2016/08/31

「山室機恵子の生涯」を論じ、著者を偲ぶ会

2016年8月28日(日曜日)

「山室機恵子の生涯」を論じ、著者安原みどり氏を偲ぶ会


日本女子大学(東京都豊島区)桜楓会館2号館にて

開会のあいさつ 牧野田 恵美子 元日本女子大学教授

第一部「山室機恵子の生涯」を論じる
論者 太田 愛人  社会福祉法人「愛の家」理事長
   柴崎 由紀  銀の鈴社 『新渡戸稲造ものがたり』著者
   坂井 興一  弁護士 著者の盛岡一高の先輩
   岩田 正美  日本女子大学名誉教授  (敬称略)

休憩
二胡演奏(著者友人の鈴木道子様)

第二部 安原みどり氏の思い出を語る
    献杯
    参加者のみなさまから一言
    ご遺族のあいさつ 

主催者様、および、安原様ご家族の方々のご尽力で、
安原みどり様の命日のこの日、上記のような会が催されました。
昨年の夏、安原みどり様は最後の校正を終え、すべてを編集長に託され、
永遠の眠りにつかれました。
翌月、できあがった待望のご著書を本人に手にしていただけなかったことは
本当に悔やまれます。

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私も、第一部で安原みどり様との出会い、そして出版の経緯について
報告させていただきました。

新渡戸博士ご夫妻は、山室軍平・機恵子様ご夫妻の活動に賛同され、
協力を惜しみませんでした。
また、新渡戸博士は、日本女子大学さんともいろいろなご縁があります。
創立者 成瀬仁蔵先生とは、女子教育に対する思いを共有され、
ずっと親交がありました。
実際、新渡戸先生は、何度か日本女子大学で講演をおこなっています。
国際連盟事務局長を退任後の1927521日には、新渡戸先生の呼びかけで、
国際連盟協会学生支部が日本女子大学内に発足しています。
また、上代(じょうだい)タノ先生は、日本女子大学在学中より、
新渡戸先生と親交があり、新渡戸の尽力によりアメリカ留学を果たしています。
また、新渡戸先生が国際連盟の事務次長としてジュネーブ滞在中の最後の半年間、
新渡戸家に滞在し、新渡戸夫妻と一緒に帰国しています。


『新渡戸稲造ものがたり』と同シリーズの一冊『奥むめお ものがたり』を
今回の会の記念に日本女子大学に寄贈させていただきました。
奥むめおさんも日本女子大学の卒業生です。
奥むめおさんも、山室機恵子さんも、結婚し、子どもを育てながら
ご自分の社会的使命を自覚され、活動されました。
時には、子どもを背負って陳情に行くなどのご苦労もされています。
当時の女子教育の重要性を説いていらした新渡戸先生、
その教え子で恵泉女子大学を創立した河井みち先生は、
「子どもに最も身近な存在である女性こそが、社会や世界の見識を深めることで
戦争がなくなる」というお考えをおもちでした。
地にしっかりと足をつけて、日々、家族のためを思って生きている女性の姿は、
安原みどりさんの生き方にも通じるものがあると思います。


第二部では、安原みどり様の高校、大学時代の友人のみなさん、日本女子大学の
福祉科の方々がそれぞれに思い出を語られ、和やかな心あたたまる会でした。
(司会進行 増野肇様、黒岩亮子様)

ご企画いただきました主催者様、安原様に心より御礼を申し上げます。

私自身、安原みどり様、そしてご研究から多くのことを学ばせていただきました。
みどりさん、本当にありがとうございました。

2016/08/06

神谷美恵子さんのこと

2016年8月

読書メモ

『ハンセン病と歩んだ命の道程 神谷美恵子』
大谷 美和子 著 くもん出版 2012年12月

神谷美恵子氏(1914年〜1979年)は、皇后美智子様を精神的に
お支えした方として知られています。(旧姓は、前田)
新渡戸稲造博士の教え子の一人、前田多門氏のご長女です。

ご両親(前田多門・房子)のご縁をとりもったのも新渡戸博士です。
お母様は、普連土学園のご出身。

新渡戸博士が、国際連盟の事務次長としてジュネーブに在住していた
1923年、父・前田多門氏が国際労働機関(ILO)の日本代表として
ジュネーブに赴任。
幼かった子どもたちを連れて、ジュネーブにやってきました。
美恵子氏は、両親が慕う新渡戸博士にかわいがられ、
『武士道』のフランス語版をプレゼントされています。

伝記『新渡戸稲造ものがたり』では、
文字数(全体の文量)を少なくするために、やむを得ず、
神谷美恵子氏についての記述も、当初の原稿から削らなければ
なりませんでした。
けれども、『新渡戸稲造ものがたり』を読んでくださった知人の中に
神谷美恵子氏の教え子や、大きな影響を受けた方がいらっしゃること
がわかり、嬉しい驚きでした。

『ハンセン病と歩んだ命の道程 神谷美恵子』は、
神谷美恵子氏の生涯がわかりやすくまとめられた一冊。
神谷美恵子氏が、結婚前にペンドル・ヒル(アメリカ・ペンシルベニア州)
で過ごしたことを知りました。
ペンドル・ヒルは、クエーカーの人々が学ぶ学寮。
ここで、彼女は世界中からやってきた人々から感化を受け、
将来の自分の歩む道を模索した時期を過ごしたようです。
彼女もまた、クエーカーの信仰に影響を受けた一人といえるかもしれません。

彼女の代表的な著書『生きがいについて』を
あらためてじっくりと読んでみたいと思っています。

2016/08/03

クラーク博士の関連文書が札幌市文化財に。

2016年8月3日(水曜日)

本日の岩手日報に次のようなニュースが掲載されています。

クラーク文書 文化財に 新渡戸署名の「契約」も 札幌市指定

札幌市は、北海道大の前身・札幌農学校の初代教頭クラーク
(1826〜86年)が起草し、盛岡市出身の新渡戸稲造や、内村鑑三らが
署名した「イエスを信じる者の契約」や聖書など、クラークゆかりの
キリスト教関連文書7点を、市の文化財にこのほど指定した。
札幌市によるクラーク関連の文化財指定は初めて。
市によると、いずれも札幌市中央区の札幌独立キリスト教会が
所有する。