2014/06/23

沼津の牛臥山(うしぶせやま)と沼津御用邸記念公園

2014年6月17日(火)沼津

沼津は、新渡戸博士が、札幌農学校教授時代、多忙を極めて病気になり、
転地療養した場所の一つです。

1898(明治31)年 36歳
1月13日、静岡県の沼津に移転する(5月末まで三島館に滞在。・・・)

と、『新渡戸稲造事典』(教文館 2013年)p.424の年表にあります。

三島館とは、沼津御用邸のすぐ近く、牛臥山(うしぶせやま)にあった、
明治21年開業の高級旅館で、御用邸を訪れた政府高官がよく利用していたようです。
(沼津市観光WEBより)

現在の牛臥山を御用邸から望む
新渡戸博士は、この牛臥に滞在した約4ヵ月の間に、北海道庁技師や札幌農学校教授を
離職し、その後、伊香保や軽井沢を経て、渡米。『武士道』の執筆にとりかかることに
なります。

新渡戸博士に転地療養を勧めたのは、ドイツ人医師ベルツ先生です。
エルヴィン・フォン・ベルツ(1849年〜1913年)博士は、「お雇い外国人」の一人で、
実に29年間も日本に滞在し、日本の医学の発展に尽くしました。
ベルツ博士は、当時の宮内省侍医も務め、皇太子時代の大正天皇をはじめ、
皇族方の健康管理に力を注ぎました。
ここ沼津の御用邸の設置を進言した一人でもあります。

正門(ベルツ博士の縁でドイツ・ゾーリンゲンで特注)

今回、初めて沼津の御用邸跡(記念公園)を見学しました。
ここは、明治、大正、昭和と、長期にわたり、皇室の御用邸として使われました。
(昭和44年12月に廃止)

西附属邸は、もともと明治天皇の皇孫殿下(のちの昭和天皇や秩父宮殿下)のために
建てられ、のちに本邸として使用された建物で、現在、内部を見学できます。



西附属邸 入口








昭和天皇 学習院初等科時代の自転車(複製)
昭和天皇の教育係を任されていたのが、乃木希典(のぎまれすけ)学習院院長。
1907(明治40)年1月、乃木院長は、当時、新渡戸博士が校長だった旧制一高に
来校。その後、乃木は新渡戸の自宅を訪れたり、
新渡戸校長が学習院で講演したりするなど、交流がありました。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.128より)

西附属邸 外観
1926(大正15)年9月12日、ジュネーブの国際連盟事務次長だった新渡戸博士は、
訪欧中の秩父宮殿下を迎え、事務局前で写真におさまっています。
また、新渡戸博士は、昭和天皇に、数回お目にかかり、ご進講もされています。
(『新渡戸稲造ものがたり』p.173に掲載)

沼津御用邸記念公園のホームページは、こちら