2013/10/16

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人

近代日本画の大家で、第一回文化勲章の受賞者、竹内栖鳳(1864年〜1942年)
の展覧会に行きました。(東京国立近代美術館)



竹内栖鳳氏と新渡戸稲造博士は、親しく交流しました。

「銀婚式 竹内栖鳳画伯が描いた紅白の菊
 稲造は、以前から親交のあった、京都に住む日本画家の竹内栖鳳を、
 一九一五(大正四)年十月に訪問しました。(中略)
 銀婚式の直前に、竹内画伯に描いてもらった絵が、小日向の家に
 届きました。そこには、紅白の寒菊が描かれていました。
 霜に打たれた葉の上で、真っ白な花は空を向き、天をあおいでいます。
 そのかたわらで、紅色の花のほうは、なんともこころよく生きることを
 楽しんでいるようです。まるで二人の姿が描かれたようなこの絵は、
 稲造にとって大切な宝物になりました。」
 『新渡戸稲造ものがたり』p.149〜150より

今回の展覧会で、「紅白の寒菊」が描かれた絵はないかと注意して見ましたが、
類似した絵はありませんでした。

また、新渡戸博士は、亡くなる数カ月前に京都を訪れて、友人の佐伯理一郎、
竹内栖鳳と飄亭(京都、南禅寺の近く)で食事をしています。

「稲造は、『これから日本を美術と文学を通じて外国に紹介しなければならない。
 そのためには、竹内画伯に聞いておかなければならないことがたくさんある』
 と何度も繰り返し、三人で会食を楽しみました。もしかしたら、政治的な交渉
 にすでに限界を感じ、日本の文化を通じて、日本の真価を世界に認めてもらおう
 と考えていたのかもしれません。」
 『新渡戸稲造ものがたり』p.208より

この後、稲造は日本を離れ、日本代表団を率いて、国際会議に参加しますが、
病に倒れ、カナダで帰らぬ人となったのです。1933年10月15日(日本時間16日)没