医学や心理学で分析/研究する学問で、
ゲーテなども有名な事例としてよく語られるようです。
興味津々で聞き入りました。これから詳しく調べてみたいと思っています。

最後に、病院内の新渡戸稲造初代組合長の紹介プレートなどをご案内くださいました。






お忙しい中、ありがとうございました。
入江 副院長様、池澤 理事長様に、あらためて御礼を申し上げます。





中野総合病院のホームページは、こちら