『日本人の知らない武士道』
アレキサンダー・ベネット 著
2013年7月 文春新書
1970年ニュージーランド生まれの武道家によって
「武士道」について書かれた本です。
実際の武道の実践、また、『甲陽軍鑑』『葉隠』『武道初心集』『兵法家伝書』などを
読み取りつつ、日本人の精神性について語られていて、とても勉強になる内容でした。
・印象に残った「残心」=武士道の真髄
・「常に死を問うことで、武士道はその生を問うている」(p.145)
著者は、新渡戸稲造博士の『武士道』についても、言及。
〈 維新の文明開化からわずか三十数年。なぜ日本はこんなに軍事大国になれたのか?
西洋人は各方面から日本人を研究し、武士道の精神性に注目した。やがて、
「武士道の精神が、日本人のDNAに刻まれている」と解釈されるようになる。〉
(p.23 序章より)
そのきっかけになったのが、新渡戸の『武士道』だったと著者は書いています。
〈 新渡戸は、・・・日本の美点や西欧と共通する道徳観があることをアピールする
ために『武士道』を書いた。そのため、日本が過去から受け継いできた道徳・倫理を
近代日本に適合するかたちに再解釈した。〉
(p.25 序章より)
学者、教育者として、また、国際的にも広く活躍した新渡戸稲造博士(1862年〜1933年)の足跡を訪ね、その原風景に出会う旅 【2022年9月1日 生誕160年 / 2023年10月15日(16日) 没後90年】
2014/05/11
『アジアを救った近代日本史講義』
『アジアを救った近代日本史講義 戦前のグローバリズムと拓殖大学』
渡辺 利夫(拓殖大学総長)著
PHP新書(903) 2013年12月
内容紹介(前袖)・・・
反省と批判の言葉に溢れたわが国の近代史。
だが著者はいう。国家の歴史を肯定的に受けとめずして、
充実した人生を送ることはできないーーーーー。
明治維新から異例の速度で近代主権国家の枠組みをつくりあげ、
台湾・韓国の発展に尽力し、大陸の泥沼に嵌(はま)って敗戦へと至った日本。
しかしアジアの解放を信じ、世界に雄飛した人々の信念は心を揺さぶってやまない。
そうした「戦前のグローバリズム」を体現する拓殖大学の草創期を担った桂太郎、
後藤新平、そして新渡戸稲造。
稀代の人物たちの思想と行動を読み解きながら、日本人としての自信と誇りを
呼び覚ます迫真の学び直し講義録。
・・・・・
渡辺総長が学生たちにわかりやすいように語りかけているような内容の著書です。
「国家の歴史を肯定的に受けとめずして、
充実した人生を送ることはできないーーーーー。」
というお言葉に、大変共感しました。
最近のニュースに断片的に接していると、個々の事項をどう理解してよいのか
困るような時が少なくありません。
戦前、日本がどのような状況にあり、どのような方針や考えをもち、
戦争に突き進んでしまったのか。
学生の時にこそ、学びたい近代史。
日本とアジアの関わりについて、
歴史、特に近代の出来事の知識、史実に対するそれぞれの国の解釈など、
これからの日本の国際関係、アジアでの役割を考える上で
近代史を学ぶことの大切さを、あらためて考えさせられました。
新渡戸稲造博士に関することは、第10講 大正時代の拓殖大学「植民学」の時代、
に、主に登場します。
新渡戸博士は、1917(大正6)年4月に拓殖大学の学監に就任。(大正11年に辞任)
後藤新平伯は、その2年後に学長に就任し、終生、同大学の学長、さらに、
政府の要職も兼務しました。
(新渡戸博士の拓殖大学植民学の後継者は、
大川周明(しゅうめい)/植民学、満川(みつかわ)亀太郎/東洋事情、
安岡正篤(まさひろ)/東洋民族心理研究など、
日本の思想史上の大人物で、「興亜思想」の指導者的存在。)
拓殖大学は、海外で活躍することになる人材を育成するために設立された学校
でしたから、台湾の植民地において共に大きな仕事を担ったこの二人が
同大学のリーダーに就任したことも自然の流れでした。
これからの新しい時代に向けて、グローバル人材の育成など、
拓殖大学の建学の精神が一層発揮されることと期待が集まっています。
拓殖大学 創立百周年記念式典における天皇陛下のお言葉より(p.308)
「第二次世界大戦後、日本と日本を取り巻く環境は大きく変わりました。
しかし、『積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する
教養と品格を具えた有為な人材の育成』という建学の精神は、
今日に生きるものであり、日本が今後ますます国際社会の平和と繁栄に
貢献していくためにも、この大学から、国内はもとより、開発協力を
始めとする様々な分野で世界を舞台に活躍する人々が
数多く送り出されることを期待しております」
渡辺 利夫(拓殖大学総長)著
PHP新書(903) 2013年12月
内容紹介(前袖)・・・
反省と批判の言葉に溢れたわが国の近代史。
だが著者はいう。国家の歴史を肯定的に受けとめずして、
充実した人生を送ることはできないーーーーー。
明治維新から異例の速度で近代主権国家の枠組みをつくりあげ、
台湾・韓国の発展に尽力し、大陸の泥沼に嵌(はま)って敗戦へと至った日本。
しかしアジアの解放を信じ、世界に雄飛した人々の信念は心を揺さぶってやまない。
そうした「戦前のグローバリズム」を体現する拓殖大学の草創期を担った桂太郎、
後藤新平、そして新渡戸稲造。
稀代の人物たちの思想と行動を読み解きながら、日本人としての自信と誇りを
呼び覚ます迫真の学び直し講義録。
・・・・・
渡辺総長が学生たちにわかりやすいように語りかけているような内容の著書です。
「国家の歴史を肯定的に受けとめずして、
充実した人生を送ることはできないーーーーー。」
というお言葉に、大変共感しました。
最近のニュースに断片的に接していると、個々の事項をどう理解してよいのか
困るような時が少なくありません。
戦前、日本がどのような状況にあり、どのような方針や考えをもち、
戦争に突き進んでしまったのか。
学生の時にこそ、学びたい近代史。
日本とアジアの関わりについて、
歴史、特に近代の出来事の知識、史実に対するそれぞれの国の解釈など、
これからの日本の国際関係、アジアでの役割を考える上で
近代史を学ぶことの大切さを、あらためて考えさせられました。
新渡戸稲造博士に関することは、第10講 大正時代の拓殖大学「植民学」の時代、
に、主に登場します。
新渡戸博士は、1917(大正6)年4月に拓殖大学の学監に就任。(大正11年に辞任)
後藤新平伯は、その2年後に学長に就任し、終生、同大学の学長、さらに、
政府の要職も兼務しました。
(新渡戸博士の拓殖大学植民学の後継者は、
大川周明(しゅうめい)/植民学、満川(みつかわ)亀太郎/東洋事情、
安岡正篤(まさひろ)/東洋民族心理研究など、
日本の思想史上の大人物で、「興亜思想」の指導者的存在。)
拓殖大学は、海外で活躍することになる人材を育成するために設立された学校
でしたから、台湾の植民地において共に大きな仕事を担ったこの二人が
同大学のリーダーに就任したことも自然の流れでした。
拓殖大学の建学の精神が一層発揮されることと期待が集まっています。
拓殖大学 創立百周年記念式典における天皇陛下のお言葉より(p.308)
「第二次世界大戦後、日本と日本を取り巻く環境は大きく変わりました。
しかし、『積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する
教養と品格を具えた有為な人材の育成』という建学の精神は、
今日に生きるものであり、日本が今後ますます国際社会の平和と繁栄に
貢献していくためにも、この大学から、国内はもとより、開発協力を
始めとする様々な分野で世界を舞台に活躍する人々が
数多く送り出されることを期待しております」
拓殖大学本館(東京都文京区) |