2011/12/19

芭蕉「夏草」稲造博士による英訳の句碑 平泉

2012年1月16日(月) 奥州平泉

平泉の毛越寺(もうつうじ)を訪れた際、思いがけず、稲造博士の英語の句碑を
発見しました。
平泉を訪れた芭蕉が詠んだ「夏草や つわものどもが 夢のあと」は有名ですが、
その句を英訳した稲造博士の直筆が、刻まれています。近くには、解説がありました。






The summer grass
'Tis all that's left
Of ancient warriors' dreams.  Inazo Nitobe


たしかに、かつては美しい庭園だった毛越寺も、いまや、ほとんどの建物を消失し、
昔の姿を偲ぶばかりの静かな地になっています。
「純白の つわものどもが 夢のあと」

花巻新渡戸記念館(新花巻)

盛岡市先人記念館を再訪したあと、新幹線で新花巻に向かいました。

2012年1月15日(日)
8時30分、花巻新渡戸記念館に到着しました。
ここ花巻は、新渡戸稲造博士の祖父、新渡戸傳(つとう)氏の出身の地です。
新渡戸家が二百年以上にわたって居住した地に建てられている記念館です。


花巻は、札幌農学校の先輩、佐藤昌介(北海道大学総長)の出身地でもあります。


朝早いにもかかわらず、すでにすっかり雪かきがされています。


ここで、佐藤館長さんからいろいろなお話を伺うことができました。
館内で稲造博士の生涯について10分間のビデオを視聴し、「新渡戸稲造の生涯展」を
見学しました。さらに、新渡戸家の新田開発などの業績もわかりやすく展示してあります。


お忙しい中、ご親切に説明してくださった佐藤館長に心より御礼申し上げます。
花巻新渡戸記念館のホームページは、こちら

新渡戸稲造博士生誕の地(盛岡)冬

中津川を渡って、下の橋に向かいます。
途中、道を尋ねると、「雪にうもれてて、なにもないよ」と言われました。
稲造博士生誕の地に到着しました。


稲造博士の像は、雪にもうもれず、静かに思索にふけっているご様子です。

新渡戸稲造胸像(盛岡)

レストラン公会堂多賀から、城跡公園沿いを歩いて中津川へ。


稲造博士の胸像がありました。




レストラン公会堂多賀(盛岡)


1927年、1932年、1933年、稲造博士はレストラン公会堂多賀で会食をされました。
盛岡市内にある登録有形文化財「岩手公会堂」は、大正12年(1923年)に建設されました。
その地下にある創業84年の老舗レストランです。


稲造博士の直筆が飾られています。
「Haste not Rest not.(急ぐなかれ、とどまることなかれ)」



現在は、客席も地下にありますが、当時、地下は厨房のみだったそうです。


古そうな木箱が並んでいます。



新渡戸博士が召し上がったコースの一つを、「新渡戸コース」と命名して提供しています。


レストラン公会堂多賀のホームページは、こちら

新渡戸基金(盛岡)

2012年1月14日(土)
朝早く東京を出発し、稲造博士生誕の地、盛岡へ向かいました。
駅前からバスに乗り、城跡公園前で下りました。
11時、新渡戸基金を訪問しました。
内川理事長、藤井事務局長、佐藤理事の三人の方々にお会いし、貴重なお話を
伺うことができました。また、資料を提供してくださいました。
ご親切に応対していただき、本当にありがとうございました。

小日向の家と服部坂

新渡戸稲造夫妻の東京の家を再訪しました。
稲造博士が、カナダで亡くなりメアリー夫人にお骨を抱かれて帰宅した時、
多くの近所の方々が出迎えたという服部坂の写真を撮影しました。
南に傾斜した坂道です。





服部坂を上っていくと、なだらかな道になり、左側に小日向の家の跡地があります。


メアリー夫人と牛馬飲水槽

新渡戸稲造博士の妻、アメリカ人のメアリー夫人は、日本人道会の活動を積極的に
おこなっていたようです。

動物愛護の意識がまだ薄かった当時、人や荷物を運ぶために使われていた牛や馬のために、
水飲み場の設置をおこないました。
大正六年に横浜磯子区に設置された水槽が、現在、横浜の馬車道十番館前に置かれています。







日本人道会は、大正四年に設立され、日本に欧米式の動物愛護の精神を広めました。
メアリー夫人や、アメリカ総領事館バーネット大佐夫人ら在日外国人が中心でした。

やがて、メアリー夫人が亡くなり、バーネット夫人も帰国。
戦争によって活力を失っていきました。


東京女子大学さがみの会

2011年12月6日 鎌倉プリンスホテル(七里ケ浜)

東京女子大学の湘南地区同窓会「さがみの会」会員の義母に同伴して、
総会に伺いました。
同窓会で制作した新渡戸稲造博士のDVDを一緒に鑑賞させていただきました。
新渡戸博士から直接教えを受けた同窓生の方々のインタビューから、
博士のお人柄が偲ばれました。
また、学生一人一人に深い印象を与え、長い間、影響を及ぼしていることを、
あらためて知らされました。